いつもながら、こちらでは皆さんお久しぶりです。
本当になかなかこちらを更新しようとしても時間がなくてついついfacebookばかり書き込んでしまっています。申し訳ありません。
少なからずこちらのブログを見ておられる方がおられるみたいですし。先日はこのブログを見て約7年ぶりに連絡いただいた方もおられたりします。
何とかマメに更新できるよう努力いたします・・・といつも言いつつなかなか出来ないのですが、気持ちだけは常に持っておりますので。
という訳で、実は今日は私が税理士登録してちょうど10年になるという日であります。
長いようであっという間(「短い」とは言いませんよ)の10年間でした。振り返ってみれば本当にいろいろなことがあったと思います・・・が正直いろいろなことがあり過ぎて詳細にわたってはあまり思い出せないんですよね。
少なくとも結婚して子供までいる、という今の状況は10年前には全く想像できませんでした。まあとにかくそれまでの人生ではそちら方面の縁は全然ありませんでしたからねえ・・・。
あとこれは余談ですが、3年前の今日マイケル・ジャクソンが亡くなったんですよね。それでこの日は絶対忘れられない日になったような気がします。
ちなみに今年の4月で公認会計士登録からも10年が経ちました。
しかしこちらはすっかり忘れていたりしたのですが(苦笑)一応下っ端ながら京滋会の役員もさせてもらっているだけにちょっとうっかりしていたな、と思ったのですが。
とにかくここまでやって来れたのも普段お世話になっている顧問先をはじめ、家族、同業者、近所の皆さん、友人、その他多くの皆様のおかげであることは間違いありません。改めてこの場をお借りして皆様に厚く御礼申し上げます。
10年間とにかくがむしゃらにやってきましたが、本当は目の前の仕事やら何やらをこなすだけで精一杯だっただけのような気がします。
自分の方から攻めの姿勢でなんてとてもとても無理でした。でも子供頃の私が「将来どんなことしているんだろうなあ」と想像していた自分よりもはるかに高い場所にいるような気がします。
父の急逝という事情もありましたがそれももう一昔前の話になりつつあります。
父は税理士を15年登録していたのですが、実は私は年数だけでいけば父のキャリアの2/3まで来ているんですよ。もし私が父と一緒だったとしたらあと5年で終わることになるんですよ。そんなの絶対嫌ですよね。
私の目標は「三代続けて50代では死なない。」肩すかしみたいに思われる方も多いかもしれませんが、もうそれだけで十分です。(ちなみに祖父も51歳で事故死しています)先述の通り既に子供の頃想像していた場所なんかよりはるかに高い場所にいるんですから。
但しこの目標をクリアするためにあれやらこれやら考えていく必要があると思います。まあしかしあまり深く考えなくても上手くいくんじゃないかな、と思うんですけどね。綿密に計画立てて行動したところで卓袱台ごとひっくり返されることを何度も経験しているだけに。これから不確実性が高まる時代を迎えることは間違いないだけに猶更そう思うのですが。
ただ締めるべき場所ではきちんと締める、嫌なことからは決して逃げない、突発的に何かが起きても慌てない、これだけは絶対守っていきたいと考えています。これまでの10年間同様に。
今回のタイトルに関してですが(単にモトリー・クルーのベストアルバムのタイトルそのままなのですが(笑))「Decadence」という言葉を調べていただければわかると思うのですが、まあ確かにこの10年間機会があれば酒ばかり飲んでいたとは思いますけど(苦笑)、19世紀末の芸術のように既成の価値観に疑念を抱くという意味もあるのでは、と思います。
やっぱ生き残るためには人とは違うことをしないといけませんよ。とは言うもののあまり気合い入れ過ぎても仕方がないと思いますが。
まあ慌てないで毎日できることから少しずつやっていけばいいのではないでしょうか。何より続けることが重要ですよ。
相変わらずのらりくらりとしたことしか書いていないような気がしますけど、これからも一生懸命頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿者: 小山 光博
今年を振り返る
本当に久々の更新になりました。
後述するようにfacebook(http://www.facebook.com/mitsuhiro.koyama)は頻繁に更新するようになりましたが、こちらはご無沙汰していました。
こちらを見ておられる方もおられます(更新サボってばかりでごめんなさい)ので&今年もいよいよ残り少なくなってきましたので、今年を振り返ってみたいと思います。
今更言うまでもないのですが、本当に今年は大変な年になりました。
3月11日の東日本大震災、そして福島原発の事故です。
正直関西においては実感が湧かなかったのは否定できません。
私としては夏の節電要請を意識して網戸の張り替えに挑戦した、というくらいしか直接的な影響はなかったような気がします。何とも呑気なものですが。
しかし地震直後に「少しでも余震から逃れたい」と京都に来られた東京の知人から色々と生々しい話を聞いて衝撃を受けたのも事実です。
余裕があったからこそ出来たことなのかもしれませんが、震災以降私は過去の日本の歴史において同じような災難があった時我々の先祖がどのようにそれに立ち向かいそしてどのようにしてそれを克服していったのか、ということを調べました。
確かに今回の震災は非常に大変な事態でしたが、昔は今のように文明が発達していませんでしたし復興には物凄い時間がかかっていました。
平安末期~鎌倉時代初期には日本のあちこちで立て続けに約30年間地震/津波、火山噴火、台風、天候不順が連続して起きて本当に国家破綻寸前になったのだそうです。
江戸時代初期に元禄文化が栄えた、ということはご存知の方も多いと思いますが、原動力となったのはこの時代に海沿いの低地を干拓して米の生産量が飛躍的に増加した(この時代の日本は米が「マネー」だった)からでした。各地の大名もそれを理解していて干拓に惜しみなく投資したのだそうです。
しかしそれは一瞬にして崩壊しました。原因は地震と大津波です。瀬戸内海にすら6メートルの津波が押し寄せたとのことで、干拓した田が一瞬にして全滅したのです。これ以降江戸時代は大政奉還まで一度も景気が良くなりませんでした(故に何度も「○○の改革」が実施された…のだが低空飛行のまま江戸時代は終わった)。
皆さんも歴史を振り返って欲しいです。間違いなくそこにこれから我々がどうやって生きていくべきなのかのヒントが存在すると思いますので。
今年私は「本厄」でした。
そんなことは迷信みたいなものだろ、と思っていたのでしたが、やはりそれは嘘ではないな、と思わされることが続きました。
私自身に関しては、7月に「手足口病」にかかり、10月には足を痛めてしまったという災難がありました。
手足口病とは文字通り手、足、口に湿疹が出来て高熱が出るという病気です。基本的に子供がかかる病気なのですが、今年は大人の間でも大流行しました。正直どこが子供の病気やねん、と言いたくなるくらい私の周りの大人でも発病した人が多かったです。
言うまでもなく私は自分の子供から伝染したのだと思います(子供は大したことはなかったのですが)。手や足の湿疹に高熱も辛いのですが何が一番辛いといえば「口」です。私の場合口内炎が喉にいくつも出来ました。その結果物は食べられない、水すら飲めない、しゃべることも出来ないという状態になりました。仕事があまり忙しくない時期だった(とはいえその頃取り掛かっていた税務調査の調整日がキャンセルになってその直後税務署の担当者が異動になり最終決着が大幅に遅れるというアクシデントもありましたが)のが幸いでしたが、本当に辛かったです。
10月の足のアクシデントは、慢性的な運動不足を解消しようと一念発起して9月中頃から朝早く起きて走り出したのですが、何せこのようなことをしたのは10数年振りだし、その10数年前に比して体重は20kg以上増加しています(苦笑)ので、走り始めて3週間くらい経った時点で足を痛めてしまった、という訳です。
皆さんにこの話をしたら「いきなり無理するからだよ」「歩いた方がいいよ」と言われたものです。まだ足の痛みを抱えていた中税理士会支部の旅行で沖縄に行ってそこで足を引きずりながら観光地を歩き回っていたのですが、それが功を奏したのか、帰ってから今までの痛みが嘘のように急速に回復しました。やはり歩くことから始めるべきなのでは、と今では思っています。
本厄だったとはいえ本業は案外順調だったと思います。
勿論今年もいろいろと大変なことがありましたが、皆さんのご協力もありまして何とか解決することができました。
やはり大切なことは一つ一つ粘り強く取り組むこと、決して諦めないことだと思いました。
来年も皆様の力になれるよう一生懸命がんばっていきたいと思います。
そしていろいろなことがあった今年非常に楽しませてもらったのは「Facebook」でした。
これまでもmixi、twitterといったSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)は利用していましたが、はっきり言ってFacebookは段違いに素晴らしい&怖ろしい程に凄い、ということを痛感した1年でした(あまり批判はしたくないのですが、mixiは「情報の非対称化」を最大限に利用したSNSだったんだな、と思いました。今年の度重なる迷走も含め今やFacebookの劣化コピーにしか見えないのですが)。
ご存知の方も多いかと思いますが、Facebookの最大の特徴は「実名」で登録しないといけない(偽名等で登録していることがわかればアカウント削除されます)ということです。
日本のネット文化の下ではこれがネックになってFacebookなんて普及しないだろ、という意見もありましたが、そんな意見が間違っていたことは今や説明するまでもないでしょう。ただ正直私も驚いているのですが。
Facebookの魅力を語り出すときりがありませんが、一つだけ取り上げると長い間疎遠だった方と再会出来た、ということが挙げられると思います。
とにかくやってみればその魅力はわかると思います。来年以降Facebookは更に盛り上がるとは思いますが、利用者が増えれば予期せぬ問題点も出てくるかもしれません。その辺りは冷静に見極めて行きたいと思います。
今年もいろいろとお世話になりました。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
皆様良いお年を。
史上最大の下剋上
ゴールデンウイークも間もなく終わろうとしています。
私の事務所は暦通りの休みでした。
以前は3月決算の業務等で休日も仕事していたものですが結婚して子供ができると普段子供の相手は妻に任せっ切りなだけに仕事一辺倒という訳にもいかなくなりまして無理をしてでも休日は休むようになりました。
という訳で十分に休息は取れたと思いますが、明日以降どれだけ効率的に仕事を進められるかが非常に気になる所です・・・。
という訳で以前からまとめる時間がなくて放置していたネタをようやく掲載することができるようになりました。プロ野球に関する話題です。
(しかしこの講演会が開催された時にはまさかあんな大地震が起きてその影響がプロ野球にも広がるとは(まあ当たり前ですが)想像もしていませんでした)
去る1月に日本公認会計士協会京滋会(以下「京滋会」)主催の講演会が京都市内でありました。
講師は千葉ロッテマリーンズ代表取締役の瀬戸山隆三氏。昨年パシフィック・リーグ3位からクライマックスシリーズを制し日本シリーズまで制して「史上最大の下剋上」で日本一になったロッテ球団の社長です。
京滋会の会員でかつてダイエーに勤務されていた方がおられてその方の縁で今回の講演が実現したとのことです。
というのも瀬戸山氏はロッテの前はダイエーホークス(当時→2004年にロッテに移られた)に在籍しておられたのだそうです。ダイエーは1999年と2003年に日本一になっているため昨年も含め4度日本一を経験しているという凄い人だったりします。
ちなみに2003年も2005年も日本シリーズの相手は阪神タイガースだったりします。特に2005年ロッテは阪神を4勝0敗のストレートで下しています。私にとっては2005年の滅法強いロッテの印象が非常に強く、それ以降別にファンでもないのですがロッテの動向は非常に気になるようになりました。
とはいうもののやはり関西といえば阪神ファンが圧倒的に多く(今回の講演は一般市民にも開放されていたのですが、そんな市民も何かにつけて「阪神がどーのこーの」と質問していました)、ロッテというといくら昨年日本一になっていると言ってもどうしてもインパクトが弱くならざるを得ません。そのためか参加者の数はいささか少なかったように感じました。ただ私は前述の理由もあって非常に期待していました。
公演の内容は期待通りの非常に興味深い内容でした。箇条書きで要点をまとめてみました。
・瀬戸山氏が経験した4回の日本一の内3回は(2010年も含めて)寅年。2005年は寅年ではないが「虎」に勝った、とのこと。
・2010年日本一を成し遂げた西村監督の前任であるバレンタイン監督には非常に苦い思い出ばかりだが”策士”であることは認めざるを得ない。(あれこれと愚痴話が続いた)
・ダイエー当時は球場と球団の売り上げは250億あった。しかし福岡ドームの土地と建物だけで2000億かかった。ちなみにマリンスタジアムのそれは約150億。
・ロッテに来た2003年当時で売り上げは20億、赤字は40億。
・こりゃいかん、という訳で当時の千葉市の市長(鶴岡啓一氏:2009年収賄の容疑で逮捕・辞職)を訪問した時のやり取り:
鶴岡「ほう、ロッテが来るとは珍しいねえ」(地元ですらこんな有様)
続けて鶴岡「でも周りはみんな巨人ファンばかりだよ」
瀬戸山「セ・リーグは巨人でもパ・リーグはロッテですよ」
鶴岡「いやあサッカーなら好きなんだけどねえ」
という訳でロッテの話題を千葉の地元に浸透させることから始めないと、と瀬戸山氏の改革作業はそこから始まった。
・日本で展開するロッテグループの中で最悪の業績なのが千葉ロッテマリーンズ。2010年度は売り上げこそ2003年の4倍の80億円になったが相変わらず赤字20億。
・(これは講演では出てこなかった話だが私がメモしていた)日本の球団が何故赤字垂れ流しで経営が成り立っているのか。実は国税庁から「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という法人税関係個別通達が出ている(http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kobetsu/hojin/540810/01.htm)。見ればわかるように球団に対する親会社からの貸付金ですら損金(=税法上の経費)に落とせるのである。正に何でもあり。しかもこの昭和29年に出た通達(←これは「法律」ではないのだが)は今も生きている。
・ちなみに今日本のプロ野球チームで単体で黒字なのは巨人、阪神、そして広島。広島が黒字というのは意外かもしれないが理由は後述。ソフトバンクは観客動員数を見ている限り黒字のように思えるが実は今福岡ドームを所有しているシンガポールのファンドに使用料を年50億支払っていて全然儲かっていない。売上は大きいのかもしれないが。
・皆さんご存じのようにロッテは日本と韓国で事業を展開している(が日本からスタートしている)のだが、日本と韓国での規模は雲泥の差がある。日本ではグループの合計売上は約3000億円だが韓国では第5位の財閥で売り上げは約50兆ウォン(約4兆円)。
・韓国にもロッテは球団を持っている。その名も「ロッテジャイアンツ」(笑)ちなみに約9億円の赤字だとか。
・とにかく2003年のロッテは目を覆いたくなるような惨状。例えばダイエーの寮においては一人当たり4500~5000kcal/日の食事が出たのにロッテの寮においては1600kcal/日・・・。
・かつて横浜は巨人戦の放映権として1億円もらえた。だが今はその1/10の1000万円。しかし千葉テレビでのロッテ戦の放映権は何とたったの10万円・・・!あまりにもひどいので千葉テレビに抗議したのだがその反論:「お前歴史を勉強してから来い!昔はタダだったんだぞ」
・そんなロッテが変わり始めるきっかけとなったのが2004年の球界再編事件。これで千葉県知事も千葉市長も危機感を抱いた。行政側の規制でがんじがらめだった球場及び周辺施設の利用制限を解除して「ボールパーク化」を推し進めていった。これが功を奏する。
・2004年球界再編の黒幕は読売新聞主筆「ナベツネ」こと渡邉恒雄氏、オリックスの宮内義彦氏、西武の堤義明氏、そして竹中平蔵氏と当時のロッテ球団社長の濱本英輔氏(元国税庁長官)(→この最後の二人が加わっているということはあまり知られていないと思う)。Wikipediaにも掲載されているがこの時西武とロッテを合併するという話も出た(堤氏からの提案)のだがロッテの重光オーナーは「西武、いや堤とはやりたくない」と一蹴したというのが真相。
・瀬戸山氏曰く「ロッテは広島みたいにやりたい。広島同様選手は育ったら(他球団に)出す(→これが広島黒字の秘訣)。」選手会の力が強くなり年俸がべらぼうに高くなったし親会社からの援助も少なくなっている。それを考えると球団が自力で独立採算できる方向に動いていかないといけない。
ちなみに正にこの講演会が始まる直前にロッテの本社からFA権を取得していた小林宏之投手の阪神への移籍が正式に内定した、と瀬戸山氏の携帯に連絡が入りました。講演の直前におもむろに電話を取っておられたので何事か、と思ったのですが。まあ移籍後あまりパッとしませんが(苦笑)
・ロッテとしては選手が「2億以上くれ」というなら「出て行ってくれ」というスタンス→年俸の適正化を望む。そして最低年俸の引き上げを労組(=選手会)としては考えるべきでは?
・読売が日本のプロ野球を作ったようなもの(ちなみに朝日は高校野球、毎日が社会人野球)→今後は巨人べったりではだめ
・Jリーグでは赤字が3期続いたらJ2に降格になる。プロ野球でもそれくらいすべきでは?
・球界再編は今後再び勃発する可能性が高い→横浜がもうどうしようもない状況
・日本のプロ野球がジリ貧になれば将来韓国・台湾・中国でのアジアリーグもありかも知れない。
以上、ダラダラと書いてまとまりがなかったかもしれませんが、雰囲気は伝わったでしょうか。
会計士協会の地域会主催ということで数字に関する話が多くなったような気もしますが、これらの話を踏まえて今年のプロ野球を見てみるとまた面白いかもしれませんね。
凋落 木村剛と大島健伸
「凋落 木村剛と大島健伸」(高橋篤史著:東洋経済新聞社)読了しました。
共に倒産した日本振興銀行とSFCG(旧商工ファンド)。これら企業の倒産劇に関してはご存知の方も多いかもしれません。
小泉・竹中路線の真の”黒幕”だった木村剛氏が中心となり「ミドルリスク・ミドルリターン」を謳い設立した日本振興銀行。
しかしいくら木村氏の頭が切れる(間違いなく秀才だとは思います)とはいえそんなものは何の役にも立たない、むしろそれが仇にすらなる金融業界。木村氏の暴走の果て(かつて自分が金融庁で血祭りにした”問題企業群”(例:りそな銀行→一時国有化、カネボウ、ダイエー、ミサワホーム→産業再生機構に送られた)がやっていたことよりもっとひどいことをした挙句)最悪の形で日本振興銀行は破綻、木村氏自身も逮捕されました。そして史上初の「ペイオフ」が発令されたこともご存じの方も多いでしょう。
片やロプロ(旧日栄)と並び「商工ローン」の旗手であったSFCGを率いていた大島健伸氏。
「腎臓売れ」で有名になった日栄とは違い真綿で締め上げるようなアプローチでのし上がった商工ファンド(大島氏はかつて商工ローンのノウハウを学ぶため日栄に就職していた)。しかし「グレーゾーン金利」を巡る最高裁判決により完全に息の根を止められ商工ファンドから社名を変更したSFCGは民事再生法申請の後破産、大島氏個人もSFCGに対し過払い請求により債権を有することになった中小事業者に破産宣告を受け、最終的に民事再生法違反(詐欺再生)により逮捕されました。
この二者が短い期間ですが接点があったためこの本では両者が取り上げられているという訳です。
「グレーゾーン金利」の最高裁判決で困っていたSFCGに対し日本振興銀行が手を貸した・・・のですが結果として日本振興銀行はSFCGの「計画倒産」に手を貸すこととなってしまったという訳です。
木村氏に関してはズバ抜けて頭脳明晰ということもあって逮捕されたことに関しては驚きの声も聞きました(講演会を聞きに行ったことがあるという方から)。しかし私は竹中平蔵氏のブレーンとして活躍していた頃に発刊された木村氏の著書(当時の柳沢金融担当大臣の膨大な量の国会発言を全て読み込んで二分冊にわたり一言一句のレベルで徹底的に批判するという内容)のあまりにも粘着質かつ執拗さに読んでいて気持ち悪くなって二冊目の途中で読むのを止めた経験があります(本を読んでいて「気持ち悪くなる」なんてあまりないことだと思います)。
この人頭はいいのかもしれないが人間的に非常に問題がある、というのが私の率直な感想でした。私の感覚は正しかったのではないでしょうか。
そんな訳で非常に興味深い内容の本でしたが、あとがきがあまりにも核心を突いていたのでそのまま引用して掲載したいと思います。
皆さんも納得されるのではないでしょうか。(SFCGやロプロ、そして武富士等サラ金業者が苦しんだ「過払い訴訟」の件も考慮して読み進めて下さい)
「数々の上場企業を輩出し、一方で会員企業が相次ぎ不祥事を起こすという波乱万丈の十年史を刻んだ「日本ベンチャー協議会」を主宰した天井次夫によれば、今の日本で成功するのは「他人犠牲の経営者」ばかりなのだという。誰もが成功のパイに与ることができた右肩上がりの時代はとうに過ぎ去り、勝ち組・負け組で表されるような限られたパイを奪い合う時代が定着してしまった。そうした世界では、相手を貶め、出し抜き、ひどい場合には騙し、傷つけられるような人間ほど成功を収めがちだという。企業家の裏も表も見てきた天井だけに「他人犠牲の経営者」という造語は妙な説得力がある。
戦後の日本社会はずいぶんと個人主義が幅を利かせるようになった。昔々の家父長的な血縁主義は悪の権化としてこてんぱんに破壊され、急激な都市化・郊外化で共同体的なものも崩壊し、かといって大半が無宗教、そんな日本では欧米にない独自の個人主義が発展を遂げたように感じられる。大から小まで人々の関心の対象はいかに個人に利益がもたらされるかだ。右肩上がりの時代には社会と個人がそれぞれ得る利益はそれなりに調和がとれていたように思える。しかし、今日、人々は何ら疑問を感じることなくひたすら個人益を求め、それゆえ半径五十センチの世界にしかもっぱらの関心は向けられない。
在日コリアンから日本に帰化したという一族の血を引きながら、恵まれた家族に育った大島健伸には、底辺から這い上がろうとする切実な同朋意識に支えられた特有の上昇願望を感じ取ることができない。肌合いが異なるのだ。その行動原理はどこまでも個人主義的だった。根無し草的な出自は唐の大丞相の末裔という一種の選民意識に昇華され、曲がり角をすぎた日本社会の変容のなかで、その個人益を追求する姿勢はより純化されていったようにも映る。借り手を慮ることなく、社員を絞り上げ、自らの蓄財にとらわれた姿は「他人犠牲」の典型例として日本人以上に日本人的だった。」
東日本大震災以後
今回の東日本大震災、確定申告業務大詰めの時期に起きたため私自身は仕事に追われていて当初はつぶさに被害の状況を確認することが出来ませんでした。
あれから二週間以上になるというのに未だ被害の全容が判明しない上に福島の原子力発電所の被害はどこまで拡大するのかわからないという状況です。
関西に住んでいるとあまり実感できないのですがあの日から日本は確実に変わってしまったのではないか、と思います。
地震に関して関西ではあまり実感がないと書いたのですが、スーパーやホームセンターでは電池やミネラルウォーターの在庫がないという状態が続いています。
東日本に住んでいる家族へ送るためとか関西でも買占めが起きているとか理由はいろいろ言われていますが、いずれにせよ関西でも影響がじわじわ出ているのは間違いありません。
顧問先ではそこで販売している商品を何とも間の悪いことに最近では東北地方でのみ一括して扱うようになっていたためいきなりパニック状態になっている、という話を聞いたりしています。別の顧問先ではそこで生産している商品が全国のスーパーで取り扱われていてやはり東北のスーパーで売られる分が目減りする、とおっしゃっていました。
確定申告が一段落してこれからあちこちの顧問先を巡回することになると思いますが、更にいろいろと深刻な話が出てくるのでは、と心配しています。
そんな中先日の三連休に私の東京の知人が急遽関西方面に旅行に出かける、と連絡があったため初日に京都案内を引き受けました。
彼は京都は初めてとのことで基本中の基本とも言える清水寺・金閣寺・銀閣寺を訪れました。
私は清水寺と金閣寺には行ったことがありますが銀閣寺は実は初めてでした。質素ながら趣があって実に素晴らしかったです。
この後にこれまた知人のリクエストで全国展開している「天下一品」の総本店に行きました。彼は東京で結構頻繁に「天下一品」にてラーメンを食べているとのことですが、果たして本家の味は如何だったでしょうか。
ここのラーメンは京都の隣の府県に行くだけで劇的に味が変わるだけに首都圏ではどのような味なのか、と私も常々思っていたのですが、いざ首都圏に行ってみると「何で東京くんだりまで来て天一食わなあかんねん」と感じてしまい結局関西エリア以外では一度も「天下一品」は食べたことがないです。
彼は「確かに味が違う」と話していたのですが、私が首都圏で食べたことがないため果たしてどうなのか、わからないですね。。。
この後折角ここまで来たんだから、ということで隣の滋賀県に足を伸ばして私の実家の隣町である豊郷町の旧豊郷小学校に行ってきました。
ここは明治時代にウィリアム・メレル・ヴォーリズが建設した建物(この人の他の建造物としては同志社大学、関西学院大学その他非常にたくさん存在します。また近江兄弟社を創設して日本にメンソレータムを普及させたことでも有名)で、実家の隣町という私的な関係からは数年前の取り壊し騒動でよく知っていた・・・のですが今や一般的にはアニメ「けいおん!」の主人公が通う高校のモデルになったことであまりにも有名になってしまった建物です。
実は私は「けいおん!」に関する予備知識はあまりなかったりするのですが、我々が「聖地巡礼」(しかしこんな実家と目と鼻の先に「聖地」が存在するとは。正に「灯台もと暗し」です)した時は土曜日と言うこともあって多くの「巡礼者」が訪れていました。物凄い熱気を感じました。
これだけ多くのファンがやってきて楽しんでいるというのは予備知識がなくても無視は出来ないことではないでしょうか。正直私も「けいおん!」に興味が湧いてきましたし。
京都に戻って一旦車を置いてきて再び知人と合流して夜の部。ありふれた居酒屋でしたがしっかり京風料理に京都の地酒を堪能しました。
今回彼が京都に来たのは東京では余震が繰り返し繰り返し起きていてもうそれだけで気持ちが悪くなったので逃げたくなったから、とのことです。
正直それほどに余震というものは醜いものなのかと思ったのですが、私はそんなこと経験したことがないのでわからないだけだと思います。
今も余震のニュースが流れているため本当に辛い思いをされていると思うのですが、三日間だけでも忘れられた(&逃げられた)とすれば、そして初日の京都&豊郷の観光を楽しんでいただけれたとしたら幸いだと思います。
確定申告業務が終わったのも束の間、次々と仕事や各種団体の事業の予定が続いて体力的に弱っていたため、先日風邪をひいてしまいました。
子供が40℃超発熱して夜中に緊急病棟へ走る羽目になってしまい寝不足になった辺りからケチがついたのでしょうか、結局その風邪をもらってしまったのだと思います。
近所のお医者さんに診察してもらったところ「とにかく休みなさい」と言われてしまい、その日以降の予定を全てキャンセルしてとにかくひたすら寝ることにしました。
おかげで随分と体調は回復してきたように思えます。さすがに腰は痛いのですが。
それにしても食事と風呂の時間以外はほとんど寝ているというのに夜もぐっすり眠れてしまうというのはよほど疲労が溜まっていたということでしょうか。
いろいろと写真を掲載できればよかったのですが、携帯で撮影しているためパソコンに落とし込む作業がまだ出来ておりません。
後日掲載できれば掲載したいと思います。
お見舞いのお知らせ
この度の「東日本巨大地震」で被害にあわれた皆様には謹んでお見舞いを申し上げるとともに、不幸にして亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
どうかしばらくの辛抱と気をしっかりと持たれ、健康に留意をされ、一日も早い復興をされますようお祈りをいたしております。
今年の目標
皆様あけましておめでとうございます。
昨年を振り返ると全般的にあまり余裕がなかったような気がします。
とにかく次々と課題をこなすことに追われてとりあえずは課題を達成してはいても本当の意味で自分が満足のいく結果が出せていたのか、というと正直不満が残ることが多かったような気がします。何というか、ゴムが伸びきっているような感じですね。
そんな訳で今年は昨年までのやり方を見直して何事もじっくり取り組めるように余裕を持って取り組んでいければ、と思います。伸びきったゴムを縮められるように努力していきたい、そして再び攻めの姿勢に転じられるようにしたいものです。何でも今年私は「本厄」だそうで、慎重に物事に取り組むべき年だとのことですし。
その結果ここの更新頻度も上げられたらなあ、と思うのですが。(苦笑)
という訳で簡潔に本年の目標を述べてみました。(以前私の友人がここを見て「相変わらず長い文章やのう」とコメントしていたもので(笑))
本年もどうぞよろしくお願い致します。
袋町
気が付けば今年も12月になりました。早いものです。
今年の1月1日から開始したブログですが、終わってみれば本当にほとんど更新出来ませんでした・・・。
Twitter(http://twitter.com/manchanbuhibuhi→「まんちゃん」というのは妻が私を呼ぶ呼称、「ぶひぶひ」というのは私の体重のことです(苦笑))には結構頻繁に書いていたのですが、ブログに記事を書くとなるとあれこれ文章を考えないといけないのでつい億劫になってしまうんですよね。
という訳で今回はまたしても実家絡みの話(仕事関係でもありますが)です。
去る11月に実家の近所の顧問先で税務調査がありました。約5年振りでした。
私の事務所とは先代の頃からの長い付き合いで元々は私の家がその顧問先の得意先でした。まだ結論は出ていないのですが、変な所ばかり集中的に調べられたので正直参りました・・・。
調査が終了して社長と一緒に飲みに行ってきました。場所は彦根の繁華街である「袋町」という場所です。
・・・金曜の晩だというのに何この閑散とした有様は・・・。
祇園や北新地のようにいわゆる「レジャービル」が立ち並んでいるのですが、ビル全体まるごと明りがついていなくて(つまりテナントが入っていない)まるでゴーストタウンのような状態でした。
社長が馴染みにしているお店に入って(ここはにぎやかだった)あれこれと話をしていたのですが、その昔(少なくとも私が実家に住んでいた頃)は平日でも歩いていると歩行者と肩が当たるくらい物凄く賑わっていたのだとか。それが今やこの有様・・・。
考えてみたら当たり前かもしれません。
というのは、その昔彦根には錚々たる企業の工場がひしめきあっていました。住友セメント(現住友大阪セメント)、オーミケンシ、カネボウ・・・。
実は私の両親は住友セメントで勤務していてそこで知り合ったのですが、彦根工場は全国でもトップクラスの規模を誇っていました(’70年代TBS系でゴールデンタイムに放送されていた「野生の王国」という番組は住友グループがスポンサーでしたが、住友セメントのCMの最後ではこの彦根工場が大写しになっていました)・・・が高度経済成長期には花形産業だったセメント業界も衰退の道を歩み出しとうとう彦根工場も閉鎖されてしまいました。今はその跡地ではユニクロとヤマダ電機が店を構えています。この場所を見ているだけで絵に描いたような企業の栄枯盛衰の歴史がわかります。
オーミケンシも琵琶湖岸に巨大な工場を構えていました(太平洋戦争中はB-29の爆撃も受けている)が、繊維業界の衰退と共にここも閉鎖され、今は群馬県に本社があるベイシアグループの巨大ショッピングモールになっています。カネボウに関してはもう説明不要だと思います(巨額粉飾決算で解体されてしまいついでに監査を担当していた監査法人も消滅してしまいました)。
今もキリンビールやブリヂストンや大日本スクリーン(最近になってフジテックがやってきましたが)といった大企業の工場は健在ですが、先に挙げた企業に比べると小粒であることは否めないと思います。
とにかくこれが地方都市の惨状なのか、と愕然としました。少なくとも前回税務調査があった時今回と同じように袋町に飲みに連れて行ってもらった時と比べてもここまでひどくはなかったような。
更に歴史を遡れば江戸時代といえば彦根藩は徳川御三家の次、譜代大名筆頭という非常にステイタスの高い地位にあった(これは彦根が当時の交通の要所だったということも関係している)というのに、正にその頃から比べれば地獄の底に落ちるが如き成り下がり振りです。
まあ飲んでいる時はとりあえず調査も終了したという安堵感もあって楽しかったのですが、改めて思い出してみると本当にショックでした。何とかならないのか、と。
今の日本の閉塞感は正に地方の疲弊に象徴されると思います。
三大都市圏に住んでいる人たち(私も一応そうなのですが)には理解できないことなのかもしれません。
しかしこの閉塞感を打ち破るためには地方の復権が不可欠なのではないでしょうか。どうすればいいものか途方に暮れるばかりですが。
幻の最高気温
皆様本当にご無沙汰しております。
いろいろな方に「ブログ見ました」という声をいただいているのですが、全然更新出来てません・・・。ネタは結構あるのですが。普段はツイッターにていろいろとつぶやいています(http://twitter.com/manchanbuhibuhi)のでこちらも見ていただけたら幸いです。最初はそんなに凄いものなのか、と半信半疑でしたがとにかく手っ取り早いというのはとてもありがたいんですよね。
ブログではブログでないと語れないような内容を取り上げていきたいと考えていますので出来る限りがんばりたいと思います。
という訳で少し古い話題になるのですが、今年の夏思わぬことで私の住んでいる京田辺市が全国的に有名になってしまいました。そうです、9月の観測史上最高気温を更新した・・・と思いきや・・・の一件です。
おさらいしておくと去る9月5日に京田辺市にて最高気温39度9分を記録、これは9月としては日本において観測史上最高だった、ということでこの日のNHKの夜7時のニュースに国道307号線と府道八幡木津線の交差点(市役所の近く)付近の映像まで登場する、という事態にまでなりました。
しかし私の感覚では最初から「???」でした。正直そんなに暑かったのか、と。
というのも実は今から3年前、岐阜県の多治見市と埼玉県の熊谷市にて日本での最高気温40度9分を記録した日に京田辺市でも39度0分を記録しています。この日の暑さは本当に半端じゃなかったのを記憶しているのですが、それと比べると全然暑くなかったのですよ。どう考えてもあれは36度くらいだな、と個人的には感じました。それにその日の晩は30度を切るくらい涼しくなりました。昼間40度近くもあればいくら夜とはいえそこまで気温が下がるものか、と思ったのですが。
という訳で昨日ようやく39度9分という最高気温が今更のような気もするのですが正式に取り消されました。皆さんご存じの通り観測機器に草が絡みついていて正確に計測出来ていなかったのでは、というのが取消の理由です。ちなみにこの計測器が置いてある場所ですが、水道の施設のある場所だそうで実は日当たりは非常に良い場所だったりします。私の記憶している限り今年の夏京田辺市ではこの日を含めて5日全国での最高気温を観測したのですが、これらの記録もひょっとしたら怪しいのかもしれません。ただ今となっては幻となった39度9分の日にしても暑かったのは間違いないです。
確かテレビの天気予報を聞いていた時に気象予報士が話していたことと思うのですが、夏にヒートアイランドと化す大都会の熱気が南からの風に乗って流れ込む、その場所が関東なら熊谷市辺り、名古屋なら多治見市辺り、そして大阪では枚方市、更にその隣の京田辺市である、とのことです。確かに理屈としては合っていると思います。
私が滋賀県から引っ越してきた今から25年前の昭和60年(阪神が日本一になった年です)の夏も非常に暑くて私の記憶が正しければ最高38度6分を記録したはずです。それまで滋賀県では非常に暑いと感じても34度くらいまでしか体験したことがなかったため「これはえらい場所に来たものだ」と当時は感じたものです。しかし今やそれを超える気温を記録するとは・・・って幻に終わっちゃったのですけど。
熱中症
6月・7月は一度も書けませんでした。2カ月ぶりになってしまいました。
というのも6月は諸団体の総会やら何やらが続いたのと京都税理士協同組合(以下「京税協」http://www.kyozei.or.jp/)の決算作業が大変だったからです。
京税協の監査も無事終了し一段落ついたと思います・・・が監査においてあれこれと指摘事項もありまして8月上旬に開催される総会終了後に早速動かないといけません。
7月は税理士会支部(以降「支部」)の厚生事業の準備その他が目白押しになる時期で支部の厚生委員長も担当している私はまた忙しくなりました。税務署幹部職員の皆さんと支部との対抗ソフトボール大会、支部対抗ソフトボール大会、支部旅行(先日行き先が北海道に決まりました→旅行会社3社にプレゼンしてもらいその中でベストの案を役員会で選出しました・・・がここまでの段取りもなかなか大変でした)
そんな中、先週末は熱中症でダウンしてしまいました。
というのも毎年恒例のお墓の草刈り&家の周りや畑の草刈り作業のため土日に滋賀の実家に帰っていたのだが、正直熱中症をなめていました・・・。
滋賀の実家は京都よりは幾分暑さがましなのですがやはり安全&防虫対策のため長袖の作業着(ジャージだけど→作業が2日間にまたがるため汗まみれになってもすぐ洗って乾かせるということも重要なので)を着ないといけないため必然的に汗だくになります。当然水分補給は必要なのですが、それだけではだめなんですよねえ。
こんなこと知っている方には説明不要だと思うのですが熱中症対策には水分だけでなく塩分も重要なんですよね。汗と一緒に塩分その他も体外に出ていく訳で。で今回はどういう訳かポカリスエット等の類の飲料を準備しないでお茶だけしか持って行かなかった挙句熱中症の症状(熱が出て身体の節々が痛くなってちょっと痙攣気味になった)を発してしまったという訳です。今回は畑に植えていた木が倒れていたのでそれを処理すべくチェーンソーも使ったりした(当然初体験→これは結構慎重に扱わないといけないような気がしました。どこかできちんとした取り扱いの研修を受けた方がいいと思いました)のですが、それも疲労に拍車をかけたような気がします。
そんな訳で先週1週間は仕事にもあまり身が入りませんでした。予定が詰まっていたため病院に行けたのはようやく金曜日になってからでした。
点滴を打ってもらい抗生物質や栄養補給の薬等をもらいようやく今日になって楽になってきたような気がします。
実家での草刈り作業は毎年行っているのですが、ポカリスエット等は何も考えずいつも準備していたのに今回はどういう訳か準備していませんでした。これからは気を付けたいと思います。
まだまだ暑い夏は続きます。皆さんもくれぐれも熱中症には気をつけましょう。
これは余談ですが、ちょっと前まで熱中症は「日射病」と呼ばれていました。しかし炎天下のみならず締め切った部屋の中等でも日射病と同じ症状が発生することがあるため医師会がこれらをまとめて「熱中症」と呼ぶようになったのだそうです。たまたま今週の「読売新聞」に記載されていた話です。