今年の目標・・・というかやらないといけないこと

早いもので今年も1ヶ月が過ぎました。
例年今年の目標を一応書いていたりしますが、今年は目標というよりやらねばならないことが出てきました・・・。
私は結構占いを信じるのですが、今年の私の運勢はどれを見ても「健康に気を付けろ」と書いてありました。
確かにそんな年齢に差し掛かってきたんだよな、と軽い気持ちで考えていたのですが、3ヶ月に一度定期的に通っている病院にてどうも血圧が高いと指摘され、初めて降圧剤を出されました。
血圧は昨年くらいから上昇していました。しかし昨年の健康診断では上が120、下が80と全然正常値が出ていました。
しかし今年になってどうも高めの数値が頻繁に出るようになっていました。
私も悪いのですが、今までそれを妻には話していませんでした。
しかし病院でもらってきた薬等を家の玄関に放置しておいた中身を見て妻が激怒、更にその場で血圧測れ、と言われて測定してみた所何と上は200オーバー・・・
半殺しにされるんじゃないか、と思うくらい妻にめちゃくちゃ怒られました・・・。
ついでに妻の血圧まで上がってしまうというオチも付いてしまったのですが、さすがに200はヤバい、と私も悟り、急遽ダイエットを開始することになりました。
考えてみると私は今までまともに痩せようと努めたことがないんですよね。やはりお酒の量が凄かったんだと思います。
そんな訳で幸い新年会等も一段落しましたので食べる量をかなり減らしてお酒も飲まないように努め始めました。
いや、あれだけ怒られたら食う気も飲む気も失せてしまいましたよ・・・。
そんな訳で今年の目標、というかやらねばならないことはズバリ痩せることと血圧を下げることです。
ダイエット開始して約3週間ですが、いきなり3kg体重が減りました。今は更に1kg落ちてますが、そこからはなかなか落ちないですね。元々の体重が多すぎたのでしょう。
あと10kgは落とさないといけないそうですが、そこまで落とした所で諸数値が回復するかどうかはわからないです。けどそんなに言うならやってやろうじゃないの、とは思っています。
それと血圧上昇の大きな原因として、塩分の摂取が多いことも挙げられます。
散々ここで触れてますように、私は滋賀県彦根出身なのですが、味覚的には京都の隣ですが完全に北陸エリア(大津や草津なら京都の味付けに近いらしい)、すなわち濃い目の味付けになります。
確かに幼少期から母の濃いめの味付けに慣れてしまっていて未だ濃い目の味付けでないと気が済まない、それも生粋の京都出身でただでさえ薄いのに更に薄め(いくら何でも薄すぎるだろ、と言いたくなるくらい)の妻の味付けには未だ違和感を覚えるのですが、もうそろそろ慣れるか辛抱するかしないといけませんね。
唐揚げには塩をかけるのではなくレモン汁をかける、といったちょっとした工夫を重ねていくことも必要かもしれませんね。
また急激な温度変化にも気を付けないといけません。
今までは自宅⇔事務所の移動もちょっとの距離なので、と上着も着ずに行き来していましたが、ちゃんと上着を着るようにしたり風呂に入る時は着替える部屋はストーブで暖めると共に風呂場もたまたま最近付けたガスの暖房を付けるようにして寒暖差を極力なくすように努めています。
そんな年寄りみたいなこと気を付けるのか、とは思わない方がいいんじゃないでしょうか。もう私も若くはないですし。
降圧剤は飲み始めて1週間程で効き始めました・・・が、ちょっと効き過ぎかも。
というのも夜になると血圧が上は100、下は40程度にまで下がってるんですよ。しかし朝は上が140、下が90程度とやはり高めです。
これから確定申告期に突入して夜の予定はなくなりますので、更に体重を減らすには絶好の機会かと思います。
しかしその後またいつもの様に飲み食いしていたらまた逆戻りしてしまうでしょう。
そんな訳で今までのようなノリでなくなってしまって皆さんにご迷惑をおかけするかもしれません(?)が、こういう事情を汲み取ってご理解いただければ、と思います。
よろしくお願いいたします。

良いお年を

今年は下半期非常に忙しくなりましてここの更新も年の瀬押し迫った大晦日になってしまいました。
本当は前回の続きのトランペットの話をしたいのですが、また今度ということで(原稿は書き始めているのですが途中です・・・)。
今年は様々な場所で多くの出会いがあった年だったなあ、と思います。
それも下半期多忙になった理由の一つかな、と。
この多くの出会いを来年更に深めていければ、と考えています。
短いのですが、毎年恒例の伏見稲荷大社の年越し初詣がありますのでそろそろ寝だめしたいと思います。
年末年始休暇期間に入ってからやはり連日夜更かししてましてあまり寝てませんので・・・。
今年も1年間皆様には大変お世話になりました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
それでは皆様よいお年を。

今年を振り返って

早いもので今年もあと数時間で終わろうとしています。
この1年を振り返ってみますと・・・まずここの更新は例年より多かったのではないか、と思いました(苦笑)
あれこれイベントがあったというのもありますが、それも含め今年は公私共に非常に充実していた1年だったのではないか、と思います。
今までやったことがないこともあれこれ経験しましたが、何とか上手くやり遂げられたのではないか、と思っています。
幸いケガや病気になることもなく(台湾でバスから転げ落ちたくらいですね・・・(苦笑))順調に過ごせたこともありがたかったですね。
そんな1年を振り返るにはどうすればいいのか、と思ったのですが、現在私はスマートフォンで撮影した写真が自動的にネット上のサーバーにアップされる「iCloud」というサービスを利用しまして、これを振り返るだけでも色々なことを思い出しました。先日ここで触れた台湾旅行を始めとして例年と比べてあちこちに行く機会が多かったと思います。

という訳で今年で一番印象的だったことは何か、と言いますと、意外かもしれませんが実は10月初旬に実家の町にて開催された「とりいもと宿場まつり」にてレトロアーケードゲームのイベントを開催して大成功した・・・ことも確かに印象深かったのですが、その際京田辺から彦根までアーケードゲーム筐体を運ぶのに生まれて初めて2tトラックを運転したことかなあ、と。
これだって先述の「今までやったことがないこと」ですからねえ。
カーナビが付いていなかったのでレンタカー屋さんを出発していきなり道幅の狭い住宅街で迷子になった際はどうなることか、と思いましたもんマジで。
何じゃそのオチは!?と思われた方も多いかもしれませんが、まあもうすぐ今年も終わりということでこの辺りでお開きにさせていただきたいと思います。
今年1年間皆様には本当にお世話になりました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
では良いお年を。

台湾に行ってきました




去る11月3日から11月5日まで台湾に旅行に行ってきました。
毎年恒例、近畿税理士会宇治支部の懇親旅行ですが、今回初めての試みとして海外旅行になりました。
平日を含む3日間、果たしてどれだけの人数が参加するのかが気になりましたが、蓋を開けてみれば予想以上の28名の参加、しかも女性会員も3名来られるという盛況ぶりでした。
私はこれまであまり海外には行ったことがありません。
大学時代が初めてでしたが、いきなりオランダ(滞在中にベルギーにも足を運びました)に6週間のショートステイでした(当時父が入っていたライオンズクラブの交換留学制度→その年の年末にうちもマレーシアからやってきた高校生と3週間一緒に過ごしました)。
ソビエト連邦崩壊の正に直前の時期でして、今はロシアの上を飛んでいけば案外ヨーロッパは近いのですが、当時はそんな航路は使えず香港から東南アジア~インド~イラン~トルコ上空からドイツのフランクフルトに着いてそこで乗り換えてようやくオランダに到着、延々15時間のフライトでしかも飛行機も生まれて初めてでエンジンの音がうるさくて15時間ほとんど寝られなかったことを記憶しています(今は速攻寝られますが)。
6週間のオランダでの生活は非常に楽しかったです・・・がホストファミリーの皆さんの歓迎ぶりがあまりにも凄くてくたびれてしまったことを覚えています。
オランダ/ベルギー以外では今回を除いて5回海外に行ってますが、その内4回が韓国だったりするんですよねえ。しかもソウルばかり。
初めて韓国に行った際は地元の人に案内してもらって非常に食事の美味い店に連れて行ってもらったのですが、悲しいことに行く度に食事が美味くなくなっていったような・・・。
2回目に韓国に行った際帰路の飛行機の隣席に座っていたのが実は私の妻だったりするのですが、当時は全く縁もなく普通に話する程度の間柄だったのですが・・・何がどうなるかわからないものですね(確か結婚する2年前だったかな?)。
3回目は顧問先の社員旅行に付いて行ってカジノで大勝ちした・・・のはいいのですが、帰国後すぐに名神高速で46km/hオーバーで覆面パトに捕まってしまい儲かったお金はほとんど罰金と講習代で消えてしまいました。泡銭は身に付かないんですよね。
韓国以外の残りの1回はオーストラリアへの新婚旅行でした。
私とは違い妻は独身時代海外旅行に行き倒してまして、私のリクエストはイタリアだったのですが「行ったことあるし」とのことであっさり却下、しかしあれだけ海外に行きまくってるというのに妻はこれまで南半球に行ったことがない、とのことで&私の子供の頃からの夢だった「南十字星」を見たい、という願いをかなえるためオーストラリアのケアンズに行き先が決定しました。これは非常に素晴らしかったです。南十字星もばっちり見れました。

そんな訳でオーストラリアの後5年前4回目の韓国に行って以来の海外が台湾でした。
色々と楽しかったのですが、観光地としては素晴らしいとはあまり思えなかったような気がします。
というのも実は非常に日本人にとっては居心地がいい、というか日本にある店が普通にあったりするんですよね。ファミリーマートとセブンイレブンは普通に至る所にありますし、くら寿司、ロイヤルホスト、ラーメンの一風堂、更には日本の普通の和食定食等が食べられる○○食堂(「○○」にはその場所の名前が入る→フジオフードシステムが展開する「まいどおおきに食堂」)までありました。
日本語は全然普通に通じますし、何というか海外に来てるという感覚があまりしなかったです。韓国の方がむしろ癖があるような気がします。
妻の初めての海外旅行は台湾だったそうですが、確かに日本人が初めて海外に行くなら台湾がベストじゃないかな、と思いました。


一通り台北の観光地には行ってきましたが、個人的にはあまりピンと来なかったです。
それと2日目に移動のバスから降りる際寝ぼけていてバスの中の階段からズッこけてしまい腰を強打するというトホホなことをやらかしてしまいました・・・。
今はもう大丈夫ですが、帰国後1週間程腰が痛くて痛くて堪らなかったです。
ただ観光地で「九フン(機種依存文字なので出ません→ニンベンに「分」)」は素晴らしかったと思います。あいにくの大雨でしたが、それがまた雰囲気があって良かったですね。滞在時間が短かったのが残念でした。
何でも雰囲気が似ているとのことで宮崎駿氏の日本映画最大のヒット作「千と千尋の神隠し」の元ネタでは、と言われたそうですが、宮崎氏本人が明確に否定したそうです。
確かに似てるといえば似てるような気はしましたが・・・どうなんでしょうか?

さて旅行の楽しみと言えばグルメです。
妻から台湾の食事は美味しい、と聞いていたのですが・・・場所が悪かっただけかもしれませんが、実は食事はイマイチだったような気がします。
というかそりゃねーだろ、と言いたくなるようなのもちらほらと。
というのも、屋台街に行ったのですが、そこで物凄くでかいソーセージを売っていてこれは美味そうと思って買ってみたらでかいのを1本そのままかと思ってたらその場で一部カットして更に細かくスライスして袋に入れて渡されました・・・拍子抜けしたのですが、それだけでなく、何故かほのかに甘い・・・。
普通この手の物はコショウがピリッと効いてる物ですが、甘いって何それ・・・?
気を取り直して別の店を見ると今度はまた超でかいフライドチキンを売っていました。美味そうなので即ゲットして噛り付くと・・・何でやねん、また甘い!!!
更にホテルの近くにマクドナルドがあったのでそこで日本でいうところの「バリューセット」を頼んで早速食べると・・・ハンバーガーのバンズが甘い!!!
妻は甘い物が好きなので台湾の料理は美味い、と言ってたとでも解釈しないと理解できなかったですね。

あと非常に参ったのがトイレですね。
ウォシュレットみたいな便利なものがある訳もないのは当然ですが、何が困ったって台湾では使用したトイレットペーパーを便器に捨てるのでなく隣に置いてあるゴミ箱に捨てるんですよ。
何でも下水管が細くてトイレットペーパーを流したりしたらすぐ詰まるのだとか。
「郷に入らば郷に従え」とは言いますが、これは何とかして欲しいものですね。
そんな訳でかなり目まぐるしい台湾行脚でしたが、あっという間に楽しい時間は過ぎていきました。
今回これだけ大盛況だっただけに来年以降企画する方はさぞかし大変かと思いますが、更に楽しい企画を考えて欲しいですね。
期待しております。

新年の抱負

ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、タイトル通りの内容で記事を書こうと思っていたら、こんな記事を見つけました。
新年の抱負を立てるのは「時間の無駄」なのか?
なかなか興味深い記事だと思いました。
記事の最後のまとめが非常に上手くまとまっているのでそのまま引用しておきます。
あまり堅苦しく考えないで柔軟に考えればいいんですよね。
・昨年1年間の棚卸しを行い、生活の中で変化を必要としている部分について、新たな目標を立てる。
・具体的なスケジュールに沿って、挑戦的ではあるが達成可能な短期目標を配置する。また、その難易度を段階的に上げていくようにする。
・大局的なゴールに合わせた生習慣にシフトしていく。
・新年の抱負を1月1日に限定しない。年間を通じて目標の見直しを行う。四半期ごとなど。そうすれば、達成に対する責任感も増し、必要に応じて目標を調節したり、追加することができる。
いや、本当は私もそんな面倒臭いことしたくないんですよ正直なところ。
ただ昨年も年初に似たような内容のことを書いてまして、そこでは「可能な限り「蓄える」」ことを目標に掲げていました・・・が正直全然ダメダメでした!!!
蓋を開けてみれば全然蓄えるなんてできませんでした。何を取っても全然余裕ありません・・・。
前回のブログにも記載した通りコンスタントに運動は続けられたと思うのですが、実は体重は増えてまして蓄えたのはそっちかい!!!と突っ込まれそうなのですが。
ひょっとしたら筋肉が付いているのかもしれませんが。脂肪より筋肉の方が比重は重いはずですので。
それはともかく、今年こそ無駄遣いしないで何が何でも「蓄える」ことに専念したいと思います。
ありがたい話ですが、どうも今年はあれこれ忙しくなりそうなので無駄遣いしてる暇がない状態になればいいのですが。
あと昨年は「マイナンバー」制度の導入という大きな動きがありましたが、その過程で業務管理上あれこれ目に付く問題点が出てきたような気がします。
それらを至急何とかしないといけないですね。
それと、近い将来訪れるであろう事務所の”転換点”に向けての準備というか”心構え”をそろそろ考えないといけない時期になっていると思います。
現時点ではあまり細かいことは言えないのですが・・・。
昨年習慣付けることに成功したスイミングとトレーニングは今年もコンスタントに続けられる様に努力していきたいと思います。
健康診断という目に見える結果が現れましたので、益々やる気が出てきました。
こうやって気長に地道に続けるということは案外得意なんですよね。でもそのために最も重要なことは「環境作り」だったりします。
10年前(結婚前後)の超多忙な状況ではとてもじゃないけど無理だったと思います・・・。
趣味の方面ですが・・・レトロアーケードゲーム関係で昨年はネット等を介して多くの人達と交流が深められましたが、引き続きこの流れをキープしていくと共に何らかの次のアクションに繋げられたら、と淡い思いを抱いてます。
まあ趣味なのであまりガツガツやらないで気長に気楽にやっていきたいのですが。
それにしても昨今のレトロアーケードゲーム関係の盛り上がりは凄いですね。
その結果何もかもべらぼうな値段になってしまいましたし。正直今やあまり手を出せないですね・・・。
そんな訳で本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年を振り返る&よいお年を

早いもので今年もあと少しで終わろうとしています。
例年あまり更新できていないこのブログですが、今年は頻繁ではないですが何度か更新しました。尤も仕事のことではなく趣味絡みのことばかりでしたが。
とはいうものの今年はブログで取り上げたレトロアーケードゲーム関係で多くの方と交流を深めることが出来た1年だったのではないか、と思います。
様々な場面でアーケードに限らずレトロゲームに対する注目が集まりつつある昨今、来年以降更なる盛り上がりが期待できるだけに今年の活動は非常に重要だったのではないか、と思います(あわよくば趣味の範囲を超えるようなことが出来れば、と淡い期待も抱いているのですが)。
本業ではここ数年の傾向でもあるのですが、今までとは異なる様々な要求に応えていく内に一年が過ぎていったような気がしました。
特に後半がそうだったのですが、もう少し余裕をもって仕事に取り組めるようにしたかったです。
ありがたい話ですが、来年はいろいろと忙しくなりそうなのですが、それにかまけて今年出来なかったことをおろそかにすることなく一つ一つ丁寧に取り組んでいきたいものです。
あと今年は年初の目標としてあれこれ節制しようと考えていたのですが・・・全然ダメでしたね。
いくつか大きな出費があることはわかっていたのですが、それがわかっているなら猶更そうしないといけなかったのに・・・。

その一方昨年から取り組み始めた運動の習慣化は徐々に効果が表れてきたような気がします。
今年4月からスタートした近所のプールでの「水泳マラソン」、12月に42.195km完泳しましたし(1回につき上限1000mで開始から2年以内に累計でマラソンの距離(42.195km)泳げば表彰される→100回以上達成している強者もいますので1回達成は実はペーペーだったりします・・・)、プールで泳いだ後にトレーニングも行っているのですがそれらの結果でしょうか、今年の健康診断では本当に久々に「異常なし」の結果が出ました。
私でもやれば出来るんだな、と思いました。とりわけ今まで超苦手だった運動関係だけに猶更そう思いました。
そんな訳で今年はあと1日ありますが、明日は例年通りドタバタしますので少し早いのですがこちらは今年最後の投稿としたいと思います。
皆様一年間本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
では良いお年を。

あれやらこれやら30周年(その4)

昨日の続きです。
バブルシステム版「グラディウス」は立ち上がるまでに時間がかかる、という話をしていましたが、気温が高いとさほど時間はかからないのですが気温が低いとかなり時間がかかる、と言われていました。
しかし具体的にどれくらい時間がかかるものなのか、以前からちょっと気になりましたので、実は昨年の9月からチンタラチンタラと計測してました。
その昔「週刊文春」にて連載されていた堀井憲一郎氏による「ホリイのずんずん調査」みたいな「どうでもいいようなこと、役に立たないようなことも、あえて大真面目に調べると意外といろいろな事実がわかる」ものか、と・・・。
電源を入れると「Presented by Konami」「Getting Ready ○○」という音声によるカウントダウンが流れ始めるのでそこから計測開始、無事デモ画面が出始めたら計測終了。
その結果が下記の通りです。

・・・興味のない人にとっては「だから何?」な内容ですが(苦笑)、マニアの皆さんには参考になることもあるんじゃないでしょうか?
単に計測していただけで私は電気系統の複雑な話は全く理解していませんし細かい理系的な話は全然できませんが、いくつか気づいたことがありますので箇条書きします。
・十分に暖まっていると音声によるカウントダウンなしでいきなり「モーニングミュージック」が流れますが、この起動最短時間は約1分40秒。
 またその気温(室温)は大体27℃以上ですが、27℃を超えていても一発起動しないこともあります。
・途中自宅に置いてあるテーブル筐体で計測していた時期がありましたが、冬場というのもあるのですがそれでも事務所2階で計測するより明らかに起動時間が遅くなりました。
 その原因としては電源の供給方法に違いがあった(簡単に言うと自宅テーブル筐体の方が貧弱)のでは、と推測しているのですが、そこらの具体的検討(貧弱な電源を事務所2階に持ち込んでみる等)はしていません。
・湿度も計測していたのですが、湿度は高い方が起動時間が早くなる・・・ような気もするのですがあまり確証が持てないです(∵自宅の湿度がはるかに高いのに起動時間が遅い→3/3~3/28の期間参照)。
・2月頃は業務多忙で計測できませんでした・・・。ただこの冬一番寒かったのは年末年始頃だったのでは、と思うので、2月に測定していても冬場にしては起動時間は早かったのでは、と思います。
という訳で、実は今日はアーケード版「グラディウス」が発売されてちょうど30周年という記念すべき日なんですよね。
この調査結果は私からのお祝い企画、ということです。
これからも「グラディウス」が多くの方に愛され続けていくことに期待して多分ブログ開設以来初めて熱心に延々と書き続けた投稿を終わりとさせていただきたいと思います。
もっと税務会計絡みのことをこれくらい熱心に書けよって?まあそれはまたの機会に・・・(苦笑)
っつうかこれまでのダラダラ超長文はこれの枕やったんかい、と言われそうですなw

あれやらこれやら30周年(その3)

アーケード版「グラディウス」には2つのバージョンがある、という話の続きです。
(かなりマニアックな話なので聞きたくない人は引き返して下さい(苦笑))

↑:「グラディウス」の基板(バブルシステム版)

↑:「グラディウス」の基板(ROM版)
アーケードゲームにはそれを動かすための「基板」(家庭用ゲーム機で言えば本体とゲームソフトが一緒になったようなもの→ゲームを入れ替えるにはこの基板ごと入れ替える必要がある)が必要なのですが、その基板にオリジナル版と改良版が存在するということです。
革命的内容だった「グラディウス」ですが、あれだけの表現を実現するためには当時としては破格の大容量データが必要でした。
お金をかければいくらでもハイスペックに出来るのですが、「商品」としては儲けてなんぼ、大赤字を出していては意味がありません。
そこで安価に大容量のデータを扱えるようにするため、「グラディウス」には「バブルシステム」と呼ばれる機能が採用されました。
ところがこの「バブルシステム」、確かに安価に大容量データを扱えるのですが、あまりにも壊れやすいことでも有名でした(私の事務所の顧問先の方で昔から電機関係の仕事をされている方がゲーム以外の分野で昭和60年頃に一瞬「バブルシステム」と同類のシステムが流行っていた、とおっしゃってました・・・がやはり脆弱性が問題になりすぐ廃れたとのことです→バブルシステムは「磁気バブルメモリ」を使用していましたが、日本では富士通が製造していましたので他分野でも使用されていたそうです)。
ところが「グラディウス」は特大ヒットになってしまい、メーカーのコナミにも故障で修理持ち込みが増加したため&数年後には技術の進歩で「バブルシステム」でなくても安価で大容量データが扱えるようになったので、2段重ねになっている基板の上半分を一般的なシステムに変更して壊れにくくなった改良版が出回るようになりました。
今日では便宜上バブルシステムを使った基板を「バブル版」、改良版を「ROM版」と呼んでいます。
バブル版の特徴は、電源を入れてからゲームが遊べるようになるまでに時間がかかる、ということです。信じられないかもしれませんが、本当に「暖機」、つまりプログラムを基板本体に転送するに当たってカセット内の「磁気バブルメモリ」を温めて一定の温度になると転送が始まって起動する、という仕組みになっているんですよ・・・。若い人にはそもそも「暖機」って何それ?でしょうね。
具体的な起動までの流れは、電源を入れると「Presented by KONAMI」「Getting Ready ○○」という音声が流れます。「○○」の部分は50から始まるカウントダウンで、冬場等気温が低い時はカウントが0まで行くと再び「Presented by KONAMI」「Getting Ready 50」という具合にカウントダウンが続きます。ようやく温まると、下記の画面が出てきます。

この画面が表示されている間にプログラムが転送されます。この時に流れるバロック調のBGMは「コナミ モーニングミュージック」(以下「モーニングミュージック」)と呼ばれています。
この画面を表示する際急遽BGMが必要になり没曲を引っ張り出してきたとのことですが、没曲にしては、というのも憚られる名曲だと思います。
実際「グラディウス」がゲームセンターで稼働していた頃この曲は開店直後でないと聞けなかった(だから「モーニングミュージック」なんですよ)ので、熱心なファンは開店と同時に「グラディウス」の筐体にラジカセ(←:これも若い世代の方にはわからないかも。ラジオとカセットデッキ(当時の録音/再生はカセットテープが主流でした)が一緒になった電気機器)片手に突撃してスピーカーから流れる「モーニングミュージック」を録音していたものでした。
ちなみにROM版でも「モーニングミュージック」は流れるのですが、読み込み速度が速いのであっという間に終わってしまいます。
じっくり聞きたいファンはバブル版が欲しいと思うのですが、正に文字通り泡のように壊れやすいんですよねえ・・・。
あとバブル版の特徴として、アーケードゲームではあまり使うことのない-12V電源が必要、ということも挙げられます。
普通アーケードゲームでは+5Vと+12V、たまに-5V電源が必要になるのですが、「グラディウス」はこれら3つに加えて-12Vが必要になるというわがままというか贅沢な仕様になっています。とにかく起動させるのも一苦労という訳です。
勿論ROM版では-12V電源は不要です。
時は流れて今も尚熱狂的ファンが多い「グラディウス」、やはりこだわるファンは本物の「グラディウス」の基板が欲しい、と思っているみたいで、最近ではネットオークション等で激しい争奪戦が繰り広げられるようになりました。
実はアーケード版「グラディウス」は家庭用ゲーム機向けにかなり再現度の高い移植版が発売はされている(初代プレイステーション/セガサターン/ウィンドウズ95/プレイステーション4→これはほぼ問題ないくらいの移植度だと思います)のですが、残念ながら細部に相違点があってマニアにはそれが認められないあるいは許せないんですよねえ。その気持ちはよくわかるのですが、いくら何でもその値段はないだろう・・・という落札価格が付いています。
特に壊れにくいけど出回っている数が少ないROM版は最近では軽トラックが買えてしまう値段になっていたりします・・・(facebookの記事ですが参考までに→https://www.facebook.com/cocktailcabinet/posts/647275572043995)。
更に最近では手に入れても壊れる可能性が高いバブル版の値段も6桁台に突入したりしています・・・おお、つい先程157,300円(←:「コナミ」の語呂合わせ)で落札されたよ・・・。
・・・ネタ話は明日になりますね。ここまで説明をしておかないとわからない内容かもしれませんし。
という訳でもう少し続きます。
続きを明日語れるというのは実はちょうどいいことなのかもしれませんね(って最初からそのつもりだったんだろ、とマニアからは突っ込まれそうだけど(苦笑)→何を言おうとしているかは明日わかります!)。

あれやらこれやら30周年(その2)

京都に引っ越して&今私が経営している事務所も早いもので30周年の節目を迎えた今年2015年、実はゲームの世界に置いても節目になる年なんじゃないか、と勝手に考えております。(ね、強引な話題転換でしょ?(苦笑))
というのも今年30周年を迎えるゲームが非常に多いんです。それも今でも熱狂的ファンの多い作品ばかり。
まず誰もが知っているであろう「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)は絶対に外せないと思います。任天堂のホームページ(http://www.nintendo.co.jp/mario30th/)でもこれからいろいろな企画が予定されているみたいです。
この他にも筐体ごと動くという力技で多くのゲーマーをねじ伏せた”体感ゲーム”「ハングオン」「スペースハリアー」(共にセガ)、カプコンが大化けするきっかけとなった「魔界村」(カプコンは「戦場の狼」も1985年でしたね)、当時は別格で絶頂期を迎えつつあったナムコからも「ドラゴンバスター」(個人的には「メトロクロス」「バラデューク」「スカイキッド」といったナムコの’85年作品もやり込みました→一般的な知名度は低いですが、どれも名作ですね)、家庭用機では「ボンバーマン」(ハドソン)が発売されたのもこの年でした。ああそうそう、元祖”クソゲー”「いっき」(サン電子:アーケード版→世間で「クソゲー」と認知され有名になったファミコン版は翌年発売)もこの年でしたね・・・。

しかし私にとって1985年はアーケード版「グラディウス」(コナミ)の年でした。このゲームは私の人生に大きな影響を与えた、いや私の人生を変えたと言っても過言ではないです。
何もかもあまりにも衝撃的でした。私の主観かもしれません(が多分当時を知る人はほぼ皆同じことを言うでしょう)が、それまでのゲームを全て過去のものにしてしまったゲームシステム、グラフィック、サウンド(あまり指摘されることがないのですが、個人的にはこのゲームで使われていた(以降のシリーズでも用いられる)点数や文字のフォントにも斬新さを感じました)に圧倒されてしまいました。
語り始めると本当にきりがないので割愛します(ネットを調べればこのゲームの凄さに関してはいくらでも出てきます)が、発売から30年経った今でも”神格化”と言っても過言ではないくらい熱狂的な支持を集めている理由として、恐ろしい程に奥が深い、ということが挙げられると思います。
「グラディウス」は全面クリアするとまた1面からスタートするのですが、その2周目以降は難易度が激的に上昇するという特徴があります。このゲームの大きな特徴として自機がパワーアップして強くなるということが挙げられるのですが、ミスをするとパワーアップは全て失われて丸裸になってしまうのに、2周目以降は敵の攻撃が容赦ないのであっという間にゲームオーバーになってしまうため、当初ハイスコアを狙うゲーマーは極力ノーミスで進めるようにしていました・・・がミスするともう手も足も出なくなるためそこで”捨てゲー”していました。
ところが九州出身の凄腕ゲーマーがどんな場所でミスしても復活できる凄いパターンを編み出して人気が再燃、次々と「1000万点プレイヤー」が誕生する程多くのゲーマーに愛されることとなったのです。私もかつて何度か1000万点に到達するまでやり込みました。
(↓:一応証拠写真です)

更には1周でどれだけ点数を稼ぐことができるか、というスコアアタックに関しても研究が重ねられました。普通にプレイすれば1周40~45万点で終わるのですが、上手い人なら今では1周57万点は叩き出すそうです。
復活パターンにしろスコアアタックにしろ「芸術的」としか言い様がない美しいパターンの魅力に憑り付かれたゲーマーは沢山いるのではないか、と思います(勿論私も)。
ちなみにこの九州出身のゲーマー氏、仲間数人と1億点を目指すという途方もない計画を実行、3日間かけて見事1億点を達成したのだそうです。
実はその昔私もこの方と親交があったのですが、十数年前突然亡くなられました・・・。
亡くなられる数か月前に飲み会でお会いしていまして、その時はテーブルが離れていたのですが、まあまたいつでもお話しできるだろうし、と挨拶するくらいで済ませていたのですが、まさかあれが今生の別れになろうとは・・・本当にショックでした。
そんな「グラディウス」、今年30周年を迎えるということに合わせたのか、今年の1月に最新鋭のゲーム機「プレイステーション4」の「アーケードアーカイブス」で配信という形で蘇りました
海外仕様等4つのバージョンが収録されているというこだわり様でオリジナルの再現度も非常に高いです。非常に細かい相違点がありますが、ほぼオリジナルと同じと言ってもいいでしょう。
この「4つのバージョン」ですが、日本版×2、D版(ヨーロッパ版)、E版(アメリカ版→ヨーロッパ版共々タイトルが「NEMESIS」と変えられている)でそれぞれ異なる部分が多いのですが、日本版が2つあるという点、実はこれも「グラディウス」が今なお”神格化”されている大きな理由に繋がっているのではないか、と思います・・・
・・・また長くなってしまいましたね。今回はこの辺で。
次回はこの「2つのバージョン」にまつわるお話とそれに関してチンタラチンタラ煮詰めてきたネタを公開します。
もう少しだけお付き合いくださいませ・・・。

あれやらこれやら30周年(その1)


(↑:1985年の私)

(事務所応接室に置いてあるイヤープレート。私にとって節目になる年のものを揃えています。1970年は私の生まれた年で、これは両親から貰いました)
今年2015年は私にとっては大きな節目の年の一つになりました。
というのは、私達が滋賀から京都に引っ越して、そして私の父がこの京田辺市(当時は「綴喜郡田辺町」でした)で会計事務所を開業してちょうど30年になるのです。
もうそんなになるのか、と思う一方まあそれだけ年月は経ってるんだよな、とも思います。1985年(昭和60年)4月に京都に引っ越したのですが、その当時私はまだ14歳だったんですから。
2つ年下の妹はちょうど中学1年生になるタイミングでいい塩梅で心機一転、という感じだったと思うのですが、私は中学3年生という非常に微妙な時期に転校ということになり、しかも滋賀県と京都府ではあまりにも学校のカリキュラムも雰囲気も違い過ぎた(まず生徒数が全然違う→滋賀県時代の中学校は1学年2クラスで約25人/クラスだったのに、転校先は1学年6クラスで35~40人/クラスに激増)ため、何が何だかわからない内に次から次へといろいろなことが押し寄せたように感じました。
とにかく高校受験に備えないといけないのですが、正直当時は滋賀県と京都府の公立学校のカリキュラムの格差があまりにもひどくて愕然とすることばかりでした。
何でみんなこんなに必死になって塾に通うんだ?という疑問はすぐに氷解しました。今でいう所の「学級崩壊」状態。あまりの授業のレベルの低さに呆れて結局私も授業まともに聞いてなかったです。
その一方体育祭や文化祭というイベントがあるとクラス全体が一枚板になって団結するという不思議な環境。
そんな中私は気が付けば自然とクラスメイトの輪の中に溶け込んでいたような気がしました。転校するなりいきなり修学旅行があってそこで多くの仲間と親しくなれたというのも大きかったのではないでしょうか。
そんな訳で地元で目立つ看板掲げて仕事しているということもあるのかもしれませんが、今でも付き合いが続いている、あるいは当時は知らなかったけど繋がりのある(たった1年でそんなにいろいろ知り合いは増えないですよ・・・)同級生が結構いたりします。中には顧問先の社長になっている&そこで働いている同級生もいます。
今から十数年前に一度京都の中学校での同窓会を開催したことがあるのですが、たった1年しか在籍していなかった私が何故か幹事に選ばれました・・・。
当日は100人を超える同窓生が集まり大賑わいになりました(私は精算等に追われて二次会に参加できなかった・・・)が、そんな意味でも上手く溶け込めていたんだな、と改めて思いました。
あと京都に出てきていろいろと驚いたことはあるのですが、一つだけ取り上げると夏の猛暑ですね・・・。
私が京都に引っ越した年は近年並みに猛烈な暑さでした。私の記憶では確か最高38.6℃まで上がったはずです。
それまで滋賀の山の中に住んでいた頃はどれだけ暑くても32℃くらいしか気温は上昇しなかった(さすがに最近は35℃くらいまで上がることもあるのですが)だけに、これには参りました・・・。
エアコンがないと生活できないとは大変な所に来たものだ(滋賀では扇風機だけで十分だった)、と痛感したものです。
・・・という訳でここまでは実は前振りだったりするんですけど(苦笑)、今回も長くなりそうなので&あまりにも強引に話題が変わるので(苦笑)、一旦ここで切ります。
次回をお楽しみに!