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全日本テーブル筐体愛好会京都会議(3日目:2/4(日))
前回の続きです。
2日間京都〜奈良〜大阪と旋風を巻き起こした(?)全日本テーブル筐体愛好会京都会議もいよいよ最終日を迎えました。

最終日は名古屋から会員No.60TEA@紅茶が主食!!さん、会員No.151夕庵「愛娘フィリア&ティアラ」さん、会員No.157つうとむさんの3人が合流、更に前日急遽参戦した会員No.52れみぃさん(カラオケにも参加されましたが終電がなくなり会員No.146ぞーさんと会員No.170だんなさんと始発の時間までカラオケに残られました・・・)とその奥さんの会員No.53てのりぞうさんも参加されることになりました。
この日はいよいよ私の事務所2階の応接室ゲーセンと気が付けばゲーセンと化している道を挟んで向かいにある旧事務所(事務所移転のいきさつについてはこちら参照→もう4年も経ったんですね・・・)の開放です。
私もヒジヤン会長の真似をしてアーケードゲーム筐体を外に持ち出して無料で遊んでいただくイベントを開催するようになって、旧事務所は普段はそのイベントに使用するためのゲーム筐体の置き場となっていますが、それらもそこで稼働させればゲーセンっぽくなるので、ある時期から主に私の同業者を招待して新事務所と旧事務所の2箇所で遊んでもらうようになりました・・・が、同業者以外の皆さん、それも約20名という大人数を対象に開放するのは初めての事でした。





この日は大阪での宿泊勢は大阪市営地下鉄動物園前駅から近鉄に乗り継いで私の最寄駅である新田辺駅を目指しました。
そこで奈良の会員No.85(名札が間違っていたみたいです(名札はNo.80))Q.Pさんと会員No.164Mitsu Kaguさん親子及び名古屋勢が車で送迎に来て戴きました。
電車での移動はこれが最後となりましたが、今回敢えてというか結局この方法しかなかったとも言えるのですが電車での移動という方法を取ったのは参加者の中に結構鉄道好きな方が多いことも踏まえてそうした次第です。
喜んで戴けたでしょうか?

さていよいよ応接室&旧事務所ゲーセン開放がスタートしました。
今回準備したゲームは以下の通りです。

◎事務所2階”応接室ゲーセン”


・グラディウス(バブルシステムver.+BOSEスピーカー&アンプ組み込み)


・ゼビウス(ランクベリーハード→1面からカピが出てくる・・・)




・ドルアーガの塔(BOSEスピーカー&アンプ組み込み)


・TORNAMENT ARKANOID(アメリカ版上級者向け「アルカノイド」)


・ツインビー(バブルシステムver.)


・ジャンケンマン(実はこれもベリーハード(ランクが8段階有りますが最強にしています)


◎”旧事務所ゲーセン”


・ガントレット(テーブル筐体で4人プレイ可能)


・STEREOSOUND LIFEFORCE(海外版「沙羅曼蛇」)


・魔界村


・グロブダー


・スペースインベーダー(タイトー純正筐体:よーく見ると実はプレイヤー1はカラー、プレイヤー2は白黒)


・リブルラブル


・アルカノイド(面セレクトver.+タイトー純正筐体)


・Ms.PAC-MAN&GALAGA


・クレイジークライマー


・”ツインゼビウス”


・アサルトプラス


(「スターフォース」も準備していましたが調子が悪くて稼働出来ませんでした)


結構気合入れて準備したつもりです。
「グラディウス」のバブルシステムは確かにレアかもしれませんが非常に有名ですしまだ見かける機会もあるのでは、と思うのですが、「ツインビー」はちょっと珍しいのではないでしょうか。
その「グラディウス」と「ドルアーガの塔」はCDプレイヤーが壊れて使えなくなったけどアンプとスピーカー及びBOSE社のステレオの特徴であるアクースティマス・ベースボックスがまだ生きていたのでそれらを筐体に繋いでド迫力のサウンドが奏でられる様にしました。









また雰囲気を盛り上げるため可能な限りこれらのゲームに関するグッズを並べてみました。
ポスターやポップ(「ドルアーガの塔」のポップは実は会員No.150奈夢子つうさん謹製のレプリカだったりします・・・)に加え「グロブダー」「ツインビー」「グラディウス」はこれらのレジンキットやプラモデル(突貫工事で製作しました→「グラディウス」のビックバイパーは昔作ったものですが)を並べたり、「クレイジークライマー」は当時物のボードゲームを置いてみたりしました。
「グラディウス」のポスターが2枚並んでいますが、実は片方はこれまた奈夢子つうさん謹製のレプリカだったりします。
どちらが本物かわかりますか!?







私が特に思い入れのあるゲームは「グラディウス」と「ゼビウス」と「アルカノイド」です。
「ゼビウス」は応接室ゲーセンの駄菓子屋筐体に入れましたが、私が楽勝で1周出来たので敢えて難易度をベリーハードにしてみました(笑)。
その代わりと言っては何ですが、旧事務所の「ゼビウス」は”ツインゼビウス”。
これ、元々はポーカーゲームが1台の筐体に2つ入っているという代物(この手のゲームを置いていたゲーセンは少しでもスペースを稼ぐ(ことにより収入を更に上げようとした)ためこんな筐体を置いていたらしい)で、私はジャンクでヤフーオークションに出ていたこの筐体を大改造して「ゼビウス」の基板を2つ入れて基板に元から設定されているポーズ機能をスイッチで2枚の基板で同時に作動するように設定、更にゲームスタートボタンも2枚の基板で同時にスタートできるように設定しました。
こんなことをして何をやりたかったのかというと、昨年私が参加した「ゼビウスチャンピオンシップ(part 1 part 2 )」をここでも擬似体験できるゲーム機を作りたかったのです。
スポーツ競技用のタイマーも購入して同時にスタート、ポーズ機能で制限時間が来たらストップすることで「ゼビウスチャンピオンシップ」のタイムアタック(ゲーマーにわかりやすく言えばかつてハドソンが行っていた「キャラバンモード」ですね)が楽しめるようになりました。





「アルカノイド」はタイトー純正筐体(何故か音が非常に素晴らしいです→「スペースインベーダー」も然り→これら2つのゲームのサウンドは外にいても良く聞こえてきました)にちょっと珍しい面セレクトが出来る基板(1面〜20面までの好きな面からスタート出来る)を組み込みました。
そして応接室にはアメリカで発売された難易度が高いバージョンを入れました。
アメリカだけにブロックの配置もアメリカ国旗の面があったりタイトーの初期を代表するゲーム「ちゃっくんぽっぷ」のキャラクターを模した面が出てきます・・・が非常に難しいです。
私も未だ全面クリアしていないです・・・。







他にもプレイヤー3、プレイヤー4はセガのメガドライブ用コントローラーを使用することでかなり強引ではありますがテーブル筐体でも4人同時に遊べる「ガントレット」、ただの「沙羅曼蛇」「アサルト」ではなく捻りを利かせたバージョン(「アサルト」はコンパネからして特殊ですが)を用意しました。
今回はマニアックなゲーマーが集まるであろうと思い「リブルラブル」「グロブダー」も稼働させました。
「Ms.PAC-MAN&GALAGA」はアメリカで2000年に稼働していたゲームだそうです。
実はこのゲームには「隠しコマンド」がありまして、それをゲームスタート前に入力すると元祖「パックマン」が遊べたり、それも含め3つのゲームの別バージョン(自分のスピードが激速になったり「ギャラガ」は猛烈に連射が出来るようになったりする)が遊べるようになります・・・が残念なことに途中で基板の調子がおかしくなったので普通の「パックマン」に変更することになりました。





こんな感じで用意した次第ですが、果たして皆さんに受けるかどうか、実は直前まで非常に心配でした。
しかし蓋を開けてみると過去に見たことがないくらい大盛況となりました。
マニアの皆さんはご存知だと思いますが、バブルシステムのウォーミングアップ(このシステムは本当に基板が暖まらないと起動しない→故に冬場は起動に物凄く時間がかかります)時に流れる名曲「モーニングミュージック」を皆さんに聞いてもらいたい・・・んだけど20人近い人が事務所2階応接室に入ったらマジで床が抜けるんじゃないか、と心配でしたが、全然大丈夫でした。
時間差をつけて「グラディウス」「ツインビー」をそれぞれ稼働させて都合2回「モーニングミュージック」を皆さんに聞いて戴きました。
自分で言うのも何ですが、贅沢でしょ!?





後は応接室と旧事務所を自分の好みで行ったり来たりで楽しんでもらえたんじゃないかな、と思います。
どのゲームも万遍なく稼働していたように思うのですが、「リブルラブル」が大人気だったのが印象的でした。
こんなマニアックな(でも凄んごく楽しい)ゲームがガンガン動いてるとは・・・感無量でした。







そうこうしている内にお昼になってしまいました。
昼食は新田辺駅前のお好み焼き屋「ももたろう」
普段私もよく食べに行ってる店ですが、この日は近所で開催されていた「木津川マラソン」の影響で普段ガラガラの駐車場が軒並み満車で往生しました。
残念ながらここで時間切れとなった会員No.92プラウドローさんが次の目的地に向かうため離脱、しかし入れ替わるようにNo.52れみぃさん、No.53てのりぞうさん夫婦が合流しました。
お好み焼きの本場は大阪だと思うのですが、ももたろうのお好み焼きは本場に負けない美味しさで関西以外の地方から来られた皆さんに(勿論関西の皆さんにも)絶賛されていました。







午後から再び応接室&旧事務所に戻り再び皆さんゲームに興じられました。
しかし遠方から来られている皆さんはそろそろ帰りの時間を気にしないといけなくなりまして、流れ解散的に帰路に着かれる方も出てきました。
最後まで残られたのは名古屋勢3人、れみぃさん&てのりぞうさん夫婦、会員No.100ながれさん、そしてヒジヤン会長でした。
名古屋勢は直接車で帰路に着かれ、れみぃさん&てのりぞうさん夫婦はJR学研都市線で大阪へ、ヒジヤン会長は近鉄新田辺から京都駅へ向かわれることになりました・・・が、最後の最後に全員で近所のスーパーにある寿がきやのラーメンを食べることに。
早退された会員No.146ぞーさん&No.170だんなさんの食いしん坊コンビが大阪に向かわれる前に行きたいとリクエストされていてそこまで案内して我々は事務所に戻ったのですが、結局我々も行ってしまったという次第・・・。
食後皆さんをそれぞれの駅まで送ってながれさんが私を事務所まで送っていただきまして全ての予定が無事終了しました。

気が付けば3日間あっという間に終わってしまいました。
振り返ってみると段取りから色々と大変でした。しかし皆様の多大な協力と「愛」で私が当初想定していた以上に何もかも上手く行ったのではないか、と思います。
そうです、今回の全日本テーブル筐体愛好会京都会議、最初から最後まで参加者の皆さんの「愛」に溢れた素晴らしい「会議」になりました。
その「愛」の対象はひたすら「ゲーム」「飲み食い」(あと「カラオケ」と「ペロペロキャンディー」・・・!?)だったのかもしれませんが、それがこれだけの盛り上がりを見せたのは皆さんの「愛」これに尽きるのではないでしょうか。




(沢山のお土産ありがとうございます!!!)



参加されました皆様、3日間本当にありがとうございました!!!
是非次の機会も、とのリクエスト沢山受けておりますが・・・やらなきゃいけないよね!?


| http://koyama-kaikei.jp/index.php?e=77 |
| ゲーム関係 | 07:02 PM | comments (0) | trackback (0) |
全日本テーブル筐体愛好会京都会議(2日目:2/3(土)))
前回の続きです。


(↑:前日にテレビ大阪に出演されていたヒジヤン会長)

2日目の朝に遂に新潟から会員No.1のヒジヤン会長がやってきました。
朝早い時間に夜行バスが京都駅に到着するとのことで私と京都在住の会員No.100のながれさん(うちの事務所の顧問先の社長でもありますが、昨年2回目の参加となった「とりいもと宿場まつり」のお手伝い等公私共に本当にお世話になっております)とで早速早朝から合流しました。
そのまま皆さんの宿泊されているホテルに行って合流して朝食に出かけました。
行先は京都駅から少し東に行った場所に朝5時から開いている「京都たかばし本家第一旭」という有名なラーメン屋です。
ここは非常に美味しいので全国各地から来られた皆さんに味わってもらいたい、それもいきなり朝からラーメン、いわゆる「朝ラー」を体験してもらいたいというオプショナルツアー(全員参加ではなかった)です。





いつものことですが、朝7時過ぎで既に行列が出来ていました。ただ行列はそれ程長くもなくすぐ店内に入れてラーメンを戴くことが出来ました。
私的には相変わらずの美味さでしたが、全国各地から来られた皆さんは悉く絶賛されていました。



実はここ第一旭の隣にはこれまた有名ラーメン店である「新福菜館」の本店があったりします。
ちょっと前まで朝7時から営業していたのですが最近営業開始が遅くなりました・・・が何故かこの日は朝7時半頃から開店しており、第一旭でお腹が膨れているはずなのにメンバーの数人が新福菜館にゾロゾロと入っていきました・・・。
いや、確かにこちらも美味(しかもチャーハンも美味い)なんですが、いきなり朝からラーメン屋ハシゴですか・・・こりゃ今日は大変なことになりそうだ、と思いましたよ・・・。









そんな訳でお腹も膨れた所でメンバー全員京都駅に移動、ここからJR奈良線のみやこ路快速でJR奈良駅に向かいました。
途中鳥羽街道の旧任天堂本社(ここでデバッグや難易度調整を行っているそうです(株主総会議事録より))や宇治の茶畑という京都〜奈良間ならではの風景に皆さん見惚れておられました。



JR奈良駅を降りて数分の所にあるゲームセンターCUE奈良三条店、ここが最初の目的地です。
昨年から4階にあるレトロゲームコーナー(実は昔から存在はしていました)が大幅に拡充され、全国からレトロアーケードゲームファンが集い連日大盛況となった新名所です。
数年前から首都圏にはレトロアーケードゲームを売りにしたゲームセンターがあちこちに出現していましたが、首都圏だけじゃなく関西も熱い、という昨年のムーブメントを象徴する店になりました。
昨年末にはレトロアーケードコーナー担当者様が主催の常連さんによる忘年会も開催されて(実は言い出しっぺは私なんですが・・・w)大盛り上がりになったのも記憶に新しいです。
ここで奈良在住の会員No.85のQ.Pさん(あれ?名札はNo.80になってるぞ!?)、No.164のMitsu Kaguさん親子が合流しました。
Q.PさんとMitsu Kaguさんはながれさんと一緒に昨年1月の暴風雪の中新潟で開催された全日本テーブル筐体愛好会新年会(part1 part2)に関西から参戦して以来の仲です。









到着するなり皆さん思い思いのゲーム台に貼りついておられました。
やはり予想していた通り滞在予定時間をオーバーしてしまいましたが、皆さん満足だったのではないでしょうか。
しかもレトロアーケードコーナー担当者様から皆さんにお土産まで用意していただきまして驚きました。
このフレンドリーさがこの店の売りなんじゃないか、とも思うのですが。





一路奈良を後にしてJR関西本線の大和路快速で次に向かったのは大阪の天王寺駅。
ほとんどの皆さんは朝から爆食してるので昼食なしで次の目的地に向かうことにしました・・・が、ここで何と山形から飛行機で大阪に来られた会員No.24のnumaさんが日本橋にあるゲームセンターKINACOに到着したとの連絡が入りました。
当初の予定を変更してKINACOにてnumaさんと合流することにしました・・・が、天王寺から日本橋まで地下鉄で行くと乗り換えがややこしいので結局歩いていくことにしました。
旅行の荷物を沢山持っておられる皆さんには悪いことをしたかもしれませんが、天王寺動物園〜ジャンジャン横丁〜(後でまた訪れますが)新世界〜通天閣〜日本橋を歩いて巡るのはめくるめく典型的な大阪の風景を楽しめて良かった&食い過ぎのお腹を減らすのにもちょうど良かったのでは、と思うのですが。









この道中には関西のレトロゲーセンブームのきっかけになった(であろう)名物ゲーセン「ザリガニ」があります。
名前からしてインパクト大なこの店、文字通りザリガニの如く次々店舗が増殖していて、あちこちに強烈なインパクトの看板の店を出しています。その怪しさも大阪ならではなのかも。
とうとう5号店まで出来たそうですが・・・場所わかるかっつうの!!!
個人的には「テトリスおじさん」(「テトリス」が滅法上手い60代の常連さんがいる→かつて朝日放送「探偵!ナイトスクープ」でも取り上げられています(2016年4月8日OA分))で有名な「かすが娯楽場」にも行きたかったのですが、時間の都合で寄ることはできませんでした。
ザリガニの各店舗もあまりじっくりとは居られませんでした(最終日に再度行かれた方もおられました)。
日本橋にある中古ゲームショップ等にも寄る予定でしたがこれらも店の前を通過するだけで終わりました。
これらを全て周る当初の予定はやはり無理があったのかも。











そんなこんなで歩き倒して(この日私のiPhoneの計測では約2万歩歩いてたみたいです・・・)やっとKINACO(facebook: https://www.facebook.com/kinacogames/ twitter: https://twitter.com/kinacogames)に到着しました。
ここは極めてユニークなゲームセンターで、主にアメリカ製(アタリ製が多くなりますね)のアップライト筐体のレトロアーケードゲームに特化した店です。
一時期アタリとナムコが緊密な関係にあったためナムコ経由で「マーブルマッドネス」「ペーパーボーイ」と言ったアタリ製ゲームが置いてあったのは私も当時見ていますが、それら以外にも見たことがないゲームが山ほど置いてあります。
ここには私もかつて何度か来ていますが、日本のゲームとは全くアプローチが違うアメリカのレトロアーケードゲームは斬新で実に面白いです。
私は今回「フードファイト」(食べ物を投げて敵にぶつけて倒すというゲームだから許される(?)コント番組みたいな無茶苦茶なゲーム)にのめり込んでました。
このゲームは面セレクトが出来て何と最終面のレベル125をいきなり遊べたりもしますが、これがあまりにも凄すぎて・・・。機会があればやってみて下さい。

numaさんと無事合流出来たのですが、ここで会員No.52のれみぃさんも急遽合流しました。
れみぃさんは大阪在住で、実は3年前のゴールデンウィークにヒジヤンさんが京都は山科で開催されたレトロアーケードゲームのイベント(私もサポートで参加しました)に来られた際初めてお会いして以来久々の再会でした。









気が付けば午後3時を過ぎていてお腹が空いた方も出てきましたので、早速れみぃさんにKINACOの近くにある「ちょいめしあさちゃん」という食堂に案内してもらいました。
「ちょいめし」と言っておきながら破壊的な量且つ美味しい料理がリーズナブルな値段で楽しめる(&随所に溢れる大阪ならではの無茶苦茶な張り紙)という正に食い倒れの街大阪(本家の「くいだおれ」はもうなくなっちゃいましたけど・・・)を象徴するようなお店でした。
しかしこの後程なくして晩飯もあるというのに、みんなそんなに食べて大丈夫なのか、と・・・。
私は先日高血圧を嫁に半殺しにされそうなくらい激怒されましたので焼きそばだけにしておきましたが・・・。









お腹が膨れた所で次に向かったが心斎橋のシルバーボールプラネット
'70年代のクラシカルなピンボールから最新のピンボールまで何と新旧100台以上のピンボールが遊べるという凄い場所。こんな場所日本中探してもないんじゃないか、と思います。
私も過去に何度か来ていますが、個人的にはミュージシャン関係のピンボールが大好きで今回もそればかり遊んでました。
他にもゲームや映画、アメコミその他様々なものをモチーフにしたピンボールがズラリと並んでいましたので、皆さんそれぞれに思い入れのあるピンボールで楽しんでおられました。
ここに行くルートもれみぃさんが当初私が考えていたルートとは違う最短距離を案内して下さいました。さすがは地元民。本当に助かりました。

夜になって新世界に戻りましてここで遠路はるばる新潟から軽自動車で、しかも高速を使わず十数時間かけて大阪までやってきた(大阪は初めてとのことでした)会員No.150の奈夢子つうさん、更に仕事の都合でここだけの参加となった会員No.211(この日に登録されました)のひなたくさんと合流しました。
更には昼間に会員No.92のプラウドローさんを拉致していた(?)皆さんも合流しました。







夜の宴会は「串カツバイキング大統領」
この店は自分で串カツを揚げて食べるというスタイルです。
当初1時間だけでしたが、サービスで時間無制限、飲み放題も90分に延長という大盤振る舞いになりました。
人数も急遽増加したのですが、店に余裕もあって何とかなりました。
正直あれこれ予定変更になって焦りましたが、前日晩に続いてまたしても大盛り上がり。
しかし串カツってそんなに食べてないはずなのにお腹一杯になりますね。他の皆さんはちょっと前に山盛り食ってるはずなのに大丈夫だったのでしょうか・・・!?



この頃からtwitterのトレンドランキングで「テーブル筐体愛好会京都会議」が何とトップに躍り出るという(そんなこと意識してなかったのに)現象が起きていました・・・。
しかし朝から晩まで飲んで食ってばかりでゲーム関係ないやんとか全然京都ちゃうやん・・・てな具合に一部ではdisられる有様。まあしかしそれも含め何かしら受けていたのは事実でした。





宴会終了後動物園前のビジネスホテル太洋にチェックイン。二人部屋で4500円という破格の安さ。
当然素泊まりですが、大浴場もあります(但し営業時間が短くて入れませんでした)し、正直悪くない。トイレは共用ですがちゃんとウォシュレット完備でしたし。
何でそんなに激安なのかというと、部屋が狭いんですよね・・・。けどそれがまたいい味出してました。
手書きの注意書きがこれまたいい味出してました。





夜はこれから、という訳でPM10:00からフリータイムで予約していたカラオケに突入。
皆さんの歌を聞くのは初めてでしたが、正直皆さん上手い・・・!!!
特にB’zやビーイング系に強いヒジヤン会長とまたしても途中から単独行動に出てペロペロキャンディー貰える場所に行ってスッキリしてきた(「新世界 ペロペロキャンディー」で検索してください(苦笑))かつてバンドもやっていたプラウドローさんのヒムロック(氷室京介)は圧巻でした!!!
これに対抗するためには私も切り札の「ボヨヨンロック」を出さざるを得ませんでしたよ・・・。

そんな訳であまりにも濃厚になってしまった二日目も無事(?)終了、いよいよ最終日を残すだけとなってしまいましたが・・・ここまで凄まじく長くなっちゃいました・・・(苦笑)
呆れないで最終日も楽しみにしてて下さいね。

※今回参加者の皆さんが投稿した写真も使用させていただきました。ご了承くださいませ。


| http://koyama-kaikei.jp/index.php?e=76 |
| ゲーム関係 | 08:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
全日本テーブル筐体愛好会京都会議(初日:2/2(金))




去る2/2(金)〜2/4(日)の3日間、「全日本テーブル筐体愛好会京都会議」なるイベントが開催されました。
・・・というか主催したのは実は私でしたので、「されました」というのはちょっと語弊があるかもしれません。

このブログでも何度か登場している「全日本テーブル筐体愛好会」(会長のブログ「テーブル筐体な日々(http://bz504178zb.blog.fc2.com/)」 最近はYouTubeチャンネル「全日本テーブル筐体愛好会電影箱(https://www.youtube.com/channel/UCh0qRuHA8Y3uvN4GLzvqM5g)」も始まっています)、今や会員数が200人を超える大所帯となったのですが、どこからともなく上がった「一度関西でイベントやってみたい」との声に応える形で私が企画を立ち上げました。
昨年あたりから関西でもレトロアーケードゲームを並べたゲームセンターが続々オープンして活況であること、そして私の事務所2階の「応接室ゲーセン」及び旧事務所の急ごしらえなゲーセンに一度遊びに行きたい、というリクエストも多くの皆さんから受けていましたので、これらを全国の皆さんにまとめて見て&遊んでいただければ、との思いを叶えるべく企画をスタートさせました。

実は数か月前から準備を開始していました。
というのも、最近はインバウンド(訪日外国人旅行者)が激増していて特に京都や大阪では宿泊施設の需要が逼迫していて全国各地から来られる皆さんのための(それもなるべくリーズナブルな)宿が確保できるかどうかが気がかりだったからです。それに当初人数も全然読めませんでしたので。
私は頻繁に外泊することがないものでホテル等宿泊施設の相場を全然知らないも同然です。なるべく安いに越したことはないのですが余りにもチープ過ぎて顰蹙を買ってしまうのもマズいですし、かなり悩みました。
しかし探せば色々出てくるもので、とりあえず初日は京都駅の近くのホテルを、2日目は大阪・新世界から近い市営地下鉄動物園前駅の近くのホテルをそれぞれ20人分押さえることが出来ました。
次に宴会のセッティングです。
初日と2日目の夜、及び最終日の昼は予約しました・・・が、人数が最後まで非常に流動的で調整がなかなか大変でした。しかも2日目と最終日は飛び入り参加的な人も加わってしまいました・・・が、何とか上手く帳尻を合わせられました。
今回は食いしん坊な方もちらほらとおられました(アルコールにうるさい人が少なかったのは幸い?→多分私が一番うるさい(苦笑))ので、そんな方にも満足して戴けるような店を選ぶのもなかなか大変でした・・・が、結果的には上手く行ったかな、と思います。





準備段階で参加者の皆さんが様々な形で協力して下さったのは凄くありがたかったです。
会員No.150番の奈夢子つうさん(2日目に何と軽自動車で新潟から、しかも高速を使わずに十数時間かけて大阪まで来られました!!!)は今回の参加メンバーの名札を作って下さいました。
pdfデータを送っていただいて私が用意した名札ホルダーにそれを印刷して入れて完成。余りの出来の良さに皆さん大喜びでした。
あと今回残念ながら参加できなかった方からは地元の特産品(?)を差入れとして送っていただいたりもしました・・・が、あまりにもバタバタしていてそれを皆さんにご披露&ふるまうのをすっかり忘れるという大失態を犯してしまいました・・・。
差入して戴いた方に謝ると共に今後開催される愛好会のイベントに持って行くことをお伝えしておきました。









そんな訳でいよいよ初日が始まりました。
全国各地から10名が集まりました(2日目以降どんどん増えていきます)。
初日は夜に京都駅に集合して「天下の焼肉大将軍 京都駅前店」にて宴会です。
久々の再会を祝してこの会では何故か皆さん抱擁し合うんですよ。これ最初は恥ずかしく感じますけど、慣れるとマジで嬉しいんですよねえ。



実はこの日凄いタイミングで会員No.1番(会長なんで当然ですね)のヒジヤンさんが何とテレビ東京系「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」に出演されるという一大事がありまして、焼肉食べながらスマホ経由で自宅で録画した番組を皆さんで視聴したりといきなり超盛り上がりでした。



宿泊される皆さんはホテルにチェックインされてまだまだ食い足りない、という食いしん坊の皆さんで近くのラーメン屋に行きました。
典型的な京風ラーメンに皆さん大満足。何か2杯ラーメン食ってる人もいたような・・・。

そんな訳でまたしても長くなりそうですので、今日はここまで。
っつうかここまでただ飯食ってラーメン食ってるだけなんですが・・・(苦笑)
続きをお楽しみに。


| http://koyama-kaikei.jp/index.php?e=75 |
| ゲーム関係 | 09:02 PM | comments (0) | trackback (0) |
今年の目標・・・というかやらないといけないこと
早いもので今年も1ヶ月が過ぎました。
例年今年の目標を一応書いていたりしますが、今年は目標というよりやらねばならないことが出てきました・・・。

私は結構占いを信じるのですが、今年の私の運勢はどれを見ても「健康に気を付けろ」と書いてありました。
確かにそんな年齢に差し掛かってきたんだよな、と軽い気持ちで考えていたのですが、3ヶ月に一度定期的に通っている病院にてどうも血圧が高いと指摘され、初めて降圧剤を出されました。
血圧は昨年くらいから上昇していました。しかし昨年の健康診断では上が120、下が80と全然正常値が出ていました。
しかし今年になってどうも高めの数値が頻繁に出るようになっていました。

私も悪いのですが、今までそれを妻には話していませんでした。
しかし病院でもらってきた薬等を家の玄関に放置しておいた中身を見て妻が激怒、更にその場で血圧測れ、と言われて測定してみた所何と上は200オーバー・・・
半殺しにされるんじゃないか、と思うくらい妻にめちゃくちゃ怒られました・・・。
ついでに妻の血圧まで上がってしまうというオチも付いてしまったのですが、さすがに200はヤバい、と私も悟り、急遽ダイエットを開始することになりました。

考えてみると私は今までまともに痩せようと努めたことがないんですよね。やはりお酒の量が凄かったんだと思います。
そんな訳で幸い新年会等も一段落しましたので食べる量をかなり減らしてお酒も飲まないように努め始めました。
いや、あれだけ怒られたら食う気も飲む気も失せてしまいましたよ・・・。

そんな訳で今年の目標、というかやらねばならないことはズバリ痩せることと血圧を下げることです。
ダイエット開始して約3週間ですが、いきなり3kg体重が減りました。今は更に1kg落ちてますが、そこからはなかなか落ちないですね。元々の体重が多すぎたのでしょう。
あと10kgは落とさないといけないそうですが、そこまで落とした所で諸数値が回復するかどうかはわからないです。けどそんなに言うならやってやろうじゃないの、とは思っています。

それと血圧上昇の大きな原因として、塩分の摂取が多いことも挙げられます。
散々ここで触れてますように、私は滋賀県彦根出身なのですが、味覚的には京都の隣ですが完全に北陸エリア(大津や草津なら京都の味付けに近いらしい)、すなわち濃い目の味付けになります。
確かに幼少期から母の濃いめの味付けに慣れてしまっていて未だ濃い目の味付けでないと気が済まない、それも生粋の京都出身でただでさえ薄いのに更に薄め(いくら何でも薄すぎるだろ、と言いたくなるくらい)の妻の味付けには未だ違和感を覚えるのですが、もうそろそろ慣れるか辛抱するかしないといけませんね。
唐揚げには塩をかけるのではなくレモン汁をかける、といったちょっとした工夫を重ねていくことも必要かもしれませんね。

また急激な温度変化にも気を付けないといけません。
今までは自宅⇔事務所の移動もちょっとの距離なので、と上着も着ずに行き来していましたが、ちゃんと上着を着るようにしたり風呂に入る時は着替える部屋はストーブで暖めると共に風呂場もたまたま最近付けたガスの暖房を付けるようにして寒暖差を極力なくすように努めています。
そんな年寄りみたいなこと気を付けるのか、とは思わない方がいいんじゃないでしょうか。もう私も若くはないですし。

降圧剤は飲み始めて1週間程で効き始めました・・・が、ちょっと効き過ぎかも。
というのも夜になると血圧が上は100、下は40程度にまで下がってるんですよ。しかし朝は上が140、下が90程度とやはり高めです。

これから確定申告期に突入して夜の予定はなくなりますので、更に体重を減らすには絶好の機会かと思います。
しかしその後またいつもの様に飲み食いしていたらまた逆戻りしてしまうでしょう。
そんな訳で今までのようなノリでなくなってしまって皆さんにご迷惑をおかけするかもしれません(?)が、こういう事情を汲み取ってご理解いただければ、と思います。
よろしくお願いいたします。

| http://koyama-kaikei.jp/index.php?e=74 |
| 日々の雑記 | 10:57 PM | comments (0) | trackback (0) |
良いお年を
今年は下半期非常に忙しくなりましてここの更新も年の瀬押し迫った大晦日になってしまいました。
本当は前回の続きのトランペットの話をしたいのですが、また今度ということで(原稿は書き始めているのですが途中です・・・)。

今年は様々な場所で多くの出会いがあった年だったなあ、と思います。
それも下半期多忙になった理由の一つかな、と。
この多くの出会いを来年更に深めていければ、と考えています。

短いのですが、毎年恒例の伏見稲荷大社の年越し初詣がありますのでそろそろ寝だめしたいと思います。
年末年始休暇期間に入ってからやはり連日夜更かししてましてあまり寝てませんので・・・。

今年も1年間皆様には大変お世話になりました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
それでは皆様よいお年を。


| http://koyama-kaikei.jp/index.php?e=73 |
| 日々の雑記 | 02:20 PM | comments (0) | trackback (0) |
Childhood's End(Part 4)
不定期に幼少時代を振り返るシリーズ第4弾、今回は中学時代の部活の話です。
今年に入ってからほとんど忘れかけていたこの時代の記憶と共に、まさかこんな形であの頃やっていたことと再び向き合うことになろうとは・・・。

滋賀県時代の中学校はクラブ活動強制で生徒は全員何かのクラブに所属しないといけませんでした。
中三で引っ越した京都の中学校では強制ではなかったこともあって当時はクラブ活動を強制するのはどこもかしこもやってる訳でもないのかな、と思っていたのですが、最近は内申書にも反映される等むしろクラブ活動強制の流れが強くなっているのだそうですね。当然それに対する反対意見も出てきています(例: 「なぜ中高の「部活動」は"強制"になったのか?」http://toyokeizai.net/articles/-/83623)が、とにかく大人の言うことは絶対正しいと信じ込んでいた糞真面目な当時の私はクラブ活動強制はとても嫌だけど仕方がない、と思っていました。
クラブ活動で集団の中でのふるまい方や規律を学ぶという意味では強制は必要なことなのかも、とも思えるのですが、たかが中学生にそこまで高い意識を求めるのもどうよ、と言いたくもなります。
私もそうでしたがそんなに意識が高くない生徒にとっては苦痛以外の何物でもありません。
あと私の通っていた中学校は生徒数が少ないということもありクラブの種類も極めて少なく選択肢が限られるという問題点もありました。
以前から触れているように破滅的に運動神経がなくスポーツが超苦手な私にとってこれは深刻な問題でした。
人間誰しも得手不得手があるのに、それを顧みない教育方針には非常に疑問を抱かざるを得ないですね。
最近はネット上で同じような悩みを抱いていた人の発言を目にすることが多くなりました。
今でこそ問題を共有できる環境が整ってきたのですが、昔は一人一人がこの悩み/恨み/怒りの気持ちを誰にも伝えられず悶々としながら心の奥底に仕舞っていたんです。
教育関係者には猛省を促したいと共に当時そんな悩みを抱く必要のなかった人たちにはそんな我々の切ない気持ちを理解してもらいたいと強く願います。

そんな訳で結局消去法で私はブラスバンド部に入ることになりました。
本当は何もしたくなかったのですが、強制加入なので仕方がありません。
敢えて選択した理由を挙げれば、他の運動系のクラブは土日もなしで練習していたのですが、ブラスバンド部は基本的に日曜は休みだった(たまに日曜も練習があったかも)ことですかね。
他のクラブが土日なしで練習していたのは、んなもん将来社会人になったら土日も返上して仕事しないといかん時もあるぞ、という教育的配慮だったのかもしれません。当時はともかく今からみると完全に時代遅れな考え方だと思うのですが。
入部してまず担当パートを選ぶことになったのですが、私はトランペットを選びました。
理由は・・・何だったんでしょうかねえ?多分ほとんど女子ばかりの中男子部員の先輩がトランペットにいたからでしょうか?
トランペットを担当することになったのはいいのですが、まず音が出せるようにならないといけません。
トランペット等金管楽器はマウスピースで如何にして音を出せるようになるかが要なのですが、ちょっとしたコツを掴めば音は出るようになると思います。
そして1学期の夏休みにトランペットの中での担当パート(1st〜3rd(1stが高音域を担当する→必然的に目立つ主旋律を担当することになるが難易度も高い))が決まったのですが、その時私は変な病気で絶対安静状態になっていました。夏休みの期間練習にも行けなかったのですが、担当の先生から電話で連絡が来て私は1stパートになりました。
普通喜ぶべきことだと思うのですが、全然嬉しくも感じませんでした。
というのもこれも今では考えられないことですが、とにかく当時はどれだけ勉強が出来ても音楽や美術が良く出来ても子供の世界ではスポーツが出来てなんぼでしたので。
私が一人で勝手に思い込んでいただけなのかもしれませんが、他のスポーツが出来る同級生と比してスポーツが出来ないんでブラスバンド、という入口からして当時感じていた劣等感は半端じゃなかったんです。そんな中でリードパート任せられた所で大したことないだろ、と。
基本あの時代スポーツが出来ない奴には居場所がなかったんですよ。まあ今からすると何でそんなつまらないことで悩んでたんだ、と言いたくなりますが。
今やブラスバンドも運動系のクラブ並みに花形だと思うのですが、少なくともあの時代のあの学校ではそんな印象は抱けませんでした。
実は当時でも市内の他の中学校のブラスバンド部をコンクール等の機会に目の当たりにすることもあったのですが、人数も多く編成も豪華でしかも技量も凄かった、それに比してうちは・・・と痛感したこともありました。
んなもん今の私だったらじゃあどうすれば他の中学に勝てるか、と真剣に考えていたと思うのですが、当時の私にはそこまで考える能力も器量もあるいはみんなをまとめるリーダーシップもなかったですね。いや、そもそもそんな発想が出てこなかったことでしょう。言われたことしかできませんでしたし、言われたことだけやってりゃいいや、と思ってましたから。

そんなこんなで滋賀県の中学には中二まで通っていてその2年間トランペットと向き合う時間はかなり長かったと思います。しかしあまり乗り気ではなかったです。
練習時間は非常に長く苦痛に感じていました。運動会の開会式で全校生徒の前でファンファーレを吹いたり文化祭では当然バンドで演奏もしていましたが、当時は音楽自体が今よりステイタスが低くてそれで人気者になれたのか、というとそんなことは全然なかったんじゃないか、と。
まあ私自身の意識があまりにも低すぎて自虐的になっていたのかもしれません。だって全校生徒の前でしかも1stパートの一番おいしい所吹いてるんですよ?あの頃の私が自分でも情けなく思えてきます・・・。

曲りなりにも2年間トランペットを吹いていたのですが、京都の中学に中三の4月というまた非常に微妙な時期に転校して全く違う環境に入って実はここでも一応ブラスバンド部に入っていたと記憶しています・・・が、とにかくめちゃくちゃに荒れていた学校で(本を読むのが大好きだったのに図書館にはカギがかかっていました→蔵書が盗まれるから・・・)クラブ活動もかなり適当にやっていた(一部陸上部等当時から非常に活発なクラブもありましたが)ので一応所属はしていましたがまともに練習すらしていなかったような。
その内高校受験等で忙しくなり自然に足が遠ざかっていきました。
高校にはブラスバンド部はなくクラブ活動も強制ではなかったのと余りにもカリキュラムがハード過ぎて(中高一貫校に途中から入ったのですが内部生は中三で高一のカリキュラムまで終えているのでそれに追いつかないといけなかった)高一の1学期で早々にドロップアウト・・・今回の話とはあまり関係がないので以後の話は割愛しますが、とにかく実質2年間という短い期間でしたがその間のかなりの割合の時間を割いて取り組んでいたはずのトランペットはいつの間にやら忘却の彼方に消え去り、30年近い月日が流れてしまいました。

・・・すみません、またしてもえらく長くなってしまいました。
30年間忘れていたはずのトランペットがまさかの復活、という話は次回にしますね。

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| 昔話 | 11:53 AM | comments (0) | trackback (0) |
15年
早いもので今日で私が税理士登録してからちょうど15年になりました。
期間の長さだけでいうと私の父が税理士をやっていた期間に並んでしまいました。
そんなになるんだ、と思う一方確かにそれだけの期間は経っているよな、とも思えます。
ただその期間何かしら重い物をずーっと引きずり続けていたような気がします。

というのも、父が病気で亡くなり急遽私が事務所を引き継がなくてはならなくなったからです。
それ以前に実は私がようやく会計士の二次試験(当時)に合格した時は合格発表の1週間前に父が食道がんにかかっていたことが判明、更に前年から始まっていた会計士補(当時二次試験に合格した人がなれる資格)の(その後何度も繰り返されましたが多分初めての)超就職難に巻き込まれ監査法人に就職できなかった(確か私が合格した年は関西で150人くらい合格したが就職できたのはその中で50人程度だったと記憶しています)というダブルパンチで合格の喜びを完全に叩き潰されたという経験がありました。
本当は非常にナイーブな私にとってあれは辛すぎました。折角苦労して受かったと思ったら何でそんな仕打ちを受けなければならないのだ、と・・・。
幸いその時の父の手術は成功して一命を取り留めました。またどこかで業務補助をしないと会計士三次試験(これに受からないと会計士になれない→それ故に税理士登録もできない)の受験資格を得られないのですが、その問題も近所の金融機関経由で非常勤で監査法人に働くルートを紹介していただくことが出来て何とか最低限の解決はできました(しかし期間が短かったので監査実務はほとんどやってないに等しい→普通の人は苦労しない三次試験で非常に苦しめられることになりました)。
しかし父の病気が4年半後に再発、それがわかった時点でもう手遅れと診断されてそれから3週間後に父は急死したのです。

実はこの時点で私は三次試験にまだ合格していませんでした。
この事務所存続の危機の時助けて下さったのが私の叔父でした。
元々父が業務補助の際既に税理士として成功されていた叔父の事務所に勤めてそこから暖簾分けする形でスタートしているのですが、再度お世話になることになりました。
叔父は私が三次試験に合格するまでは面倒見る、とおっしゃって来ていただきました(自分の事務所は既に一緒に働いておられた私のいとこに譲られました→そこまでして私の面倒を見ていただくことになり非常に恐縮でした)。それから2年後ようやく私は会計士三次試験に合格、晴れて公認会計士/税理士登録してやっとスタートすることになったのです。
二次試験の時があんなことになっただけに三次試験合格の喜びは殊の外大きかったですね。

しかしすぐに厳しい現実と向き合うことになりました。
そもそも私の父と取引していた顧問先の社長は当然私の年齢と比して親子くらい離れている所がほとんどですし、やはり「あんたのお父さんと付き合ってたんだからなあ」という感じで見られていたと思います。そんな視線はヒシヒシと感じていました。まだ実務経験も浅く本当に右も左もわからない「ひよっこ」の私にとっては物凄いプレッシャーでした。
しかしそれに怯んでる間もなく次から次へとやらねばならないことが増えていきます。その中にはこれは私でないと解決できない(非常に特殊な事情があって多分父も知らないことが出て来たりした)のでは、と思うようなこともありそれらを苦労して解決していく内に私自身も信頼を得られるようになったのでは、と感じましたし少しずつ自信も付いていったような気がしました。
更に父の死は本当に突然だったため父が途中でやり残したことが沢山ありました。中には20年越しの案件なんてものもありました。
しかしそれらも様々な苦労を経て何とか解決することが出来ました(20年越しの案件は苦渋の選択を何とか了承して戴いたという感じでしたが)。
正直どんな案件が来ても何とかなりそうだな、と思えるようになったのは私の名前で事務所をスタートして10年目くらいだったのでは、と思います。
細かいことは割愛しますが父が残した「負の財産」(これもかなりでかかった・・・)を処理するのにようやく目途が付いた時期と重なります。

この間に起きた大きな変化は遅ればせながら私も結婚したことと子供ができたことではないでしょうか。そしてこの変化が私を大きく支えてくれたのは間違いないです。
会計士三次試験に合格して会計士/税理士登録した時点では私は家族を持つなんてことは全然頭にありませんでした。
そんな面倒臭いことしたくないしこのまま独身でもいいや、と思っていたのですが、その直後から物凄い量のお見合いの釣書をあちこちから戴くことになりました。ピーク時は毎週末お見合いしていたような・・・(誰が誰かわからなくなるくらいでした)・・・が、結局ひょんなことで電撃的に恋愛結婚してました。
正直こればかりは決まる時はあっさり決まるもんだな、というのが素直な感想ですね。
あとよく言われるのが結婚したら独身時代の趣味が続けられなくなるのが嫌、という意見ですが、それはやり方次第ではないでしょうか。
確かに結婚してから数年間はそれどころじゃないくらい超多忙な日々が続きましたが、今や独身時代以上に様々な趣味にのめり込んでいるんじゃないか、と思うのですが。
これは妻と趣味の接点が全くないこと及び互いの趣味には不干渉の立場を取っているということも大きいと思います。

5年前にも登録10周年、という内容の記事を書いているのですが、その時に「3代続けて50代では死なない」という何じゃそりゃ?と言いたくなる今後の目標を掲げています。
実は私の祖父は父よりもっと早い51歳で事故で亡くなっています。故に三代続けて50代で死ぬのはさすがに格好悪いだろ、ということです。
しかし間もなくその50代が近づいてきました。現時点では体調は悪くないと思いますし(体重が増えているのが気になりますが・・・)この調子でがんばっていきたいですね。事故はどうしようもないのかもしれませんが。

様々な問題の解決、生活環境の変化を経てこれまで引きずってきた物の重しはようやく無くなったように思えます。
これも全て先代の時代から続いている、あるいは私の代からお世話になっている取引先の皆様、それ以外に普段お付き合いのある皆様、そして家族のおかげだと思います。
この場をお借りいたしまして厚く御礼を申し上げたいと思います。
これからは前進あるのみ!!!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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| 本業関連のこと | 09:40 PM | comments (0) | trackback (0) |
ゼビウスチャンピオンシップ(Part 2)
昨日の投稿の続きです。





正直ハラハラドキドキで予選を何とか通過、午後からのチャンピオンシップ本戦に臨む前に昼休みを挟んで午後1時頃に会場入り。ここでリハーサルを行いました。
リハーサルなんか要るんか、と思っていたのですが、実際色々な段取りがあってこれはこれで必要なんですよね。
ここで今回の司会/ゲストの皆様とも初対面。司会はゲームライターのローリング内沢氏、ゲストは「あそぶ!ゲーム展」監修の馬場章氏(元東京大学大学院情報学環教授)、「ゼビウス」の開発担当者遠藤雅伸氏、そして’90年代から日本のヒップホップシーンを牽引してきた&熱狂的ゲーマーとしても知られるスチャダラパーのBose氏という錚々たるメンツ。


(初めて見ました。当時物の宣伝用幟です。非常にレアだと思います・・・)

そしていよいよ午後2時から「ゼビウスチャンピオンシップ」開始!!!ここからはトーナメント方式になります。
1回戦は3分、2回戦(準決勝)は5分、決勝は7分のタイムトライアルで点数の高い方が勝者、というルール。
ネット等で言われていたのはここまで勝ち上がってくる連中はエキスパートばかり(今回決勝トーナメントに勝ち上がってきたメンバーでカウンターストップ(限界点→9,999,990点)まで達している人が4人いたとのこと→私もその一人ですが(笑))なので3分/5分/7分程度の時間では大して差が付かなくてショボい勝負になるんじゃないか、という見方が多かったみたいですが、まさかあんなことになろうとは私も全く想像だにしていませんでした・・・。



トーナメントの対戦相手はくじで決まりました。私は第2ブロック。
対戦相手はえてやんさん。実は何度かあちこちでお話してる知り合いだったりします&同い年。
そう、今回の大会やはりエントリーしてきたのは私と同世代の40代のおっさん連中がほとんどでした(苦笑)。
そんな訳で第2試合が始まりました・・・が、何と私は1面最後でミス。
しかしえてやんさんも3面でミス。正直えてやんさんミスした場所が悪すぎた・・・。それに救われる形で私が1回戦を突破しました。

他の皆さんの対戦をしっかり見てる余裕はあまりなかったのですが、凄いデットヒートが展開されていたみたいですね。
後で聞いた話ですが'80年代から各ゲーム雑誌(って「マイコンBASICマガジン」と「ゲーメスト」しかありませんが)のハイスコアコーナーの常連だった伝説的ゲーマーが何人か参加していたそうです。
そんな凄腕の方とは幸い(?)対戦することはなかったのですが、会場に来ていた親子連れvs.馬場氏&Bose氏による「エキシビジョンマッチ」(馬場氏の接待プレイ・・・というかありゃ単に下手なだけか(苦笑))でリラックスした後準決勝で私が対戦したのが何と19歳(!)の「よくでる」さん。
「ゼビウス」が発売された時はまだ生まれるはるか前という年齢の若さもさることながら我々おっさん連中とは全く違う攻略法(スペシャルフラッグを確実に出してくるんですよ→我々おっさん連中とは全く違うアプローチで)&若さで押しまくるプレイは予選〜1回戦を見てても驚異的でした。正直こりゃ勝てんぞ、と思っていたのですが、ここまで来たらやるしかない。

準決勝スタートしてからは私がリードしていましたが、またしても2面でミス・・・。
圧倒的に私が不利になってしまいましたが、時間も5分あるしここで私は捨て身で秘策を出すことにしました。
「ゼビウス」は森と森で区切られた「エリア(面)」があるのですが、そのエリアの70%まで進んだらそこでミスしても次の面にワープできます。4面で敵の巨大要塞「アンドア・ジェネシス」が登場するのですが、その要塞が登場してから4面が終わるまで点数の高い地上物が出ないエリアが続きます。空中物は次々飛んできますが、要塞を倒してからここでわざとミスをして5面に進めばまた点数の高い地上物が出てくるのでそれを倒して逆転を狙う、という作戦です。
最後の最後ギリギリで追いついた・・・かと思ったのですが、惜しくも私の負け・・・!!!
・・・この対戦、何と50点差という超接戦ということでベストバウトだったとあちこちで絶賛されたのですが、実は前回の投稿で貼り付けた動画(折角なんで再度貼り付けておきますね→こちらです)を再度よく確認してみると、よくでるさんのスコアは88670点、それに対して私のスコアは実は88510点。実は50点ではなくて160点差だったんですよ。
僅差であるのは間違いないのですが、負けは負けです。そんな訳で私の挑戦はここで終了となりました。

結局決勝戦ではよくでるさんがY-GTOさんを振り切って優勝しました。19歳の若者が百戦錬磨のおっさん連中を撃破して優勝という誰も予想だにしていなかった結末でした・・・。
さすがに最後は両者共バテてきたかな、という感じでしたが、本当にお見事でした。

実は私としてはかなり真剣に優勝を狙っていたのですが、やはり本番には魔物が住んでいる、というか全然本調子ではなかったのであれこれ作戦を考えていたのですが全然出せず仕舞いで終わってしまいました。
先述のわざとやられて先に進む作戦は決勝で出そうと思っていました。
それともう一つ、このゲームに出てくるキャラクターで「ゾルバク」という攻撃はしてこない地上レーダー(200点)があるのですが、これを壊さないと敵の空中物のレベルが上がる、ということを逆手にとってわざとレベルの高い敵空中物を出す、という作戦も考えていました。
レベルが高い空中物は点数も高いのでそれで点数を稼ぐ、という訳ですが、実はレベルが高い空中物にはたった10点の物(「ギドスパリオ」)もあって、そいつが出てきたら外れ、という訳である意味バクチではありますが、練習している際には300点の空中物「カピ」が次々と出てくることが多かったです。決勝戦では両者共12万点台でしたが、私が練習していた時は7分間で15万点オーバー、上手くいけば16万点も超えるんじゃないか、というスコアが出ていました。まあ今となっては全く無意味な話になってしまいましたが&一応ゲストの皆さんがこれらの作戦に関しては解説されていましたね。


(遠藤雅伸氏と私)


(スチャダラパーのBose氏と私)


(遠藤氏とBose氏にサインを戴いた当時物の「ゼビウス」のカタログ→遠藤氏にサインお願いしたら「これにサインするのは勿体ないんじゃないのー?」と言われたのですが・・・)

そんな訳で終了後は参加した選手の皆さんとエールを交換したりゲストの皆さんと歓談したりで和気あいあいとした至福の一時を過ごしました。勿論ゲストの皆さんにサインを戴いたり写真撮ったり。
遠藤雅伸氏が楽屋トークで「「ゼビウス」の点数に意味があるとは思わなかった」と言われていたのが印象的でした。曰く「ゼビウス」は何時間粘れるとかカウンターストップ目指すとかいうプレイスタイルのゲームと認識していたので10点にこんなに重みがあるとは思ってもいなかった、とのこと。
作者が何言ってるんだ、とも言いたくなりましたが、それこそ遠藤氏の代表作には点数は存在するけどその意味があまりない(一定のルールで縛って競争すれば意味が出てきますが)「ドルアーガの塔」(1984:ナムコ)や端から点数が存在しないという意味でも当時としては衝撃的&画期的だった「ドルアーガの塔」の続編「イシターの復活」(1986:ナムコ)なんて作品があるくらいですから、確かにわからんでもないですよね。
それ以前にかつて'80年代に一世を風靡したハドソン(今やコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併されて影も形もなくなってしまったとは・・・)の「シューティングキャラバン」の様に「ゼビウス」でタイムトライアルの競走大会を行うという発想が今までなかったということ、そしてそれが発売から30年以上の月日が流れているというのにこんなに盛り上がってしまった、という事実に驚いてしまいました・・・。









ようやく長い一日が終わってホテルにチェックイン後色々な方と飲みに出かけたりしました。何かあちこちはしごしてたような・・・。
その中には先述の「スペースインベーダーチャンピオンシップ」の優勝者もおられました。「私はチャンプになれなかった」と思わず述懐したりで反省会になってましたね。
まあ遊びと言えば遊びではありますが、今回参加して改めて思ったのはやはり私は本番が苦手だということ、しかし最後まであきらめてはいけない、ということですね。
正直勝負は何が起きるかわかりません。とにかく向かっていくことを忘れてはいけないんだな、と改めて思いました。
これは仕事は勿論他のどんなことについても言えるのではないでしょうか。









翌日は別の用事で都内某所を訪問後帰路に着きました。
天気は快晴で気温も1月とは思えない程暖かかったです。気持ちよくドライブして無事京都に帰りました。

そんな訳で年初から二週連続長距離ドライブ&ゲーム関係のイベントが続き非常に楽しく貴重な経験が出来た&ベリーハードなひと時を過ごすことが出来ましたが、実はこの期間本業関係も超多忙で正直目が回りそうでした・・・。
これから確定申告等で更に忙しい日々が続きます。実はこれが終わってからも様々なイベントが目白押しだったりしますが、具合悪くならないように着実にこなしていきたいと思います。
ここの更新もしばらくお休みですかねえ・・・。

改めて「ゼビウスチャンピオンシップ」のスタッフの皆様、司会のローリング内沢さん、ゲストの馬場さん、遠藤さん、Boseさん、選手の皆様、会場の観客の皆様、当時ニコニコ生放送で応援して戴きました皆様にこの場をお借りしまして感謝の意を伝えたいと思います。本当にありがとうございました!!!

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| ゲーム関係 | 11:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
ゼビウスチャンピオンシップ(Part 1)
去る1月21日(土)に埼玉県川口市のSKIPシティにて開催されている「あそぶ!ゲーム展-ステージ2〜ゲームセンターVSファミコン〜(主催:埼玉県 後援:埼玉県教育委員会/川口市/川口市教育委員会 企画:株式会社デジタルSKIPステーション)」というイベントに行ってきました。
「ステージ2」とあるように昨年は同じ場所にて「ステージ1」と題したイベントが開催されています。
ステージ1はデジタルゲームの誕生から1982年までの代表的なゲーム機(史上初の商用ビデオゲーム「ポン」や日本のアーケードゲームで最大のヒットを記録した「スペースインベーダー」や「パックマン」「ドンキーコング」その他ビデオゲーム黎明期の名作の数々)が実際に触って遊べるという内容で多くの来場者で賑わいました(勿論私も行ってます)。
今回はその続きの時代でサブタイトルにある通りゲームセンターの黄金期でありファミコンが社会現象になった1983年から1990年までのデジタルゲームを多面的に展示(勿論実際に遊べるのは言うまでもありません)していて今回も連日多くの来場者で賑わっています。



実は今回ステージ2に来るのは2回目でした。
一度来ているのに何でまた、と思われた方もいると思いますが、この日「ゼビウスチャンピオンシップ」なるイベントが開催されまして、私もそれにエントリーした、という次第です。
革新的なゲームが次々と発売されたこの時代を象徴するのが「ゼビウス」(ナムコ:1983)でした。発売から30年以上経った今も熱狂的ファンが付いているだけでなく新たなファンをも生み出している超名作のチャンピオンを決める大会です。
因みにステージ1では「スペースインベーダー」(タイトー:1978)のチャンピオンシップ大会が開催されました。こちらからその時の模様はチェック出来ますので興味のある方はご覧になってみては如何でしょうか。

川口市は東京の荒川を超えてすぐの場所で東京都心からも案外近い場所にあります。
京都から普通に鉄道を使っても行ける場所ではあります・・・が、実はSKIPシティは公共交通機関では行きにくい場所にあります。
よって今回敢えて京都から車で行くことにしました・・・ってこのブログを見られている方はわかると思うのですが、前の週は暴風雪の中新潟に車で行った所じゃないの、と・・・かなり無謀でしたが敢えてそうした次第です・・・(苦笑)
いや、新幹線等で行くにしても朝早い時間から会場に行かないといけませんでしたので前泊することにしたんです。それに翌日も予定があって車だと何かと便利なんで。


そんな訳で金曜日仕事を終えて夕刻に京都を出発しました。相変わらず寒いのですが前週末みたいに暴風雪ということもなく快調に進んでいきました。
今回からカーナビを新調したので今まで道なき道をひた走るばかりだった新東名高速道路がちゃんとカーナビにも出るようになったのは嬉しかったですね。
途中何度か休憩を挟んで約7時間で川口に到着。さすがに夜中の2時を過ぎていました&ホテルの駐車場が満車で近くの駐車場を探すのにあたふたしましたが何とかチェックイン。
しかし翌日は先述の通りかなり早い時間に会場に集合しないといけませんのであまり寝れませんでした。





睡眠不足のまま会場に到着しました。
早い時間に集合しないといけなかったのは、予選が開催されるからです。
予選の成績優秀者ベスト8が午後からのチャンピオンシップ大会に参加できるというルールです。予選参加者は31名でした。



予選はゲームスタート後90秒のスコアを競うというルール。そして予選の順番はエントリーの早かった人から、とのことでしたが・・・何と私が一番エントリーが早かったみたいでいきなり私からでした!!!
ちょっと待ってくれよ〜・・・と言いたくなりましたが、一応90秒でどれくらいのスコアが出せるかは練習して感覚は掴んでましたのでとにかく露払いするしかない、と思い予選に臨みました。
ノーミスで90秒で進めるのは2面の途中くらいまで、そしてスコアの要になるのは「スペシャルフラッグ」が出せるか否かで決まります。
スペシャルフラッグは「ソル」と共に「ゼビウス」最大の特徴の一つとも言える元祖「隠れキャラ」、すなわち一見何もない場所を撃つと出てくる敵キャラクターです。
今では当たり前の要素ですが当時計り知れない衝撃をゲーマーに与えました。しかもこの隠れキャラは非常に”おいしい”(ソルは出現で2000点、破壊すると更に2000点入る。またスペシャルフラッグは出現で1000点入って上を通過すると1up(自機が1機増える))ためハイスコア競争において重要な鍵を握ります。
しかしソルは出現する場所が決まっているため場所を覚えていれば確実にゲットできるのに対しスペシャルフラッグは出現場所がランダム(ある程度は出現場所をコントロールできるが)のためこれを出せるか否かがスコアの要になるのです。



そんな訳で私の露払い、何とかノーミスでは行けましたが、肝心要のスペシャルフラッグは出せず・・・。
31人もいたら1000点逃したのはかなりマズいのでは、と冷や冷やしながら他の選手のプレイを凝視してました。
案の状暫定1位(一番最初だから当たり前だよな(笑))からズルズル順位は下がっていきました。



私を追い抜いていく選手は確実にスペシャルフラッグ出していく・・・こりゃ予選落ちか、と諦めかけたのですが、終わってみれば予選7位通過。ほとんど首の皮一枚で繋がったような感じでした。
後で紹介する当日の動画でもコメントしていますが、実はこの日京セラドーム大阪で開催されたGuns 'n' Rosesのライブをキャンセルしてまで臨んだ(前座がBABYMETALだっただけに正に断腸の思いでキャンセルしました・・・)だけに予選落ちだったら何のためキャンセルしたんだ、となっていたのですが、とりあえずキャンセルは無駄にはならなかったですね。
あとこれも動画で確認していただけるとわかると思うのですが、予選の最中とても若い選手がプレイしている際参加者がどよめくシーンがありました。
これを見てゲストの一人が「盛り上がり方もマニアック過ぎてよくわからない」とコメントされていましたが、実はここでこの選手、1面の最後でミスしたのですが、普通2面の最初から再スタートするところバグが発生して2面をワープして3面からスタートしたんですよ。
この面飛びバグは長時間プレイしていると時々出てくるのですが、いきなり出てきたんで皆さんびっくりしたんですよね。
まあゲストの方の指摘通りマニアックな話ではありますが・・・。

そんな訳で今回もまた長くなってしまいましたので続きはまた今度。
当日の模様はこちらで見ることが出来ます。
ネタバレになるかもしれませんが、衝撃の結末は必見です!!!&後半(Part 2)では動画だけではわからない裏話満載でお送りしたいと思います。

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| ゲーム関係 | 09:15 PM | comments (0) | trackback (0) |
全日本テーブル筐体愛好会新年会 in 三条市(Part 2)
前回(全日本テーブル筐体愛好会新年会 in 三条市(Part 1)))の続きです。






何とか落ち着いて新年会関連イベント一発目の地元FMラジオ局「燕三条エフエムラヂオは〜と(76.8khz)」での会長の出演されている番組「キネマカンテツ座PRESENTS カンテツ放送委員会 ゲームセンター768」の見学に参加しました。
既に我々を含め約10名が集まっていました。会長のFM放送を聞くのは実は初めてでしたが、非常に手慣れたDJぶりに驚嘆しました。
私も何度かラジオ番組でしゃべったことはあるのですが(一応京都では誰もが知ってるα-Station(FM京都)に出演したこともありますよ)、あんなに上手くしゃべれるのは羨ましいな、と思いましたね。それと私も自分の好きな曲をかけたいなあ・・・。


昼食は私的にはまいどお馴染みになった料理店「春秋まるい」にて。
ここは会員No.11「のみつ」さんが経営されています。
ここで約30人が集結。こんな大荒れの天気の中これだけの人が集まっただけでもこれは大変なことになりそうだな、と・・・。
我々も遠方からやってきましたが、何と徳島から来られた方もいました。
徳島から伊丹空港まで行って新潟へ飛行機で、と思われていましたが、直行便が飛ばなかったので羽田へ飛んでそこから上越新幹線で来られたとのこと。










昼食後まるいさんのマイクロバス(でないと移動できないよなあこんだけの人数だと)に乗って次のスポット「駄菓子屋アンドオン」へ。
ここは三条市の経営コンサルタントの方がこれまで携われた案件をここで紹介されたり自分の趣味や好きなものを展示されているスポットだそうです。
会長も協力されて十八番のアーケードゲーム筐体を貸出されています。大の大人が童心に帰って遊べる場所でしたね。






続いて私も何度かお邪魔している「ゲームセンターヒジヤン」へ。
要するに会長の実家の一室なんですが、六畳一間に十数台のゲーム筐体が置いてあるだけでなく、イベント等への貸出用に100台近い(!)ゲーム筐体が置いてあるガレージも開放されていました。
楽しかったけど、とにかく寒かった・・・。








そしていよいよ新年会。場所は昼食会場と同じ春秋まるい。
一番大きい部屋に大量のゲーム筐体/食べ物/飲み物が用意されていました。




会長の乾杯の挨拶、皆さんの自己紹介の後いよいよ宴会開始!!!
食って飲んでゲームやりたい放題、正にパラダイス!!!
うち(=事務所二階応接室)でも時々やってますけど、日本酒並べて「ドルアーガの塔」が出来るなんて最高ですな!!!
2時間しか寝てなくてあれだけ大荒れの天候の中ここまでやって来た価値がありました。
後半には会長に勝った人は皆さんが持参したプレゼントを貰えるジャンケン大会。
私も粗品を用意しました(貰い物ですが日本酒一升瓶(月桂冠)と「ゼビウス」のキャラクター等のストラップ)が、何と私が一番に勝っちゃいました・・・。

楽しい時間はあっという間に過ぎて気づけば新年会開始から4時間も経過してました。
宿泊先まで送迎してもらったのですが、さすがにもう体力も気力も限界に近づいていて私は車中で爆睡していました・・・が、この時実は大変なことが起きていました。
暴風雪が最悪な状態になって何も見えない正に「ホワイトアウト」。どこが道路かもわからない状態だったとのこと。


ようやく宿泊先に着いたのですが、宿は今超話題になっている「公楽園」。
見た目は超ボロいのですが、実はパラダイスと呼ばれる伝説的な宿。
しかし当初私もあまりの見た目のボロさに「こんな場所どこがいいんだ?」と疑いの目を向けていたのは事実でした・・・が何でも自分の目で確かめてみるべきもの。
私が間違っていました。間違いなくここは「パラダイス」でした!!!


確かに部屋のエアコンは故障して付かない(石油ストーブはあったけど途中で消さないとヤバい)、風呂は部屋にあるけど「自分で洗って入って下さい」(結局疲労が限界近かったこともあって風呂には入らず寝てしまいました)、更には布団はあるけど外は暴風雪だというのにかけ布団/敷き布団1組だけで毛布なし・・・という壮絶な状況でしたがそれもネタになるだろ、と言いたくなるくらい1階のロビーが超ヤバ過ぎる!!!






様々な自販機が置いてあるのですが中でも秀逸だったのがトーストの自販機。
多くの宿泊客が絶賛されていますが、注文すると熱々のアルミホイルに包まれたハムトーストorチーズトーストが出てきます。これがマジ絶品なんですよ。
宿のオーナーさんが手作りで仕込まれているのですが、実に美味でした。






このトーストとカップ麺とワンカップで二次会スタート。
またロビーには様々なゲーム機(ビデオゲームは風営法の絡みでAM0:00以降は遊べません)が置いてあったのですが・・・一見どこにでも置いてあるUFOキャッチャー、よく見てみると景品が・・・。

実はこの「公楽園」、マスコミに取り上げられたこともあって今や超人気の宿となっていまして、実はこの日も外は暴風雪だというのに満室という大盛況ぶり。
今回の新年会は宿泊組も大勢いましたがその中でも取り合いになりましたが、早い者勝ちで我々は宿泊することが出来たのでした。
さすがに体力も限界に近づいてきたため部屋に戻って寝ることにしました。
あんな環境の部屋だというのに我々は速攻爆睡、多分凄く寒かったと思うのですが幸い風邪をひくこともなく翌朝まで起きることはありませんでした・・・。


翌日は昨日までの暴風雪とは打って変わって快晴。見事な銀世界が広がっていました。
朝食はまたしても自販機トースト。これマジヤバいくらい美味いんですよ。


この日も会長他のメンバーとあちこち巡られる予定の皆さんとまたの機会の再会を誓いお別れして(しかし結局悪天候でいくつかの予定をキャンセルされたそうです)我々京都奈良組は帰路へ付きました。
さすがに往路のような大荒れの天気にはなりませんでしたが福井県〜滋賀県境、更には滋賀県の八日市〜栗東辺りで暴風雪に。どないなっとんねん、と言いたくなりましたがここまで来たらもう少しですし昨日あれだけ凄い暴風雪を突破しているので大したことないように感じました。
でも普段だったら間違いなくパニクってるであろうかなり激しい暴風雪でした(場所も場所ですし)。




そんな訳で帰りは8時間半かかってようやく京田辺に戻って来れました。
総走行距離は1000kmオーバー。
私以外の皆さんは京田辺からあと1時間くらいかけて自宅まで戻らないといけませんでしたが、皆さん無事に家に着かれました。
ながれさんからのアドバイスで私はこの後スキーキャリーを下してガソリンスタンドに洗車に行きました。
凍結防止剤には塩分が大量に含まれている(リアガラスも凍結防止剤まみれになっていました)ので早く洗車しておかないと車が錆びてくるからです。それも下面洗浄も念入りに、とのこと。
下面洗浄ってこういう時のために使うんですね。勉強になりました。

2日間こんなに凄い経験をすることになろうとは露にも思っていませんでした。
しかし同じ熱い思いを抱いた皆さんと交流を深めることが出来たことは非常に大きな財産になったと思います。
今回知り合った何人かの方々とは多分3月に再会できると思います。その時をとても楽しみにしております。ここから大きな花が咲くような気がしますね。
今回交流を深めることが出来た皆さん、そして段取りしていただきました会長をはじめとする現地の会員の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!!!

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