今年の目標・・・?

早いものでもう今年も一月が過ぎようとしていますが今年最初ということで、今更ながらあけましておめでとうございます。
・・・という訳で、今年は本業は早々から躓いてばかりで遅々として前に進まないのに困惑する日々です・・・。
あまりそんなものを盲目的に信じるのも考え物というのは百も承知(私と同い年の人/同じ星座の人etc.はみんな同じ運勢なのか、となりますから)ですが、占い系を覗いてみると今年はどれを見ても私の運勢は非常に悪いそうですし。
まあ昨年、一昨年が快進撃過ぎたのでたまにはスローダウンも必要、と解釈したいと思うのですが。数年前の「厄」の時期は大したことなかったですし。
そんな訳で今年の目標は後ろ向きかもしれませんが、可能な限り「蓄える」です。
金銭的には昨年、一昨年は事務所移転で出まくってますもんねえ。とりあえず各金融機関の積み立ては倍額にしました。あると使うんで(苦笑)
世の中は消費を煽るような風潮があるような気もしますが、相変わらず天邪鬼なところは私らしさを出していきたいな、と。
あと昨年後半から始めて半年続いた水泳&トレーニングですが、基本運動大嫌い&自称運動神経マイナスな私がこれだけ続けたということは昨年から本格的に始めたスキーにしても今までの私的にはあり得ないことですが、正直やってて気持ちいいのは事実ですし、これからも続けていきたいと思います。体力は何をするにしても基本ですし。まあこれも「蓄え」ですよね。
スローダウンと「蓄え」で本業も他のことも更にきめ細かく進めていきたいです。
あと今年はもうちょっとここの更新頻度を上げていきたいですね!(笑)
そんな訳で本年もどうぞよろしくお願い致します。

良いお年を

・・・という訳で今年はまた更新したのは年末だけでしたが、今年は結構沢山書きましたよ~。
本当はもう一つ書きたいテーマがあったのですが、正月休みにでもupしたいと思います。間違いなく長くなりそうですので年内はもう無理です(苦笑)
皆様本年もいろいろお世話になりまして誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
では皆さん良いお年を。

今年を振り返る その3

勝手な思い込みかもしれませんが、私の同業者(税理士/会計士)は「文武両道」な人が多いような気がします。まあ「士」は伊達じゃないというか。
ところが私は自称「運動神経マイナス」。子供の頃からスポーツ/運動は全くダメでした。
私の子供の頃は保護者や先生の思いとは違い子供達の間ではいくら勉強が出来ても運動が出来なければ全く意味がない、という雰囲気があったような気がします。今の時代なら価値観も多様化していて運動が出来なくても他の分野で認めてもらえる環境が存在していると思うのですが、少なくとも子供の頃の私の周りにはそんなものはなかったような気がします。
子供の頃の私はそれなりに勉強は出来ました。それに加えて美術も音楽も成績は良かったです。しかし体育だけは全然ダメでした。5段階評価で2を付けられたこともあります。
正直体育以外の科目に5が沢山付いてもちっとも嬉しくなかったです。子供の世界ではそんなこと何の意味もなかったのですから(更に言えば所詮田舎の学校での「5」。当時から「井の中の蛙大海を知らず」だと思っていました)。
最近私の母から聞いた話ですが、運動神経抜群でスポーツは何をやっても一流だった私の父は子供の頃の私とキャッチボールをやっても全然上手くならないのを見て早々に「こいつは(運動は)ダメだ」と早々に運動に関して教育するのは諦めた、とのこと。そんな訳で体育の時間はずーっと憂鬱な時間でした。
そんな私が今年の下半期あれこれ運動/スポーツにのめり込むことになろうとは・・・。
20年近く前今ほど忙しくなかった頃近所の市営の体育館(現在は指定管理事業としてNPO法人が運営しています)付属のトレーニングルームに通っていた時期があったのですが、父の死、そして私が事務所経営を引き継ぐに至って多忙になり足が遠ざかっていきました。
しかし昨年くらいからようやくあれこれ忙しいのがましになってきて気持ち的にも余裕が出来始めたためぼちぼちトレーニングルーム通いを再開しました。更に併設されている市営プールで泳ぐことも始めました。市営プールにはこれまでも断続的に通っていたのですが、今年はかなり通い詰めたような気がします。
水泳は小学校時代例によってカナヅチだった私を見るに見かねた親に水泳教室に連れていかれて50mくらいは泳げるようにはなっていました・・・が物凄く遅いですしそれ以上連続して泳ぐことはできませんでした。
社会人になってから某女性タレント(血液がワインで出来ているらしい人)がテレビ番組で「私ノンストップで2000mは泳げるわ」とコメントしていたのを見て「マンガ道場に出来ることが私に出来ないはずはない!」(←:誰かバレバレですね(苦笑))とあまりよくわからない理由で発奮して気が付けば500mは軽くノンストップで泳げるようになっていました。無駄な動きを減らせばスピードも速くなりますし楽に長距離泳げるようになるんですよね。
そんな訳で7月くらいから週2、3回のペースで平日仕事が終わってから、あるいは週末にプールで1000~1500m泳いでからトレーニングルームに通うようになりました。自分でも驚いたのはずーっと続けられたことです。習慣にしちゃえば続けられるんですよね。
で、どうなったかというと、健康診断の結果はコレステロール値、中性脂肪が減りました。数値が改善したのは今までで初めてのことでした。ただ体重はあまり変わらず・・・。脂肪が筋肉に変わった・・・のかな?
それはともかく、身体を動かす習慣が付いたのは気分的にもいいですね。


そして今年の大きな変化として、家族でスキーに行くようになったということが挙げられます。
スキーは20年ほど前に大学時代の友人に連れられて行ってようやくまともに滑れるようになりました。小学校5,6年でスキー教室があったのですが、5年生で行った時やはり全然ダメでして嫌になって6年生の時は仮病で休みました(苦笑)
20年前は一緒に行った友人の教え方が上手かったんだと思います。私でも滑れるようになったんですから。
今年の正月休みに琵琶湖バレイに久々に行ってみたのですが、何せ約20年振り、完全に滑り方を忘れていましてこの時は全然ダメでした。20年前滑れたのはまぐれか、と思っていたら最後の方でようやく思い出しまして、2月にもう一度行った時には完全に感覚を取り戻していました。
非常に楽しかったので昨冬のシーズンオフに思い切って家族3人分スキー道具一式を買ってしまいました。そして先日2泊3日で岐阜のウイングヒルズ白鳥高原リゾートに行ってきました。
リフトも複数設置されているだけでなくゴンドラまで設置されていてコースも10本以上、しかも2000m以上のコースが何本もあるという大スケール。しかし家族で泊りがけでスキーなんて基本グータラで運動が苦手な私ではありえない話です・・・。
初日に私が調子に乗って上級者コースに行ってコースから外れて雪の壁に激突、雪を飲み込んで一瞬呼吸が出来なくなったり自力で脱出できなくて4人がかりで救出してもらったというアクシデントがありましたが、それ以外は天候にも恵まれて3日間満喫しました。


しかし何が凄かったってうちの子供の驚異的なスキーの上達ぶりですよ。私が25歳でようやく出来るようになったことを7歳でやってのけたんですもん。
今回初めてスキーをぶっつけ本番でやらせてみたのですが、3日目になると私が結構速く滑っていくのに付いてきてました。正直見直した、というかこいつ凄いぞ、と真剣に思いましたしとても嬉しかったですね。遠路はるばる行った価値があった、と思いました。
そんな訳で気が付いてみればかなりアクティブに身体を動かすようになっていた訳ですが、これもこれまでとは違う試みだったと思います。
他の人にとっては普段から当たり前のようにやっていることかもしれませんが、私にとっては劇的な変化です。来年以降もこの流れをキープしていきたいですね。

今年を振り返る その2

今年は久々にいろいろな人と再会する機会が多かった年でした。
 初っ端正月休みから滋賀県に住んでいた頃の中学校の同窓会が開催されました。同窓会自体約20年ぶりとのことでした。
私は中2まで滋賀県に在住していたため厳密には参加資格があるのかどうか微妙だったのかもしれませんが、facebookがきっかけとなって招待していただくことになりました。
多くの皆さんが感じておられると思うのですが、こういう場面で発揮されるfacebookの力は強烈なものがあると思います。
実は何人かの同級生とは付き合いが続いていたのですが、基本的には皆さんとは約29年ぶり!!!の再会でした。
 皆さん容姿はすっかり変わっていました(私を筆頭に(会う人会う人「誰やねんこのデブ」(苦笑→学生時代からでも体重1.5倍になってますもんね))が、実は声と眼球は変わっていないんですよね。眼付きではなくて「眼球」っていうのがミソです。
同級生全員で1学年50人くらいという田舎ならではの小規模な集まりだけに、参加者25名程度で出席率は非常に高かったのでは、と思いました。残念ながら所用で参加できなかった方からも近況報告は結構届いていたみたいです。
 久々に皆さんにお会いして感じたのは、みんな真面目だったよな、ということです。私は中3の4月という非常に微妙な時期に父親の仕事の都合(独立開業)で京都に引っ越したのですが、そこは非常に荒れていた学校でしたので・・・。
一例を挙げますと、図書館に鍵がかかっているんですよ。何故なら本が盗まれるから・・・。あと電気のスイッチが悉く中に押し込まれて破壊されているのが妙に印象に残っています。正直理解に苦しみますが、ああいうのも”ワル”のアピールの仕方だったのでしょうか・・・。
その一方で体育祭や文化祭といった大きなイベント時には全員が一枚板になって熱心に参加する、という面もありまして、実は1年という短い期間ではありましたが、京都の中学校での生活はかなり充実していたのでは、と思います。
こちらでは十数年前に一度同窓会を開催しているのですが、たった1年そこに居ただけの私が幹事を務めることになったんですよね・・・。
勿論こちらの同級生でも付き合いの続いている人はいます。今年の夏には約9年ぶりに私の結婚式に来ていただいた京都の中学時代の友人と再会したりもしました。京都の中学時代の友人には実はうちの事務所の顧問先の社長になられていて普段からよくお会いする人もいるんですけどね。
 
 今年の6月には私が通っていた高校にて「租税教室」を開催しました。
文字通り我々税理士が自分の通っていた母校で(大抵の場合社会の授業の時間を使って)税金に関する授業を担当する、という内容です。
昨年私ともう一人税理士の同級生と一緒に提案してみた所是非ともやって欲しい、と言われて今回開催しました・・・が実は私が通っていた高校は基本的に中高一貫で(私は高校から途中編入)、カリキュラムの進度が早いため本来高1のクラスで教える内容を中3で教えているがため、税理士会が薦めている租税教室の「自分の母校である「高等学校」」での授業、という要件に該当しなくなってしまい、完全にボランティアでの開催となってしまいました(その結果税理士会からの謝金が出ない・・・)が、学校側からの強い要請もありましたので引き受けた次第です。
 打合せの段階でいろいろな先生とお話ししたのですが、何が凄いって実は我々が習っていた当時の先生がまだ健在で、しかも同級生の一人がこの学校の教師として就任していて更には今回授業を持つことになった中3のクラスの一つの担任までやっているということです・・・。
皆さんとは実は数年前に開催された同窓会にてお会いしているのですが、スムーズに準備を進められたのもそういう縁があったからかな、と思いました。
本番の授業も1コマ50分×4クラス、昼食を挟んでぶっ通しで非常にハードでしたが、何とか無事終えることが出来ました。
全体的に生徒の反応も良かったのでは、と思いました。社会の先生(私の高3の時の担任でした)が「1学期の期末試験で今日の授業の内容出すぞ!!!」とおっしゃったのも効いていたのかもしれませんが・・・。
 そしてつい先日の事でしたが、公認会計士を目指して切磋琢磨していた専門学校での受験時代の仲間と再会する機会がありました。
縁あって今年再会した会計士の仲間(これまたfacebook経由で、レトロアーケードゲーム絡みというのがミソですが→これについても触れないといけませんが、何とか年内次回の投稿にて触れたいと考えております)からのお誘いでしたが、専門学校に通っていたのはもう19年も前のことなんですよねえ・・・。
仕事柄今も時々お会いする方もおられましたが、本当にその時以来という方もおられました。
皆さん紆余曲折を経て立派に様々な場面の第一線で活躍されているなあ、と感慨深く思いました。私ももっとがんばらないといけませんね。
 来年はどんな出会いが待っているのか、あるいは意外な方と再会することがまたあるのか、いずれにせよ今まで通り「縁」を大切にしてがんばっていきたいと思います。
そして今年再会した皆様、これまでからお世話になっております皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

今年を振り返る その1

・・・はい、今年も年末だけ更新になっちゃいました・・・(苦笑)
まあそれだけ多忙だったのは事実だったと思います。ありがたい話ですよね。
今年は公私共に今までやったことがない、あるいは経験したことがないようなことを多くしてきたように思います。
仕事に関しては守秘義務の関係もあってあまりお話しできませんが、それまでやったことがないようなことでもあれこれ調べたり聞いたりして取り組めば何とかこなせるんですよね。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」であります。どうすればいいかわからなければ聞けばよい!
そんな訳でいろいろ慣れないことをこなしていく内にちょっと自信が付いてきたような気がします。
来年以降もまた聞いたこともないような話が出てくるかもしれませんが(実は既に何件かそんな仕事のオファーは来ているのですが)、まあ何とかなるもんですよ。
明日で事務所は仕事納めですが、その翌日からこれまた私は初めての泊りがけスキーに出かけることになりました。
先程車にスキー板を積むキャリアをセットアップしてました。これまた初めて・・・というかそこまで気合入れて行くというのがズボラで運動神経マイナスを自認している私にとってはほとんどありえないことのような気もするのですが・・・。
という訳で、スキーから無事帰って来れたら「今年を振り返る その2」にて再びお会いしましょう!

よいお年を

早いもので今年もあと4時間程で終わろうとしています。
今年は結構自分のやりたかったことが出来たのでは、と思います。
先日ここでも触れた新事務所建設については、年初の段階では何らかの形で出来れば、とぼんやりと考えていただけでしたが、実際完成してみると感慨深いものがあります。
宅建試験は残念な結果に終わりましたが、8年越しでやっと取り組めた、というのが何より私にとっては重要なことでした。
このように昔からやってみたい、と思っていたことを忘れないで&諦めないで取り組んでいく姿勢を来年以降も続けていきたいと考えています。やりたいことは山ほどありますので。
案外粘着質なくらいしぶといのは私の強みかな、とは思っています・・・というか凡人にはそれくらいしか他人と差を付けるには方法がありませんので(苦笑)
本年もいろいろお世話になりまして誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します
では皆さん良いお年を。

事務所移転します

今年もいよいよ大詰めです。そして今年もこちらは年末しか更新が出来なかったみたいですね(苦笑)
お陰様で今年も大変忙しく過ごした1年でした。ここ数年あれこれと公的な役職を務めていたのですがそれらのいくつかが任期満了に伴い無事退任することが出来て今年の後半はここ数年にないくらい比較的「自分の時間」を持つことが出来ました。ここぞとばかりこれまでやりたかったのですが出来なかったことをあれこれとすることが出来ました。例えば8年前に勉強を開始したものの急遽結婚することが決まり断念した宅建(宅地建物取引主任者)の資格試験に挑戦したり。結果は不合格でしたが(最近ようやく自己採点したのですが・・・正直お話にならないレベルでした→ちと自分に腹が立ったので再度チャレンジします!)。
そしてこれもここ数年来の悲願だったのですが、事務所を移転する段取りがようやく整いました。
最終の詰めの作業がまだ残っているのですが、予定では来年の仕事始めから新事務所に移転して仕事をスタート致します。場所は現在の事務所の道路を挟んで向かいになります。
そもそも何故事務所を移転しようと考えたのかと言いますと、先代が自宅の裏に立てた今の事務所ですが、困ったことに地盤沈下していまして、看板やガレージの柵が目に見えて傾いていたり、室内ではドアノブが閉まらなくなっていたりあちこち雨漏りがしていたり(事務員の机の真上が雨漏りしていました)壁にヒビが入っていたりで踏んだり蹴ったりの状態になっていました。事務所より10年近く前に建てた南側すぐ隣の自宅は(一度リフォーム工事はしていますが)全く大丈夫だというのに・・・。
元々今の事務所の場所はその昔は湿田だったそうです。それ故に今も地下水の影響で冬場になると湿気で結露して複合機で印刷が出来なくなる、という問題も起きていました。
とりあえずヒーターを付けてもらって何とか問題解決したのですが、音が結構目立つんですよね。余計な電気も消費していますし。
そして元々その自宅を事務所と兼ねてスタートしたのですが、それから北側に事務所を購入したり事務所の規模が大きくなるに連れて電話のシステムが複雑怪奇になってしまいどうも余計な電話代を支払っているのはわかっていたのですがどこから手を付けたらいいのかわからない状態になっていましたし、インターネットは自宅から無線LANを飛ばす、というかなり綱渡り的な環境だったり、という具合にあれもこれも問題だらけになっていました(他にもあれもこれも問題は山積みでしたが書くと長くなるので省略)。
そんな訳で数年前から事務所の移転を考えるようになったのですが、当初は自宅を事務所に戻して我々の自宅を近所に移そう、と考えていました。
税理士登録の際「郵便物の届く所在地に登録してくれ」と言われたので登記簿上は事務所所在地と自宅が違うのですが(郵便物が届く)自宅を事務所所在地として登録したので自宅を事務所にすれば変更手続きが要らないので楽だし妻があれこれと自宅に関して注文を付けるのでその問題も解決できる、と踏んだという次第です。
で、実は近所に自宅の候補地として(記憶が間違いなければ)十数年前から空き地になっていた南向きのいい土地がありまして、そこを顧問先の不動産関係の仕事をされている方や司法書士の先生に調べてもらった(持ち主に直接交渉して売ってもらおう、と考えていました)のですが、全く無しのつぶてで(登記簿に掲載されている所有者の住所に行っても誰もいない、とのこと)売買交渉は無理、という結論になりました。
実はこの土地、新しい事務所がほぼ完成しつつあった時期に何と売りに出ました・・・。何てこったい、と思わざるを得ないです。何というタイミングの悪さ・・・。
しかし売りに出していた業者は登記簿上の土地の所有者の住所とは全然違うエリアの業者だっただけに、最初からここを取得するのは無理だったのかな、とあきらめも付いたのですが。
そんな折に今年の2月頃自宅と事務所の道路を挟んで向かい側が宅地開発される、という看板(開発許可申請)が掲げられました。
さあどうする?ここは思い切って行くべきかどうか・・・と思う間もなく案外あっさりとこの区画のどこかを取得すべし、と決めていました。だって道路挟んで向かいですもの。どう考えてもこれはおいしいですよ。
で、当初はそちらに自宅を移そう、と考えて妻にも提案したのですが、何と却下されました・・・。あんたあれだけ自宅別の場所に移りたい、と言ってたのに・・・。
何でも結婚して実家から移り住んで8年、今の自宅は場所もいいし陽当たりもいいし隣の方も親切でいい人なのに新しい場所に行ってまた別の人と近所付き合いするのはしんどい、とのこと。
そして妻からは「事務所をそっちに移したらええやん」との提案が。実は私そのアイデア全然思いついてなかったんですよ・・・。なーんだ、その手があったか、と。
そんな訳で看板に記載されていたディベロッパーに電話して「まだ空いてますか?」と尋ねたら、ラッキーなことに西南の角の1号地は空いている、とのこと。速攻押さえることに成功しました。
しかし何とこの時点で隣の2号地を既に押さえられている方がいたのだそうです・・・。2号地には既に入居されているのですが、実は近所から引っ越されてきた方でとても感じのよさそうな一家です・・・がこの方が私の事務所の顧問先の知り合いだったりしましてその方から2号地に来られる方がどんな家族なのかを聞かされたりしています。うーむ世間は狭いというか何というか・・・。
7月に正式に売買契約を締結しまして9月頃から建築開始、よりによって11月の私の子供の誕生日に引渡しが完了しまして、そこからあれこれ準備作業を(仕事の合間をぬって少しずつチマチマとやっていきました)進めて今週になってようやくインターネット回線、電話工事、机や椅子の運び込み等が終わって、仕事納めを待って明日コンピューターや複合機を移転してLANやネット環境を再構築してやっとこさ移転作業に目途が付きます。
何せ道路を挟んで向かいですので資料・ファイル等は後からでも必要なものを少しずつ運べばいいのがありがたいですね。実際はセキュリティの入れ替え(大切なことなのに忘れてた(苦笑))等の作業は来年回しになってしまいましたが、とりあえず仕事始めには間に合いそうです。しかし私の資格の変更登録や案内状の送付やらまだまだしないといけないことは山積みです。まあそれらはぼちぼち片づけていくことにしますが。
来年からは心機一転、今まで以上に気合を入れて仕事に邁進して行きたいと思います。
皆様これからもどうぞよろしくお願いいたします!!!

今年を振り返る

はい、今年もこちらは数回しか更新できませんでした・・・。誠に申し訳ありません。
確かに忙しかったのですけど、facebook(https://www.facebook.com/mitsuhiro.koyama)にハマってるだけじゃねーのかよ、という突っ込みが来そうですね。
という訳で今年を振り返ってみたいと思うのですが・・・正直何してたんだろう?
とにかくあっという間でしたね。
今年私は42歳になったのですが、いわゆる「後厄」の年でした。
私自身は大したことなかったのですが、私の周りで多くの方が亡くなられた年でした。
特に顧問先の社長が立て続けに、それも50代、60代で亡くなられたのは本当にショックでした。
私も父を50代で亡くしていますから残された遺族の皆さんの気持ちはよくわかります。
でもそこでめげないでがんばって欲しいと思っています。ある顧問先では娘さんが何と20代で社長に就任されました(しかも彼女は末っ子です!)。何が凄いって彼女が社長に就任してから製造原価が劇的に低下していきなり黒字決算を叩き出されたんですよ。実に頼もしいです。本当に大変だったと思いますが、これからもがんばって欲しいです。
総じて3年間の厄の期間私自身は大丈夫でした(昨年は子供から手足口病を伝染されたりやら普段全く運動してないのに10数年ぶりにいきなり走って足を痛めたりという具合に何やっとんねん、的なある意味自爆ばかりしていましたが(苦笑))が、昨年は二度の死産もありましてやはり厄には気をつけないといけないな、と思いました。
とにかく今年1年、本当に忘れっぽくなりました(苦笑)
何せ何か書こうとしても全然思い出せないのですから。
まあしかし渡辺淳一氏(明日から日経朝刊「私の履歴書」に登場されますね)曰く「鈍感力」で乗り切っていけばいいんですよね。
氏の発言をそのまま引用させてもらいましょう。
「でも、鈍感なのは素晴らしいことなんですよ。傷ついてもすぐに立ち直れるし、いろいろなことを言われてもすぐに忘れられる。私が言う「鈍感力」とは、どんな時もくよくよしないで、へこたれずに、物事を前向きに捉えていく力のことです。 」
皆さま本年も誠にありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。

ライオンズクラブ退会

京青税卒業とほぼ同時期になるのですが、6月末をもって約7年間在籍していた綴喜ライオンズクラブを退会することとなりました。
ご存知の方も多いと思いますが、ライオンズクラブはロータリークラブと並ぶ国際的な奉仕団体です。
綴喜ライオンズクラブは文字通り綴喜郡のエリア(但し京田辺市、井手町のみ→何故か宇治田原町はエリア外、八幡市は八幡ライオンズクラブが分離してそちらのサービスエリアとなった)をサービスエリアとしています。
父が存命中長い間この綴喜ライオンズクラブに所属していまして(顧問先をゲットしたい、という意図もあったと思うのですが、在籍中顧問先になったのは1件だけでした・・・)、その縁で私も大学生時代に当時のクラブの大きな事業だったYE(Youth Exchange:交換留学生制度→世界中のライオンズクラブで相互に学生の交換留学を行うという事業)に参加させてもらいまして、6週間オランダに行ってきました。現地では大歓迎を受けて毎日とても楽しい日々を過ごしました。歓迎され過ぎて正直くたびれてしまったくらいでした。
またこのYE事業は自分が海外に行くだけではなく他の国からの留学生を受け入れる義務がありまして、私の家族ではマレーシアからやってきた高校生(当時マレーシアからやって来れるだけあって上流階級のご子息でしたが、物凄く聡明な男の子でした)を受け入れて3週間という短い期間でしたが楽しい国際交流活動を行ったりもしていました。
オランダに行った時もマレーシアからの留学生を受け入れた時も基本的に英語で会話していました。私は実はまともに英語を勉強していない(きちんと体系的には全然勉強できてません)のですが、当たって砕けろでやれば何とかなるものだな、と痛感した次第です。
父の病死後しばらくはライオンズクラブとは縁がありませんでした・・・が父の親交のあった皆さんがしきりに私にも入会を勧めていまして、私は結婚したら入会する、と言って勧誘をかわしていたのですが、平成17年に結婚することが決まり、そこで覚悟を決めて入会することとしました。
当初は楽しく参加していた(うちの事務所の顧問先の方もおられましたし)のですが、転機は計画委員長(年に何度かある「特別例会」の企画運営)を担当した時に訪れました。
私としては三役(会長、幹事、会計→クラブでは最も重要な役目)の指示に従ってイベントの段取りを進めていただけなのですが、これまでとは違う路線に古参の会員から猛反発を食らい、その批判の矢面に立たされたのでした。
酒の席とはいえ滅多に怒らない私が古参の会員相手に激怒してしまったくらいです(今でもあの会員だけは許せないです)。
この事業年度は例会に皆出席を果たしたのですが、この辺りからどうも居心地の悪さを感じるようになりました。
そして一昨年の事業年度に三役の一つである会計を担当することになった(まあ一応専門ですし)のですが、この時にある事件が勃発しました。
詳細はあまり言いたくないのですが、とにかくこの事件(会計に関することではないのですが)で私は責任を取ってクラブを退会せざるを得ない状態になりました。
昨年6月に一旦退会届を出したのですが、次の年度の会長が実は私のスポンサー(クラブに入会するにはスポンサー=推薦者が必要)でして、1年待ってくれないか、と言われたためとりあえず1年待ちました。
そしてこの6月で会長も任期が終わったためここで正式に退会した、という訳です。
いろいろな事件やいざこざは確かに退会の直接の理由かもしれないのですが、実は顧問先の社長や仲間の税理士で他のライオンズクラブに所属されている方から聞いている活動内容(あとロータリークラブの会員の方)とは雲泥の差だな、と痛感していたのも事実です。
今頃言っても仕方がないことかもしれませんが、不満に思っていたことはいろいろとありました。
とりあえず思いつくまま箇条書きしてみますが、まあ多分あの理事会ではこんなこと主張してみても「糠に釘」だったんじゃないかな、と思うのですが。
・何故例会をいつも夜に行うのか→今や他のほとんどのクラブは普段の例会は平日の昼間等に簡潔に行って年数回開催される「特別例会」を派手に盛り上げる、という形式になっていると聞いていますが、お金もないのに何で旧態依然、というかバブル時代的なやり方を続けているのか。(ついでに言うといくつかの行事が常に京青税の重要なイベントと見事に重なっていたりしました→何度か京青税に迷惑をかけたこともありました)
・「ライオネスクラブ」の存在→ライオンズクラブ会員及び物故会員の配偶者の会が綴喜ライオンズクラブには存在しています(規約上は現時点でも設置するのは構わないのだそうですが)。
これのおかげで実質的に男性しか入会できない。時代錯誤もいいところです。
私が会計を担当していた時のエリアの三役会議においても「いつまでライオネスクラブを存続させるのか」と指摘されていたのですが、当時の会長/幹事は無視していました。
ちなみに私の妻は自動的にライオネスクラブの会員になっていたのですが、会合には一度も行ってませんし夫婦同伴の例会にも一度も参加したことがありませんでした。
子供が出来て世話が大変ということもあったのですが、むしろ私が連れて行きたくなかったということが理由です。
・他の会員との年齢差→これは仕方がないことなのかもしれませんが、やはり居心地が悪かったのは否定できません。
仕事の話は出来ても時代感覚や趣味が合わないというのは決定的にマイナスです。まあこれは他の会合でも同じなのですが、他の会合ではあまり気にならないのはなぜでしょうか。
先述の通り古参会員とのいざこざもありましたが、こんなことも他の会合では今まで経験したことなかったのですが。
・例会のコンテンツのショボさ→特にクリスマス家族例会(子供や孫も参加可能)がそうだったのですが、今時あんな内容で子供や孫の世代が喜ぶのでしょうか?むしろやらない方がましではないか、と言いたくなるくらいでした。
先述の例会の開催形式にも関係してくるのですが、「特別例会」にアイデアを集中させて普段は質素にする、という具合にメリハリを付けるべきだと思います。
今までの慣例に乗っ取ってダラダラと毎年同じ内容を繰り返す、というのでは参加意欲も失せてくると思うのですが。
前回のブログでも書きましたが「頼まれたら断れない」性格の私だけに(苦笑)この手の会合も自分から辞めるということは滅多にないことだと思います。
そんな私が辞める決意をしたということはよっぽどなことのように見えるかもしれないのですが、あまりそんな気持ちでもなくて何かしら自分の中で何かが消え失せていったような感じがします。
まあよく考えてみたら昨年既に辞意を表明しているのでその時点でクラブに対する関心や情熱は醒めてしまっていた訳ですから。
いずれにせよ京青税も卒業したことですし、あれこれ考える時間ができたような気がします。
とりあえず対外的なことに時間を取られて自分がやりたいことを後回しにしていたので、今後しばらくはそれを消化することに専念したいと思います。

京青税卒業

私は平成14年に近畿青年税理士連盟京都支部(以下「京青税」:http://www.aozei.org/)という税理士の任意団体に入会しました。
この会は(京青税ホームページより→上部組織の「近畿青年税理士連盟」について)「近畿一円より集まった1,000名超の若手税理士の団体で、『納税者の権利を護り、租税制度の改善と税理士制度の発展』を願い、若き情熱を持って活動しています。豊かな人間性を育みながら会員同士の連帯を深め、スペシャリストとして、より納税者の信頼を得られる税理士になれるよう、『親睦と研鑚、税理士制度の研究』に努めています。」という団体(の京都支部)であります。
会員の種別として「正会員」「特別会員」があるのですが、正会員は原則として40歳を超えたら卒業することとなっていまして、この度6月に開催された定期総会をもって私も晴れて卒業(=特別会員に移行)することとなりました。
この京青税には亡き父も所属していて仲間の税理士の皆さんと和気藹々楽しく活動していました。
実はこの青税(全国組織:近畿青年税理士連盟には更に上部の組織として「全国青年税理士連盟」が存在します)は基本的には5科目の税理士試験に合格した人を対象としている組織なのですが、皆さんご存知のように公認会計士の資格で税理士登録をしているような私でも先輩諸氏は優しく受け入れて下さいました。
この懐の深さが京青税の最大の魅力ではないか、と思いました。その思いは活動を続けていく内に益々強くなっていきました。
これは余談ですが、実は私の父は税理士試験(必須科目、選択科目合計5科目合格する必要がある)は5科目合格すればいいところ最終年度で2科目合格して合計6科目合格していたりします。ところがどういう訳か6科目合格してしまうと合格証書がもらえないという決まりになっているそうで、私の父は税理士の合格証書を持っていませんでした(のですが当然税理士になる資格は付与される)。確かに私も父の合格証書は見たことがありませんし。
約10年間の京青税所属期間中私は様々な部会に所属していましたが、最初に所属したのが制度部でした。
制度部とは文字通り税理士制度に関する研究を行う部門で、青税の根幹をなす部と言っても過言ではありません。
税理士は税法や会計に関する法律等に関する勉強は仕事を遂行する上で当然必要になるので皆さん必死になって勉強する(努力義務規定ではありますが税理士には研修受講制度もあります→http://www.nichizeiren.or.jp/taxaccount/training.html参照)のですが、税理士という制度自体を規定する税理士法や国税に関する一般法である国税通則法といった法律は非常に重要なのに勉強する機会は意外なことにあまりないような気がします。
制度部ではこれら税理士制度に関する法規定や諸問題を勉強するのですが、青税に入っていなければ私は税理士制度に対して関心を持ったり問題意識を持ったりすることは決してなかったでしょう。
先述の通り青税は基本的に税理士試験合格者を対象としているため、私のように公認会計士の資格で税理士を登録するというのは青税的には「?」となってしまうのですが、公認会計士に限らず様々な「入口」が存在する税理士資格取得制度に関する問題点を意識するということは非常に勉強になったと思います。この問題に関しては様々な意見が存在すると思いますが、現時点で既に様々な道をたどって税理士の資格を取得している人がいる訳ですし、それぞれの立場で前向きに建設的な意見を出し合ってよりよい税理士制度の構築に邁進していくべきではないのでしょうか。
制度部でよく行われた勉強の形式に「公開勉強会」がありました。これは制度部員だけでなく京青税会員に限らず税理士なら誰もが参加可能(私も一度ですが京青税会員でない税理士が参加している時に参加したことがあります)で制度部員の研究発表の後ディスカッションを行う、というものです。
入会間もない頃は研究発表のレベルの高さやディスカッションでの白熱した議論に正直「何これ・・・」と戸惑い、怖ささえ感じていたものですが、時が経ち私も公開勉強会の講師を担当したり制度部例会では皆さんの前でマイクを持って話すようになりましたし、冊子の原稿も執筆するまでになりました。
この仕事をしていますと必然的に人前で話をしたり原稿を執筆したりする機会が多くなるのですが、その基礎的なノウハウを叩き込まれたように感じています。
10年間で制度部の他にも様々な部会に所属していましたが、トータルでは広報部のウエイトが一番大きかったのではないか、と思います。
過去の広報誌を見返してみますと結構ちょくちょくと原稿を執筆していたりしますし、何より正会員最終年度に最初で最後の部長を担当したのも広報部でした。
私は京青税以外の諸団体であれこれと役職を歴任しているのですが(単に頼まれたら断れないだけのような気もするのですが(苦笑))、単年度事業とはいえこの京青税の部長という職は最も大変なのでは、と想像していました・・・がやはり予想通りこの1年間は本当に大変でした。
部長就任後早速広報誌の編集に取り掛かったのですが、(昨年ここでも触れましたように)子供から「手足口病」を伝染されてしまいいきなり出鼻をくじかれたりもしました。しかし部員の皆さんやその他多くの皆さんのご協力により(多くの方々に原稿を依頼するのですが、断られたりしたらどうしよう、と不安になったりもしたのですがほとんど皆さん快く引き受けていただきました)何とか1年間走りきることが出来ました。
実はこの京青税では会員同士で結婚するという凄い縁もありました。
妻はほぼ私と同時期に京青税に入会したのですが、その頃は会えば普通に会話する、という程度の仲だったのですが・・・人生何があるかわかったもんじゃありません。
今では妻から子供と一緒に「ぶたおやじ!」と呼び捨てられる有様ですが・・・。
それも含めて京青税には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
京青税での多くの出会い、多くの経験、多くの体験が基本的にヘタレだった(今もそうですけど)私に自信を与えてくれて、私を大きく変えてくれたと確信しています。本当にありがとうございました。
これからは特別会員として一歩退いた場所から正会員のサポート役に回っていければ、と考えています。
何せここで妻と出会っているのですから、足を向けて寝られませんものね!