新年の抱負

ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、タイトル通りの内容で記事を書こうと思っていたら、こんな記事を見つけました。
新年の抱負を立てるのは「時間の無駄」なのか?
なかなか興味深い記事だと思いました。
記事の最後のまとめが非常に上手くまとまっているのでそのまま引用しておきます。
あまり堅苦しく考えないで柔軟に考えればいいんですよね。
・昨年1年間の棚卸しを行い、生活の中で変化を必要としている部分について、新たな目標を立てる。
・具体的なスケジュールに沿って、挑戦的ではあるが達成可能な短期目標を配置する。また、その難易度を段階的に上げていくようにする。
・大局的なゴールに合わせた生習慣にシフトしていく。
・新年の抱負を1月1日に限定しない。年間を通じて目標の見直しを行う。四半期ごとなど。そうすれば、達成に対する責任感も増し、必要に応じて目標を調節したり、追加することができる。
いや、本当は私もそんな面倒臭いことしたくないんですよ正直なところ。
ただ昨年も年初に似たような内容のことを書いてまして、そこでは「可能な限り「蓄える」」ことを目標に掲げていました・・・が正直全然ダメダメでした!!!
蓋を開けてみれば全然蓄えるなんてできませんでした。何を取っても全然余裕ありません・・・。
前回のブログにも記載した通りコンスタントに運動は続けられたと思うのですが、実は体重は増えてまして蓄えたのはそっちかい!!!と突っ込まれそうなのですが。
ひょっとしたら筋肉が付いているのかもしれませんが。脂肪より筋肉の方が比重は重いはずですので。
それはともかく、今年こそ無駄遣いしないで何が何でも「蓄える」ことに専念したいと思います。
ありがたい話ですが、どうも今年はあれこれ忙しくなりそうなので無駄遣いしてる暇がない状態になればいいのですが。
あと昨年は「マイナンバー」制度の導入という大きな動きがありましたが、その過程で業務管理上あれこれ目に付く問題点が出てきたような気がします。
それらを至急何とかしないといけないですね。
それと、近い将来訪れるであろう事務所の”転換点”に向けての準備というか”心構え”をそろそろ考えないといけない時期になっていると思います。
現時点ではあまり細かいことは言えないのですが・・・。
昨年習慣付けることに成功したスイミングとトレーニングは今年もコンスタントに続けられる様に努力していきたいと思います。
健康診断という目に見える結果が現れましたので、益々やる気が出てきました。
こうやって気長に地道に続けるということは案外得意なんですよね。でもそのために最も重要なことは「環境作り」だったりします。
10年前(結婚前後)の超多忙な状況ではとてもじゃないけど無理だったと思います・・・。
趣味の方面ですが・・・レトロアーケードゲーム関係で昨年はネット等を介して多くの人達と交流が深められましたが、引き続きこの流れをキープしていくと共に何らかの次のアクションに繋げられたら、と淡い思いを抱いてます。
まあ趣味なのであまりガツガツやらないで気長に気楽にやっていきたいのですが。
それにしても昨今のレトロアーケードゲーム関係の盛り上がりは凄いですね。
その結果何もかもべらぼうな値段になってしまいましたし。正直今やあまり手を出せないですね・・・。
そんな訳で本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年を振り返る&よいお年を

早いもので今年もあと少しで終わろうとしています。
例年あまり更新できていないこのブログですが、今年は頻繁ではないですが何度か更新しました。尤も仕事のことではなく趣味絡みのことばかりでしたが。
とはいうものの今年はブログで取り上げたレトロアーケードゲーム関係で多くの方と交流を深めることが出来た1年だったのではないか、と思います。
様々な場面でアーケードに限らずレトロゲームに対する注目が集まりつつある昨今、来年以降更なる盛り上がりが期待できるだけに今年の活動は非常に重要だったのではないか、と思います(あわよくば趣味の範囲を超えるようなことが出来れば、と淡い期待も抱いているのですが)。
本業ではここ数年の傾向でもあるのですが、今までとは異なる様々な要求に応えていく内に一年が過ぎていったような気がしました。
特に後半がそうだったのですが、もう少し余裕をもって仕事に取り組めるようにしたかったです。
ありがたい話ですが、来年はいろいろと忙しくなりそうなのですが、それにかまけて今年出来なかったことをおろそかにすることなく一つ一つ丁寧に取り組んでいきたいものです。
あと今年は年初の目標としてあれこれ節制しようと考えていたのですが・・・全然ダメでしたね。
いくつか大きな出費があることはわかっていたのですが、それがわかっているなら猶更そうしないといけなかったのに・・・。

その一方昨年から取り組み始めた運動の習慣化は徐々に効果が表れてきたような気がします。
今年4月からスタートした近所のプールでの「水泳マラソン」、12月に42.195km完泳しましたし(1回につき上限1000mで開始から2年以内に累計でマラソンの距離(42.195km)泳げば表彰される→100回以上達成している強者もいますので1回達成は実はペーペーだったりします・・・)、プールで泳いだ後にトレーニングも行っているのですがそれらの結果でしょうか、今年の健康診断では本当に久々に「異常なし」の結果が出ました。
私でもやれば出来るんだな、と思いました。とりわけ今まで超苦手だった運動関係だけに猶更そう思いました。
そんな訳で今年はあと1日ありますが、明日は例年通りドタバタしますので少し早いのですがこちらは今年最後の投稿としたいと思います。
皆様一年間本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
では良いお年を。

研究資料としてのゲーム、その保存と活用

去る7/18(土)に立命館大学にて開催された「立命館大学土曜講座 ゲーム学への招待」の第3回目「研究資料としてのゲーム、その保存と活用」を聞きに行ってきました。
限られた時間で駆け足にならざるを得なかったのですが、なかなか興味深い内容でした。
文化庁HPに「メディア芸術データベース」(https://mediaarts-db.jp/)が平成22年に設けられましたが、平成23年に「立命館大学ゲーム研究センター」を立ち上げた立命館大学がこのデータベースのゲームの部門を担当しているのだそうです(うるさ型が多いゲームマニア諸氏からは批判されることが多いと嘆いておられましたが)。
あとちょっと前にネット上で”炎上”して話題になってしまった(こちら参照→http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueakito/20131125-00030100/)「ゲーム関連資料の寄贈」に関してですが、現時点で家庭用ソフトが約4000本、家庭用ハードが約60台、書籍(「アルカディア」「ゲーメスト」「ファミ通」他)が約2200冊所蔵されているそうです。
本題のゲーム関連資料の保存についてですが、最近では国際的にもあちこちで学問的な動きが見られるとのことですが、まだまだ発展途上で問題点も多いとのことです。
以下ゲーム保存に特有の課題として指摘されていたことです。
1.所蔵機関の連携
・研究者の個人的ネットワークは活性化してきているが、機関的連携はまだまだ進んでいない
・システム的課題として、ゲームには書籍のISBNに該当するタイトル毎のIDが存在していない(先述の「メディア芸術データベース」における「GPIr」(例:「グラディウス(アーケード版)」では「0392300101383」)は立命館大学が独自に設定したものだそうです)ため、IDの国際共通化が必要ではないか
2.現物保存の方法論検討
・まず必要なのは温湿度管理可能な保管場所の確保及び最適な保管用具の開発が急務。特にアーケードゲームの保管において重要
・アーケードゲームの基板は紙・プラスチック・電子部品等から構成された”ハイブリッド”な製品なので、最適な温湿度を決めるのが難しい
・ハードウェアの修理・整備におけるノウハウの共有・継承とオリジナリティーの保全
・エミュレータの活用も一理あるが、完璧には再現できない
・Wii、DS等の特殊なインターフェイスをどう保存するか
3.現物が存在しないタイトルの保存
・過去のゲーム以上に今後はダウンロードされるデータしかないオンラインゲームやモバイルゲームの保存が問題になる
・オンラインゲームやモバイルゲームは母数が桁違いに多いため把握することすら難しいし、譲渡不可、プレイヤーが所有するデータだけでは動作しないこともある(サーバーにつないで初めて動く)、更にはアップデートによるバージョン変更もあってその各バージョンを保存するのは困難を極める
4.ゲーム経験の保存
・プレイヤーの民族史的研究(いまいちよくわからなかったのですが、例えば格ゲーのスタープレイヤーの歴史とか「ドルアーガの塔」の攻略にまつわるエピソードとか「グラディウス」の”復活パターン”の開発&伝播の話(1億点プロジェクトも含む)といったプレイヤーがゲームで行う一連のプレイの記録?)
・やはりここでもエミュレータの活用が考えられるが、エミュレータではハードウェア特有の経験を再現するのは極めて難しい(ここで例としてアーケード版「グラディウス」が挙げられていました)
これら以外に現在国立国会図書館においてもゲームに関して2003年から「納本義務」(本じゃないですけど)が課せられるようになったのですが、ハードの納入はされていないこと、及び納本制度であるが故に2003年以前に遡及できないという問題点があるとの指摘がありました。あと現時点でゲーム保存における学問の専門家、愛好家とゲーム産業の協働が難しい理由として、コストや著作権がネックになる(メーカーとしては保存するより破棄した方がコスト的にはまし)との指摘もありました。
最後に講師の方と少しお話しすることが出来たのですが、私からはこの分野では学者よりもいわゆる”ゲームマニア”の方が詳しい人が多いと思うのでそちら方面へのアプローチもしてみれば、と提案してみたのですが、それに関しては当然模索しているとのことでした(気難しい人が多いので及び腰になってしまうとのことですが)。
正直私が思っていた以上に研究が進んでいる(特に国際的にあちこちの国で)ことに驚いたのですが、それ故に問題山積になっているということもよくわかりました。
まだ始まったばかりのこの分野での学術的研究、とにかくもっと多くの人を巻き込んで議論を深めていくことが必要ではないか、と思います。

あれやらこれやら30周年(その4)

昨日の続きです。
バブルシステム版「グラディウス」は立ち上がるまでに時間がかかる、という話をしていましたが、気温が高いとさほど時間はかからないのですが気温が低いとかなり時間がかかる、と言われていました。
しかし具体的にどれくらい時間がかかるものなのか、以前からちょっと気になりましたので、実は昨年の9月からチンタラチンタラと計測してました。
その昔「週刊文春」にて連載されていた堀井憲一郎氏による「ホリイのずんずん調査」みたいな「どうでもいいようなこと、役に立たないようなことも、あえて大真面目に調べると意外といろいろな事実がわかる」ものか、と・・・。
電源を入れると「Presented by Konami」「Getting Ready ○○」という音声によるカウントダウンが流れ始めるのでそこから計測開始、無事デモ画面が出始めたら計測終了。
その結果が下記の通りです。

・・・興味のない人にとっては「だから何?」な内容ですが(苦笑)、マニアの皆さんには参考になることもあるんじゃないでしょうか?
単に計測していただけで私は電気系統の複雑な話は全く理解していませんし細かい理系的な話は全然できませんが、いくつか気づいたことがありますので箇条書きします。
・十分に暖まっていると音声によるカウントダウンなしでいきなり「モーニングミュージック」が流れますが、この起動最短時間は約1分40秒。
 またその気温(室温)は大体27℃以上ですが、27℃を超えていても一発起動しないこともあります。
・途中自宅に置いてあるテーブル筐体で計測していた時期がありましたが、冬場というのもあるのですがそれでも事務所2階で計測するより明らかに起動時間が遅くなりました。
 その原因としては電源の供給方法に違いがあった(簡単に言うと自宅テーブル筐体の方が貧弱)のでは、と推測しているのですが、そこらの具体的検討(貧弱な電源を事務所2階に持ち込んでみる等)はしていません。
・湿度も計測していたのですが、湿度は高い方が起動時間が早くなる・・・ような気もするのですがあまり確証が持てないです(∵自宅の湿度がはるかに高いのに起動時間が遅い→3/3~3/28の期間参照)。
・2月頃は業務多忙で計測できませんでした・・・。ただこの冬一番寒かったのは年末年始頃だったのでは、と思うので、2月に測定していても冬場にしては起動時間は早かったのでは、と思います。
という訳で、実は今日はアーケード版「グラディウス」が発売されてちょうど30周年という記念すべき日なんですよね。
この調査結果は私からのお祝い企画、ということです。
これからも「グラディウス」が多くの方に愛され続けていくことに期待して多分ブログ開設以来初めて熱心に延々と書き続けた投稿を終わりとさせていただきたいと思います。
もっと税務会計絡みのことをこれくらい熱心に書けよって?まあそれはまたの機会に・・・(苦笑)
っつうかこれまでのダラダラ超長文はこれの枕やったんかい、と言われそうですなw

あれやらこれやら30周年(その3)

アーケード版「グラディウス」には2つのバージョンがある、という話の続きです。
(かなりマニアックな話なので聞きたくない人は引き返して下さい(苦笑))

↑:「グラディウス」の基板(バブルシステム版)

↑:「グラディウス」の基板(ROM版)
アーケードゲームにはそれを動かすための「基板」(家庭用ゲーム機で言えば本体とゲームソフトが一緒になったようなもの→ゲームを入れ替えるにはこの基板ごと入れ替える必要がある)が必要なのですが、その基板にオリジナル版と改良版が存在するということです。
革命的内容だった「グラディウス」ですが、あれだけの表現を実現するためには当時としては破格の大容量データが必要でした。
お金をかければいくらでもハイスペックに出来るのですが、「商品」としては儲けてなんぼ、大赤字を出していては意味がありません。
そこで安価に大容量のデータを扱えるようにするため、「グラディウス」には「バブルシステム」と呼ばれる機能が採用されました。
ところがこの「バブルシステム」、確かに安価に大容量データを扱えるのですが、あまりにも壊れやすいことでも有名でした(私の事務所の顧問先の方で昔から電機関係の仕事をされている方がゲーム以外の分野で昭和60年頃に一瞬「バブルシステム」と同類のシステムが流行っていた、とおっしゃってました・・・がやはり脆弱性が問題になりすぐ廃れたとのことです→バブルシステムは「磁気バブルメモリ」を使用していましたが、日本では富士通が製造していましたので他分野でも使用されていたそうです)。
ところが「グラディウス」は特大ヒットになってしまい、メーカーのコナミにも故障で修理持ち込みが増加したため&数年後には技術の進歩で「バブルシステム」でなくても安価で大容量データが扱えるようになったので、2段重ねになっている基板の上半分を一般的なシステムに変更して壊れにくくなった改良版が出回るようになりました。
今日では便宜上バブルシステムを使った基板を「バブル版」、改良版を「ROM版」と呼んでいます。
バブル版の特徴は、電源を入れてからゲームが遊べるようになるまでに時間がかかる、ということです。信じられないかもしれませんが、本当に「暖機」、つまりプログラムを基板本体に転送するに当たってカセット内の「磁気バブルメモリ」を温めて一定の温度になると転送が始まって起動する、という仕組みになっているんですよ・・・。若い人にはそもそも「暖機」って何それ?でしょうね。
具体的な起動までの流れは、電源を入れると「Presented by KONAMI」「Getting Ready ○○」という音声が流れます。「○○」の部分は50から始まるカウントダウンで、冬場等気温が低い時はカウントが0まで行くと再び「Presented by KONAMI」「Getting Ready 50」という具合にカウントダウンが続きます。ようやく温まると、下記の画面が出てきます。

この画面が表示されている間にプログラムが転送されます。この時に流れるバロック調のBGMは「コナミ モーニングミュージック」(以下「モーニングミュージック」)と呼ばれています。
この画面を表示する際急遽BGMが必要になり没曲を引っ張り出してきたとのことですが、没曲にしては、というのも憚られる名曲だと思います。
実際「グラディウス」がゲームセンターで稼働していた頃この曲は開店直後でないと聞けなかった(だから「モーニングミュージック」なんですよ)ので、熱心なファンは開店と同時に「グラディウス」の筐体にラジカセ(←:これも若い世代の方にはわからないかも。ラジオとカセットデッキ(当時の録音/再生はカセットテープが主流でした)が一緒になった電気機器)片手に突撃してスピーカーから流れる「モーニングミュージック」を録音していたものでした。
ちなみにROM版でも「モーニングミュージック」は流れるのですが、読み込み速度が速いのであっという間に終わってしまいます。
じっくり聞きたいファンはバブル版が欲しいと思うのですが、正に文字通り泡のように壊れやすいんですよねえ・・・。
あとバブル版の特徴として、アーケードゲームではあまり使うことのない-12V電源が必要、ということも挙げられます。
普通アーケードゲームでは+5Vと+12V、たまに-5V電源が必要になるのですが、「グラディウス」はこれら3つに加えて-12Vが必要になるというわがままというか贅沢な仕様になっています。とにかく起動させるのも一苦労という訳です。
勿論ROM版では-12V電源は不要です。
時は流れて今も尚熱狂的ファンが多い「グラディウス」、やはりこだわるファンは本物の「グラディウス」の基板が欲しい、と思っているみたいで、最近ではネットオークション等で激しい争奪戦が繰り広げられるようになりました。
実はアーケード版「グラディウス」は家庭用ゲーム機向けにかなり再現度の高い移植版が発売はされている(初代プレイステーション/セガサターン/ウィンドウズ95/プレイステーション4→これはほぼ問題ないくらいの移植度だと思います)のですが、残念ながら細部に相違点があってマニアにはそれが認められないあるいは許せないんですよねえ。その気持ちはよくわかるのですが、いくら何でもその値段はないだろう・・・という落札価格が付いています。
特に壊れにくいけど出回っている数が少ないROM版は最近では軽トラックが買えてしまう値段になっていたりします・・・(facebookの記事ですが参考までに→https://www.facebook.com/cocktailcabinet/posts/647275572043995)。
更に最近では手に入れても壊れる可能性が高いバブル版の値段も6桁台に突入したりしています・・・おお、つい先程157,300円(←:「コナミ」の語呂合わせ)で落札されたよ・・・。
・・・ネタ話は明日になりますね。ここまで説明をしておかないとわからない内容かもしれませんし。
という訳でもう少し続きます。
続きを明日語れるというのは実はちょうどいいことなのかもしれませんね(って最初からそのつもりだったんだろ、とマニアからは突っ込まれそうだけど(苦笑)→何を言おうとしているかは明日わかります!)。

あれやらこれやら30周年(その2)

京都に引っ越して&今私が経営している事務所も早いもので30周年の節目を迎えた今年2015年、実はゲームの世界に置いても節目になる年なんじゃないか、と勝手に考えております。(ね、強引な話題転換でしょ?(苦笑))
というのも今年30周年を迎えるゲームが非常に多いんです。それも今でも熱狂的ファンの多い作品ばかり。
まず誰もが知っているであろう「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)は絶対に外せないと思います。任天堂のホームページ(http://www.nintendo.co.jp/mario30th/)でもこれからいろいろな企画が予定されているみたいです。
この他にも筐体ごと動くという力技で多くのゲーマーをねじ伏せた”体感ゲーム”「ハングオン」「スペースハリアー」(共にセガ)、カプコンが大化けするきっかけとなった「魔界村」(カプコンは「戦場の狼」も1985年でしたね)、当時は別格で絶頂期を迎えつつあったナムコからも「ドラゴンバスター」(個人的には「メトロクロス」「バラデューク」「スカイキッド」といったナムコの’85年作品もやり込みました→一般的な知名度は低いですが、どれも名作ですね)、家庭用機では「ボンバーマン」(ハドソン)が発売されたのもこの年でした。ああそうそう、元祖”クソゲー”「いっき」(サン電子:アーケード版→世間で「クソゲー」と認知され有名になったファミコン版は翌年発売)もこの年でしたね・・・。

しかし私にとって1985年はアーケード版「グラディウス」(コナミ)の年でした。このゲームは私の人生に大きな影響を与えた、いや私の人生を変えたと言っても過言ではないです。
何もかもあまりにも衝撃的でした。私の主観かもしれません(が多分当時を知る人はほぼ皆同じことを言うでしょう)が、それまでのゲームを全て過去のものにしてしまったゲームシステム、グラフィック、サウンド(あまり指摘されることがないのですが、個人的にはこのゲームで使われていた(以降のシリーズでも用いられる)点数や文字のフォントにも斬新さを感じました)に圧倒されてしまいました。
語り始めると本当にきりがないので割愛します(ネットを調べればこのゲームの凄さに関してはいくらでも出てきます)が、発売から30年経った今でも”神格化”と言っても過言ではないくらい熱狂的な支持を集めている理由として、恐ろしい程に奥が深い、ということが挙げられると思います。
「グラディウス」は全面クリアするとまた1面からスタートするのですが、その2周目以降は難易度が激的に上昇するという特徴があります。このゲームの大きな特徴として自機がパワーアップして強くなるということが挙げられるのですが、ミスをするとパワーアップは全て失われて丸裸になってしまうのに、2周目以降は敵の攻撃が容赦ないのであっという間にゲームオーバーになってしまうため、当初ハイスコアを狙うゲーマーは極力ノーミスで進めるようにしていました・・・がミスするともう手も足も出なくなるためそこで”捨てゲー”していました。
ところが九州出身の凄腕ゲーマーがどんな場所でミスしても復活できる凄いパターンを編み出して人気が再燃、次々と「1000万点プレイヤー」が誕生する程多くのゲーマーに愛されることとなったのです。私もかつて何度か1000万点に到達するまでやり込みました。
(↓:一応証拠写真です)

更には1周でどれだけ点数を稼ぐことができるか、というスコアアタックに関しても研究が重ねられました。普通にプレイすれば1周40~45万点で終わるのですが、上手い人なら今では1周57万点は叩き出すそうです。
復活パターンにしろスコアアタックにしろ「芸術的」としか言い様がない美しいパターンの魅力に憑り付かれたゲーマーは沢山いるのではないか、と思います(勿論私も)。
ちなみにこの九州出身のゲーマー氏、仲間数人と1億点を目指すという途方もない計画を実行、3日間かけて見事1億点を達成したのだそうです。
実はその昔私もこの方と親交があったのですが、十数年前突然亡くなられました・・・。
亡くなられる数か月前に飲み会でお会いしていまして、その時はテーブルが離れていたのですが、まあまたいつでもお話しできるだろうし、と挨拶するくらいで済ませていたのですが、まさかあれが今生の別れになろうとは・・・本当にショックでした。
そんな「グラディウス」、今年30周年を迎えるということに合わせたのか、今年の1月に最新鋭のゲーム機「プレイステーション4」の「アーケードアーカイブス」で配信という形で蘇りました
海外仕様等4つのバージョンが収録されているというこだわり様でオリジナルの再現度も非常に高いです。非常に細かい相違点がありますが、ほぼオリジナルと同じと言ってもいいでしょう。
この「4つのバージョン」ですが、日本版×2、D版(ヨーロッパ版)、E版(アメリカ版→ヨーロッパ版共々タイトルが「NEMESIS」と変えられている)でそれぞれ異なる部分が多いのですが、日本版が2つあるという点、実はこれも「グラディウス」が今なお”神格化”されている大きな理由に繋がっているのではないか、と思います・・・
・・・また長くなってしまいましたね。今回はこの辺で。
次回はこの「2つのバージョン」にまつわるお話とそれに関してチンタラチンタラ煮詰めてきたネタを公開します。
もう少しだけお付き合いくださいませ・・・。

あれやらこれやら30周年(その1)


(↑:1985年の私)

(事務所応接室に置いてあるイヤープレート。私にとって節目になる年のものを揃えています。1970年は私の生まれた年で、これは両親から貰いました)
今年2015年は私にとっては大きな節目の年の一つになりました。
というのは、私達が滋賀から京都に引っ越して、そして私の父がこの京田辺市(当時は「綴喜郡田辺町」でした)で会計事務所を開業してちょうど30年になるのです。
もうそんなになるのか、と思う一方まあそれだけ年月は経ってるんだよな、とも思います。1985年(昭和60年)4月に京都に引っ越したのですが、その当時私はまだ14歳だったんですから。
2つ年下の妹はちょうど中学1年生になるタイミングでいい塩梅で心機一転、という感じだったと思うのですが、私は中学3年生という非常に微妙な時期に転校ということになり、しかも滋賀県と京都府ではあまりにも学校のカリキュラムも雰囲気も違い過ぎた(まず生徒数が全然違う→滋賀県時代の中学校は1学年2クラスで約25人/クラスだったのに、転校先は1学年6クラスで35~40人/クラスに激増)ため、何が何だかわからない内に次から次へといろいろなことが押し寄せたように感じました。
とにかく高校受験に備えないといけないのですが、正直当時は滋賀県と京都府の公立学校のカリキュラムの格差があまりにもひどくて愕然とすることばかりでした。
何でみんなこんなに必死になって塾に通うんだ?という疑問はすぐに氷解しました。今でいう所の「学級崩壊」状態。あまりの授業のレベルの低さに呆れて結局私も授業まともに聞いてなかったです。
その一方体育祭や文化祭というイベントがあるとクラス全体が一枚板になって団結するという不思議な環境。
そんな中私は気が付けば自然とクラスメイトの輪の中に溶け込んでいたような気がしました。転校するなりいきなり修学旅行があってそこで多くの仲間と親しくなれたというのも大きかったのではないでしょうか。
そんな訳で地元で目立つ看板掲げて仕事しているということもあるのかもしれませんが、今でも付き合いが続いている、あるいは当時は知らなかったけど繋がりのある(たった1年でそんなにいろいろ知り合いは増えないですよ・・・)同級生が結構いたりします。中には顧問先の社長になっている&そこで働いている同級生もいます。
今から十数年前に一度京都の中学校での同窓会を開催したことがあるのですが、たった1年しか在籍していなかった私が何故か幹事に選ばれました・・・。
当日は100人を超える同窓生が集まり大賑わいになりました(私は精算等に追われて二次会に参加できなかった・・・)が、そんな意味でも上手く溶け込めていたんだな、と改めて思いました。
あと京都に出てきていろいろと驚いたことはあるのですが、一つだけ取り上げると夏の猛暑ですね・・・。
私が京都に引っ越した年は近年並みに猛烈な暑さでした。私の記憶では確か最高38.6℃まで上がったはずです。
それまで滋賀の山の中に住んでいた頃はどれだけ暑くても32℃くらいしか気温は上昇しなかった(さすがに最近は35℃くらいまで上がることもあるのですが)だけに、これには参りました・・・。
エアコンがないと生活できないとは大変な所に来たものだ(滋賀では扇風機だけで十分だった)、と痛感したものです。
・・・という訳でここまでは実は前振りだったりするんですけど(苦笑)、今回も長くなりそうなので&あまりにも強引に話題が変わるので(苦笑)、一旦ここで切ります。
次回をお楽しみに!

コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界(後編)



ゴールデンウィークの4/29~5/6に京都・山科のショッピングセンター「ラクト山科」にて開催された「コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界」というイベント、私は初日、4/30、5/1、5/3、そして最終日の5/6と5回も行ってしまいました。
というのも前回も書いたように30年以上も前の古い筐体を連日朝10時から夜の8時までぶっ続けで稼働させているだけに故障しないかどうかが心配でしたので。
たまたま京都市内に出る用事が続いたのでそのついでになるべく顔を出すようにしたという訳です・・・が幸いなことに結局大きなトラブルは起きませんでした。よく持ってくれたものだ、と感心するとともにホッとしました。
たまたま私が行った際「ハイパーオリンピック」のボタンが利かなくなっていた(記録を出すにはひたすらボタンを高速連打する必要があるので、現役で稼働していた頃は鉄製の定規で弾いて連打するのが流行った・・・のですがその結果ボタンもコンパネもボロボロになった)のですが、端子が外れていただけであっけなく直りました。それと最終日の終了1時間前に「ゼビウス」のプレイヤー2側のブラスター(地上攻撃用爆弾)ボタンが利かなくなったのですが、間もなく撤収なのでプレイヤー1のみ使用できるようにして乗り切りました。


それにしても連日大盛況でしたね・・・。
親子連れ、カップル、近所の小中学生らしき子供連れ、制服の高校生・・・昔だったら補導されるんとちゃうか、と言いたくなるのですが、何せ無料ですから・・・。
親世代が懐かしんで遊び方を子供に教えて子供ものめり込んでいるというのが微笑ましい光景でした。更には私の知人も遊びに来てくれた(&皆上手い!)のも嬉しかったです。
私は初日と最終日に子供を連れていったのですが、うちの子供は今ニンテンドーDSとWii Uで発売されている「大乱闘スマッシュブラザーズ」にゲストキャラとしてパックマンが登場している&たまたま最近CS(通信衛星)テレビのフジテレビONEでオンエアされている人気番組「ゲームセンターCX」に「クレイジークライマー」が出てきた(ファミコン版ですが)のですが、それらの本物が置いてあったのを見て興奮していました(ここだけの話ですが、実はパックマンは正規版ではなかったんですけどね・・・)。



最終日は午後5時で終了、しかしそこからが最後の一仕事。
ヒジヤンさんの住んでおられる新潟に10台の筐体を運ぶため再度基板とコンパネをばらして梱包する撤収作業です。
セットアップに5時間かかったので不安に思っていたのですが、撤収作業には新たに3人助っ人が来ていただきまして結局閉店時間ぴったりくらいの3時間で終わらせることが出来ました。
作業終了後ヒジヤンさんが食べたことがない、とのことで天下一品総本店に手伝って下さった皆さんで行って軽く打ち上げしました。
手伝って下さった皆さん以外にも多くの皆さんと会場でお話することが出来た(初めてお会いする方ばかりでしたが)のですが、非常に熱心なアーケードゲームファンばかりでした。今も尚これだけ熱い人が沢山いるんだなあ、と感心する一方、あまりにも強烈過ぎるマニアックさ&底知れぬコレクター魂を見せつけられて私なんてまだまだ大したことないよな、と痛感しました。いや本当に私なんてにわかマニアに毛の生えた程度ですから・・・。
ヒジヤンさんは休む間もなく先日の土曜日(5/9)に新潟にて別のイベントを開催されていました。
何でも全てパチモンゲーム(その昔横行した権利関係無視のコピーゲーム→例:「ドンキーコング」「パックマン」「ギャラガ」・・・でなくて「クレイジーコング」「ザ・ハングリーマン」「ギャラッグ」(苦笑))というそれ大丈夫なの・・・?という企画で、ゲリラ的に土曜日だけ開催だったそうですが。
それはともかく、今レトロゲームが脚光を浴びているのは間違いないどころか時代の中心に来るんじゃないか、と思えるくらい盛り上がって来ていると思います。
東京ではレトロアーケードゲームメインの品揃え+斬新なイベント企画で注目を集めているゲームセンター「高田馬場ミカド」が世界中から集客して連日大盛況ですし、秋葉原にもレトロアーケードゲームを売りにしているゲームセンターがいくつもあります。
残念ながらこういった動きは今の所首都圏メインになってしまっているのですが、今回のイベントは京都で大成功を収めました。
これを機に全国にこのムーブメントが拡散していくことを期待したいと思いますし、私も微力ながら更に努力していきたいと考えています。

コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界(前編)

皆さん今年のゴールデンウィークは如何過ごされたでしょうか?
私の事務所は基本的に暦通りで5/2~5/6は5連休でした。
さすがにこれは長過ぎると思ったので少しだけ仕事もしていました(平日だとやりにくいことをしていました)が、十分に休日を楽しめたのでは、と思います。
年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休みとちょうど約4か月毎に一息つけるのは実はちょうどいいんじゃないか、と思います・・・が今年は9月にも5連休(いわゆる「シルバーウィーク」ですね)があったりするのですが。ちょっとバランス崩れそうですね。
そんな訳で今回のゴールデンウィークは泊りがけでは出かけずに日帰りでちょこちょこと近場に出歩いてばかりでしたが、その中でもメインイベント的だったのが、京都・山科のショッピングセンター「ラクト山科」にて開催されたイベント「コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界」への参加だったのでは、と思います。
このイベントに私は単に遊びに行くだけでなく実はボランティアのスタッフ的役割でも参加しました。
タイトルでわかるように、このイベントは昔懐かしのおもちゃ等の展示即売会及びレトロアーケードゲームを無料で楽しんでもらう、という企画です。
間違いなく目玉となるのはレトロアーケードゲームだったと思うのですが、これに関しては今回のイベント企画会社から私も所属している「全日本テーブル筐体愛好会」なる団体にオファーがあったことから始まっています。
この団体、新潟在住の”ヒジヤン”さんという方が主宰されていて、文字通り昔ゲームセンターに置いてあったテーブル筐体や駄菓子屋等に置いてあったアップライト型筐体を今の時代に甦らせて楽しもう&当時を知らない若い世代の人にその面白さを伝えていこう、という趣旨で活動を行っています。
この趣旨に賛同されて入会された会員は約30名。文字通り全国都度浦々におられます。
これまでに新潟では何度もレトロアーケードゲーム筐体の無料開放イベントを開催されてその都度多くの来客を集めてこられたのですが、今回遂に新潟を飛び出して京都で、しかも8日間という長期間にわたって開催されることになったのです。
私は以前からヒジヤンさんのブログ(「テーブル筐体な日々」(http://bz504178zb.blog.fc2.com/))を見ていて、前回ここで取り上げた「応接室ゲーセン」の構築に当たっても大いに参考にさせていただいていたのですが、「全日本テーブル筐体愛好会」のFacebookページが出来たのがきっかけで知り合うことになりました。
今回のイベント、ただでさえ扱うのが30年以上も前のアーケードゲームだというのにイベント開催期間中8日間朝から晩までぶっ続けで稼働させるので、故障する可能性が非常に高いのですが、新潟在住のヒジヤンさんはイベント開催期間中山科に張り付いている訳にはいきません・・・そこでそれなりにこれらのメンテナンスが出来る私が緊急時対応係として手を挙げた、という次第です。ある意味ヒジヤンさんに恩返しが出来たら、という気持ちもありました。
そんな訳でイベント前に一度直接お会いしておきたい&打合せもしておきたい、と考えて確定申告業務終了後の臨時休業期間中に新潟まで行ってきました。
その時の模様はこちらに細かく書かれています。実はこの時点ではイベント会社からはイベントの開催予定日以外ほとんど何も連絡はなくて打合せしようにも何もできなかったのですが、現地の会員とも知り合えて大いに交流を深めることが出来ました。

いよいよイベントの前日になって遠路はるばるヒジヤンさん所有の筐体×10台が会場に運ばれてきました。ちなみにヒジヤンさんはこんなゲームの筐体を約70台も所有されているのだとか・・・!


ヒジヤンさん及びイベント会社のスタッフと合流してセットアップ作業を開始しました。運送中の衝撃による故障を防ぐため筐体と中に入れるゲーム基板、及びコンパネ(コントロールパネル→ゲームを操作するレバーやボタンの部分)がバラバラに梱包されているので、これらをちゃんと動かせるように組み立てると共に、ゲーム内容を紹介したり注意書きを記載したポップ類のセットアップ、各ゲームのレイアウトをどうするか、電気の配線をどうするか(コードに躓いて抜けたりしないように)etc…次々としないといけない準備作業が出てきて結局5時間かかってしまいました・・・が全10台無事動作確認完了、翌日からのイベントに向けて準備万全となりました。
ちなみに今回セットアップしたゲームは「スペースインベーダー」(1978:タイトー)「クレイジークライマー」(1980:日本物産)「ドンキーコング」(1981:任天堂)「パックマン」(1981:ナムコ)「ゼビウス」(1983:ナムコ)「ハイパーオリンピック」(1983:コナミ)「アルカノイド」(1986:タイトー)「ファイナルファイト」(1989:カプコン)「スーパーストリートファイター2」(1993:カプコン)「バーチャファイター2」(1994:セガ)。正直寸分の隙もないラインナップだと思いました。

作業終了後ヒジヤンさんにはわざわざ京田辺のうちの事務所の2階に来ていただいて近所で翌日以降のイベントの成功を誓って飲みに行きました。
この日の模様もこちらにとても細かく書いていただきました。
今回は結構長くなりそうなので(いつもそうだって?(苦笑))、一旦ここで切ります。
後編をお楽しみに!

部屋をゲーセンにした!!(Director’s Cut)





(↑:昨年5月の写真で現在とは少し変わっています)
 ・・・多分2/7に発売されたマイクロマガジン社「シューティングゲームサイド Vol.11」の「部屋をゲーセンにした!!」コーナーを見られてここを覗かれた方もおられるんじゃないか、と思うのですが、あまり更新してなくて申し訳ないです・・・。
 ご多分に漏れずうちも確定申告で繁忙期に突入しつつありますし実は新年早々から会計事務所は1月末提出の書類の作成(法定調書、給与支払報告書、償却資産申告書、それと11月決算法人の確定申告書)で忙しくなっていますので。
 今年は急遽税務調査が入ったりして例年以上に忙しくなりましたね。年末年始はスキーに行ったりで完全休養しましたが、昨年12月はそれに間に合わせるため必死になっていました。
 そんな年も押し迫ったクリスマスイブにマイクロマガジン社のライター様に私の事務所の2階の応接室の取材に来ていただいたのですが、今回はここに至るまでのいきさつを書いていきたいと思います。
 
 この事務所2階の応接室がゲーセン化したきっかけは、事務所を移転したことから始まっています。事務所移転に関しては過去の記事を参照していただきたいと思います。
 結婚して早9年、子供も出来て結婚当初とは随分環境も変わりました。それに伴い結婚を機にリフォームした自宅にも様々な問題が出てきました。
 子供が小学校に通うことになり、子供部屋が必要になったのですが、結局以前応接間として使っていた部屋(先代が自宅兼事務所でスタートした際の事務所だった部屋)を子供部屋として使うことになってしまいました。
 そのためそこに置いていた私の物は全て移動させないといけなくなりましたし、それ以前に来客を迎える応接室がなくなるというのは正直マズい・・・しかしちょうどいいタイミングで事務所を移転することになったので、その2階に応接室を設ければいいんじゃないか、となった訳です。
 で、折角応接室を新たに設けるならそれなりにいいソファを置いて、さてテーブルをどうすんべ、と思った時「昔懐かしのテーブル筐体のビデオゲーム置いてみたら面白いんじゃないか?」と。
 実は以前から1台だけテーブル筐体のビデオゲームは所有していました。「部屋をゲーセンにした!!」の記事では自宅の応接室にテーブル筐体を置いていた、と記載していますが、本当は別の部屋(私の趣味の部屋)に置いていたんですよ。
 当初は子供部屋をその部屋にしようかと考えていたのですが、北西の角の部屋で日当たりが悪い(更には夏は西日の影響でそれなりに暑いし冬は非常に寒い)ので却下されました。まあ趣味部屋まで追い出されずに済んだのは幸いでしたが・・・。
 そんな訳で早速テーブル筐体を調達して置いてみました。予想していた通り非常にいい感じでした。しかし1台だけだと寂しいよな、と感じたので、たまたま部屋が細長かったので奥の空いているスペースにも数台並べてみよう、と思いつきました。
 この手の業務用アーケードゲームを整備したことがある人ならわかると思うのですが、ゲームによって縦画面/横画面が異なる仕様になっていて、ゲームを入れ替えようとすると基板だけでなく画面の縦横も入れ替えなければまともに遊べません。
 それと「アルカノイド」(1986:タイトー)のように特殊なコントロールパネル(レバーやボタンといったゲームを操作する装置:以下「コンパネ」→「アルカノイド」はいわゆる「ブロック崩し」なので「ボリュームコントローラー」(左右にグリグリ回るつまみ状のコントローラー→1・2枚目写真参照)という特殊な装置が必要)が必要なゲームを遊ぼうとするとその都度コンパネも取り替えないといけません。
 筐体が1台だけだと別のゲームを遊びたくなった時あれもこれも入れ替える作業が必要になります。家庭用ゲームのようにソフトを変えるだけで別のゲームが遊べるという訳にはいかないのです。しかしスペースさえあれば複数の仕様の筐体を準備すればこの問題も解決するんですよね。
 そんな訳で1台だけじゃ寂しい+あれこれ取り替えるのが面倒、という2つの問題を一石二鳥で解決してみたら気づけば応接室はゲーセンっぽくなってしまった、という次第です・・・。あくまでもここは「応接室」なんですけどね。
 ちょうど事務所の新築祝いでいろいろな方から戴いたお祝いに観葉植物がありましたのでそれも置いてみたり以前から持っていたアーケードゲームのポスターを額に入れて壁に貼り付けてみたり更には自宅の応接室に置いていた私が趣味で製作していたプラモデルの完成品やフィギュア等(ロックミュージシャン系が多い)をショーケース(これじゃコレクションケースだよなあ)に入れて飾ってみたりすると更にゲーセンっぽくなってしまいました。普通の会社の応接室等にはその企業で扱っている商品や製品、あるいは芸術品や骨董品が並べられているものですが、私の世代ではこれなんじゃないでしょうか。
 さすがにやり過ぎたかな、これはクレーム来るかな、と当初不安にも思ったりもしたのですが、蓋を開けてみると顧問先の皆様、金融機関の皆様、その他来客の皆様には大受けしました。むしろこの発想はなかった、と驚かれた方が多かったような気がします。
 金融機関の支店長の皆様はちょうど私と世代が同じくらいということもあってとても懐かしそうに見られた方が多かったです。しかもこれらが全て昔と同じように電源を入れれば動くというので更に驚かれていたような。ある意味「壮大な一発ギャグ」のつもりでもあったのですが、私の思惑通りだったのでは、と思っています。
 惜しむらくは実は応接室のゲーセン化は事務所移転の計画を立てていた当初は全く計画していなかったということです。本当に気づけばこんな状態になっていた、というのが事実です。
 つまり最初からきちんと計画していればもっと素晴らしい部屋になっていたのではないか、ということです。特に電源や照明に関してはもっと考えておくべきでしたね(空配管やコンセント挿し口、あとガスファンヒーターを置く場所を考慮してガス管口を設置すべきだったetc.)。
 さすがに平日の来客の前では電源を入れて遊ぶ訳にはいきませんが(いや、遊びたいと言われればやぶさかでもないですけど)、休日に遊びに来ていただくのは大歓迎です。
 見ず知らずの方に一般開放する訳にはいきませんが、何かの縁があれば是非来ていただければ、と思っています。
 特にこれらのゲーム機が現役で稼働していた頃の熱い時代を過ごした世代の方と語り合えたらこの上なく幸せなことではないでしょうか。
 毎年のことですが、これから一年で一番忙しい時期に突入しますのでここの更新は滞ると思うのですが、余裕があればまたこの部屋に設置してある個々のゲームに関する思い入れ等の話も出来れば、と考えています。
 またお時間がありましたら覗いていただければ、と思っておりますのでよろしくお願いいたします。