早いものでもう今年も一月が過ぎようとしていますが今年最初ということで、今更ながらあけましておめでとうございます。
・・・という訳で、今年は本業は早々から躓いてばかりで遅々として前に進まないのに困惑する日々です・・・。
あまりそんなものを盲目的に信じるのも考え物というのは百も承知(私と同い年の人/同じ星座の人etc.はみんな同じ運勢なのか、となりますから)ですが、占い系を覗いてみると今年はどれを見ても私の運勢は非常に悪いそうですし。
まあ昨年、一昨年が快進撃過ぎたのでたまにはスローダウンも必要、と解釈したいと思うのですが。数年前の「厄」の時期は大したことなかったですし。
そんな訳で今年の目標は後ろ向きかもしれませんが、可能な限り「蓄える」です。
金銭的には昨年、一昨年は事務所移転で出まくってますもんねえ。とりあえず各金融機関の積み立ては倍額にしました。あると使うんで(苦笑)
世の中は消費を煽るような風潮があるような気もしますが、相変わらず天邪鬼なところは私らしさを出していきたいな、と。
あと昨年後半から始めて半年続いた水泳&トレーニングですが、基本運動大嫌い&自称運動神経マイナスな私がこれだけ続けたということは昨年から本格的に始めたスキーにしても今までの私的にはあり得ないことですが、正直やってて気持ちいいのは事実ですし、これからも続けていきたいと思います。体力は何をするにしても基本ですし。まあこれも「蓄え」ですよね。
スローダウンと「蓄え」で本業も他のことも更にきめ細かく進めていきたいです。
あと今年はもうちょっとここの更新頻度を上げていきたいですね!(笑)
そんな訳で本年もどうぞよろしくお願い致します。
カテゴリー: 日々の雑記
良いお年を
・・・という訳で今年はまた更新したのは年末だけでしたが、今年は結構沢山書きましたよ~。
本当はもう一つ書きたいテーマがあったのですが、正月休みにでもupしたいと思います。間違いなく長くなりそうですので年内はもう無理です(苦笑)
皆様本年もいろいろお世話になりまして誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
では皆さん良いお年を。
今年を振り返る その3
勝手な思い込みかもしれませんが、私の同業者(税理士/会計士)は「文武両道」な人が多いような気がします。まあ「士」は伊達じゃないというか。
ところが私は自称「運動神経マイナス」。子供の頃からスポーツ/運動は全くダメでした。
私の子供の頃は保護者や先生の思いとは違い子供達の間ではいくら勉強が出来ても運動が出来なければ全く意味がない、という雰囲気があったような気がします。今の時代なら価値観も多様化していて運動が出来なくても他の分野で認めてもらえる環境が存在していると思うのですが、少なくとも子供の頃の私の周りにはそんなものはなかったような気がします。
子供の頃の私はそれなりに勉強は出来ました。それに加えて美術も音楽も成績は良かったです。しかし体育だけは全然ダメでした。5段階評価で2を付けられたこともあります。
正直体育以外の科目に5が沢山付いてもちっとも嬉しくなかったです。子供の世界ではそんなこと何の意味もなかったのですから(更に言えば所詮田舎の学校での「5」。当時から「井の中の蛙大海を知らず」だと思っていました)。
最近私の母から聞いた話ですが、運動神経抜群でスポーツは何をやっても一流だった私の父は子供の頃の私とキャッチボールをやっても全然上手くならないのを見て早々に「こいつは(運動は)ダメだ」と早々に運動に関して教育するのは諦めた、とのこと。そんな訳で体育の時間はずーっと憂鬱な時間でした。
そんな私が今年の下半期あれこれ運動/スポーツにのめり込むことになろうとは・・・。
20年近く前今ほど忙しくなかった頃近所の市営の体育館(現在は指定管理事業としてNPO法人が運営しています)付属のトレーニングルームに通っていた時期があったのですが、父の死、そして私が事務所経営を引き継ぐに至って多忙になり足が遠ざかっていきました。
しかし昨年くらいからようやくあれこれ忙しいのがましになってきて気持ち的にも余裕が出来始めたためぼちぼちトレーニングルーム通いを再開しました。更に併設されている市営プールで泳ぐことも始めました。市営プールにはこれまでも断続的に通っていたのですが、今年はかなり通い詰めたような気がします。
水泳は小学校時代例によってカナヅチだった私を見るに見かねた親に水泳教室に連れていかれて50mくらいは泳げるようにはなっていました・・・が物凄く遅いですしそれ以上連続して泳ぐことはできませんでした。
社会人になってから某女性タレント(血液がワインで出来ているらしい人)がテレビ番組で「私ノンストップで2000mは泳げるわ」とコメントしていたのを見て「マンガ道場に出来ることが私に出来ないはずはない!」(←:誰かバレバレですね(苦笑))とあまりよくわからない理由で発奮して気が付けば500mは軽くノンストップで泳げるようになっていました。無駄な動きを減らせばスピードも速くなりますし楽に長距離泳げるようになるんですよね。
そんな訳で7月くらいから週2、3回のペースで平日仕事が終わってから、あるいは週末にプールで1000~1500m泳いでからトレーニングルームに通うようになりました。自分でも驚いたのはずーっと続けられたことです。習慣にしちゃえば続けられるんですよね。
で、どうなったかというと、健康診断の結果はコレステロール値、中性脂肪が減りました。数値が改善したのは今までで初めてのことでした。ただ体重はあまり変わらず・・・。脂肪が筋肉に変わった・・・のかな?
それはともかく、身体を動かす習慣が付いたのは気分的にもいいですね。
そして今年の大きな変化として、家族でスキーに行くようになったということが挙げられます。
スキーは20年ほど前に大学時代の友人に連れられて行ってようやくまともに滑れるようになりました。小学校5,6年でスキー教室があったのですが、5年生で行った時やはり全然ダメでして嫌になって6年生の時は仮病で休みました(苦笑)
20年前は一緒に行った友人の教え方が上手かったんだと思います。私でも滑れるようになったんですから。
今年の正月休みに琵琶湖バレイに久々に行ってみたのですが、何せ約20年振り、完全に滑り方を忘れていましてこの時は全然ダメでした。20年前滑れたのはまぐれか、と思っていたら最後の方でようやく思い出しまして、2月にもう一度行った時には完全に感覚を取り戻していました。
非常に楽しかったので昨冬のシーズンオフに思い切って家族3人分スキー道具一式を買ってしまいました。そして先日2泊3日で岐阜のウイングヒルズ白鳥高原リゾートに行ってきました。
リフトも複数設置されているだけでなくゴンドラまで設置されていてコースも10本以上、しかも2000m以上のコースが何本もあるという大スケール。しかし家族で泊りがけでスキーなんて基本グータラで運動が苦手な私ではありえない話です・・・。
初日に私が調子に乗って上級者コースに行ってコースから外れて雪の壁に激突、雪を飲み込んで一瞬呼吸が出来なくなったり自力で脱出できなくて4人がかりで救出してもらったというアクシデントがありましたが、それ以外は天候にも恵まれて3日間満喫しました。
しかし何が凄かったってうちの子供の驚異的なスキーの上達ぶりですよ。私が25歳でようやく出来るようになったことを7歳でやってのけたんですもん。
今回初めてスキーをぶっつけ本番でやらせてみたのですが、3日目になると私が結構速く滑っていくのに付いてきてました。正直見直した、というかこいつ凄いぞ、と真剣に思いましたしとても嬉しかったですね。遠路はるばる行った価値があった、と思いました。
そんな訳で気が付いてみればかなりアクティブに身体を動かすようになっていた訳ですが、これもこれまでとは違う試みだったと思います。
他の人にとっては普段から当たり前のようにやっていることかもしれませんが、私にとっては劇的な変化です。来年以降もこの流れをキープしていきたいですね。
今年を振り返る その2
今年は久々にいろいろな人と再会する機会が多かった年でした。
初っ端正月休みから滋賀県に住んでいた頃の中学校の同窓会が開催されました。同窓会自体約20年ぶりとのことでした。
私は中2まで滋賀県に在住していたため厳密には参加資格があるのかどうか微妙だったのかもしれませんが、facebookがきっかけとなって招待していただくことになりました。
多くの皆さんが感じておられると思うのですが、こういう場面で発揮されるfacebookの力は強烈なものがあると思います。
実は何人かの同級生とは付き合いが続いていたのですが、基本的には皆さんとは約29年ぶり!!!の再会でした。
皆さん容姿はすっかり変わっていました(私を筆頭に(会う人会う人「誰やねんこのデブ」(苦笑→学生時代からでも体重1.5倍になってますもんね))が、実は声と眼球は変わっていないんですよね。眼付きではなくて「眼球」っていうのがミソです。
同級生全員で1学年50人くらいという田舎ならではの小規模な集まりだけに、参加者25名程度で出席率は非常に高かったのでは、と思いました。残念ながら所用で参加できなかった方からも近況報告は結構届いていたみたいです。
久々に皆さんにお会いして感じたのは、みんな真面目だったよな、ということです。私は中3の4月という非常に微妙な時期に父親の仕事の都合(独立開業)で京都に引っ越したのですが、そこは非常に荒れていた学校でしたので・・・。
一例を挙げますと、図書館に鍵がかかっているんですよ。何故なら本が盗まれるから・・・。あと電気のスイッチが悉く中に押し込まれて破壊されているのが妙に印象に残っています。正直理解に苦しみますが、ああいうのも”ワル”のアピールの仕方だったのでしょうか・・・。
その一方で体育祭や文化祭といった大きなイベント時には全員が一枚板になって熱心に参加する、という面もありまして、実は1年という短い期間ではありましたが、京都の中学校での生活はかなり充実していたのでは、と思います。
こちらでは十数年前に一度同窓会を開催しているのですが、たった1年そこに居ただけの私が幹事を務めることになったんですよね・・・。
勿論こちらの同級生でも付き合いの続いている人はいます。今年の夏には約9年ぶりに私の結婚式に来ていただいた京都の中学時代の友人と再会したりもしました。京都の中学時代の友人には実はうちの事務所の顧問先の社長になられていて普段からよくお会いする人もいるんですけどね。
今年の6月には私が通っていた高校にて「租税教室」を開催しました。
文字通り我々税理士が自分の通っていた母校で(大抵の場合社会の授業の時間を使って)税金に関する授業を担当する、という内容です。
昨年私ともう一人税理士の同級生と一緒に提案してみた所是非ともやって欲しい、と言われて今回開催しました・・・が実は私が通っていた高校は基本的に中高一貫で(私は高校から途中編入)、カリキュラムの進度が早いため本来高1のクラスで教える内容を中3で教えているがため、税理士会が薦めている租税教室の「自分の母校である「高等学校」」での授業、という要件に該当しなくなってしまい、完全にボランティアでの開催となってしまいました(その結果税理士会からの謝金が出ない・・・)が、学校側からの強い要請もありましたので引き受けた次第です。
打合せの段階でいろいろな先生とお話ししたのですが、何が凄いって実は我々が習っていた当時の先生がまだ健在で、しかも同級生の一人がこの学校の教師として就任していて更には今回授業を持つことになった中3のクラスの一つの担任までやっているということです・・・。
皆さんとは実は数年前に開催された同窓会にてお会いしているのですが、スムーズに準備を進められたのもそういう縁があったからかな、と思いました。
本番の授業も1コマ50分×4クラス、昼食を挟んでぶっ通しで非常にハードでしたが、何とか無事終えることが出来ました。
全体的に生徒の反応も良かったのでは、と思いました。社会の先生(私の高3の時の担任でした)が「1学期の期末試験で今日の授業の内容出すぞ!!!」とおっしゃったのも効いていたのかもしれませんが・・・。
そしてつい先日の事でしたが、公認会計士を目指して切磋琢磨していた専門学校での受験時代の仲間と再会する機会がありました。
縁あって今年再会した会計士の仲間(これまたfacebook経由で、レトロアーケードゲーム絡みというのがミソですが→これについても触れないといけませんが、何とか年内次回の投稿にて触れたいと考えております)からのお誘いでしたが、専門学校に通っていたのはもう19年も前のことなんですよねえ・・・。
仕事柄今も時々お会いする方もおられましたが、本当にその時以来という方もおられました。
皆さん紆余曲折を経て立派に様々な場面の第一線で活躍されているなあ、と感慨深く思いました。私ももっとがんばらないといけませんね。
来年はどんな出会いが待っているのか、あるいは意外な方と再会することがまたあるのか、いずれにせよ今まで通り「縁」を大切にしてがんばっていきたいと思います。
そして今年再会した皆様、これまでからお世話になっております皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今年を振り返る その1
・・・はい、今年も年末だけ更新になっちゃいました・・・(苦笑)
まあそれだけ多忙だったのは事実だったと思います。ありがたい話ですよね。
今年は公私共に今までやったことがない、あるいは経験したことがないようなことを多くしてきたように思います。
仕事に関しては守秘義務の関係もあってあまりお話しできませんが、それまでやったことがないようなことでもあれこれ調べたり聞いたりして取り組めば何とかこなせるんですよね。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」であります。どうすればいいかわからなければ聞けばよい!
そんな訳でいろいろ慣れないことをこなしていく内にちょっと自信が付いてきたような気がします。
来年以降もまた聞いたこともないような話が出てくるかもしれませんが(実は既に何件かそんな仕事のオファーは来ているのですが)、まあ何とかなるもんですよ。
明日で事務所は仕事納めですが、その翌日からこれまた私は初めての泊りがけスキーに出かけることになりました。
先程車にスキー板を積むキャリアをセットアップしてました。これまた初めて・・・というかそこまで気合入れて行くというのがズボラで運動神経マイナスを自認している私にとってはほとんどありえないことのような気もするのですが・・・。
という訳で、スキーから無事帰って来れたら「今年を振り返る その2」にて再びお会いしましょう!
よいお年を
早いもので今年もあと4時間程で終わろうとしています。
今年は結構自分のやりたかったことが出来たのでは、と思います。
先日ここでも触れた新事務所建設については、年初の段階では何らかの形で出来れば、とぼんやりと考えていただけでしたが、実際完成してみると感慨深いものがあります。
宅建試験は残念な結果に終わりましたが、8年越しでやっと取り組めた、というのが何より私にとっては重要なことでした。
このように昔からやってみたい、と思っていたことを忘れないで&諦めないで取り組んでいく姿勢を来年以降も続けていきたいと考えています。やりたいことは山ほどありますので。
案外粘着質なくらいしぶといのは私の強みかな、とは思っています・・・というか凡人にはそれくらいしか他人と差を付けるには方法がありませんので(苦笑)
本年もいろいろお世話になりまして誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します
では皆さん良いお年を。
今年を振り返る
はい、今年もこちらは数回しか更新できませんでした・・・。誠に申し訳ありません。
確かに忙しかったのですけど、facebook(https://www.facebook.com/mitsuhiro.koyama)にハマってるだけじゃねーのかよ、という突っ込みが来そうですね。
という訳で今年を振り返ってみたいと思うのですが・・・正直何してたんだろう?
とにかくあっという間でしたね。
今年私は42歳になったのですが、いわゆる「後厄」の年でした。
私自身は大したことなかったのですが、私の周りで多くの方が亡くなられた年でした。
特に顧問先の社長が立て続けに、それも50代、60代で亡くなられたのは本当にショックでした。
私も父を50代で亡くしていますから残された遺族の皆さんの気持ちはよくわかります。
でもそこでめげないでがんばって欲しいと思っています。ある顧問先では娘さんが何と20代で社長に就任されました(しかも彼女は末っ子です!)。何が凄いって彼女が社長に就任してから製造原価が劇的に低下していきなり黒字決算を叩き出されたんですよ。実に頼もしいです。本当に大変だったと思いますが、これからもがんばって欲しいです。
総じて3年間の厄の期間私自身は大丈夫でした(昨年は子供から手足口病を伝染されたりやら普段全く運動してないのに10数年ぶりにいきなり走って足を痛めたりという具合に何やっとんねん、的なある意味自爆ばかりしていましたが(苦笑))が、昨年は二度の死産もありましてやはり厄には気をつけないといけないな、と思いました。
とにかく今年1年、本当に忘れっぽくなりました(苦笑)
何せ何か書こうとしても全然思い出せないのですから。
まあしかし渡辺淳一氏(明日から日経朝刊「私の履歴書」に登場されますね)曰く「鈍感力」で乗り切っていけばいいんですよね。
氏の発言をそのまま引用させてもらいましょう。
「でも、鈍感なのは素晴らしいことなんですよ。傷ついてもすぐに立ち直れるし、いろいろなことを言われてもすぐに忘れられる。私が言う「鈍感力」とは、どんな時もくよくよしないで、へこたれずに、物事を前向きに捉えていく力のことです。 」
皆さま本年も誠にありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
ライオンズクラブ退会
京青税卒業とほぼ同時期になるのですが、6月末をもって約7年間在籍していた綴喜ライオンズクラブを退会することとなりました。
ご存知の方も多いと思いますが、ライオンズクラブはロータリークラブと並ぶ国際的な奉仕団体です。
綴喜ライオンズクラブは文字通り綴喜郡のエリア(但し京田辺市、井手町のみ→何故か宇治田原町はエリア外、八幡市は八幡ライオンズクラブが分離してそちらのサービスエリアとなった)をサービスエリアとしています。
父が存命中長い間この綴喜ライオンズクラブに所属していまして(顧問先をゲットしたい、という意図もあったと思うのですが、在籍中顧問先になったのは1件だけでした・・・)、その縁で私も大学生時代に当時のクラブの大きな事業だったYE(Youth Exchange:交換留学生制度→世界中のライオンズクラブで相互に学生の交換留学を行うという事業)に参加させてもらいまして、6週間オランダに行ってきました。現地では大歓迎を受けて毎日とても楽しい日々を過ごしました。歓迎され過ぎて正直くたびれてしまったくらいでした。
またこのYE事業は自分が海外に行くだけではなく他の国からの留学生を受け入れる義務がありまして、私の家族ではマレーシアからやってきた高校生(当時マレーシアからやって来れるだけあって上流階級のご子息でしたが、物凄く聡明な男の子でした)を受け入れて3週間という短い期間でしたが楽しい国際交流活動を行ったりもしていました。
オランダに行った時もマレーシアからの留学生を受け入れた時も基本的に英語で会話していました。私は実はまともに英語を勉強していない(きちんと体系的には全然勉強できてません)のですが、当たって砕けろでやれば何とかなるものだな、と痛感した次第です。
父の病死後しばらくはライオンズクラブとは縁がありませんでした・・・が父の親交のあった皆さんがしきりに私にも入会を勧めていまして、私は結婚したら入会する、と言って勧誘をかわしていたのですが、平成17年に結婚することが決まり、そこで覚悟を決めて入会することとしました。
当初は楽しく参加していた(うちの事務所の顧問先の方もおられましたし)のですが、転機は計画委員長(年に何度かある「特別例会」の企画運営)を担当した時に訪れました。
私としては三役(会長、幹事、会計→クラブでは最も重要な役目)の指示に従ってイベントの段取りを進めていただけなのですが、これまでとは違う路線に古参の会員から猛反発を食らい、その批判の矢面に立たされたのでした。
酒の席とはいえ滅多に怒らない私が古参の会員相手に激怒してしまったくらいです(今でもあの会員だけは許せないです)。
この事業年度は例会に皆出席を果たしたのですが、この辺りからどうも居心地の悪さを感じるようになりました。
そして一昨年の事業年度に三役の一つである会計を担当することになった(まあ一応専門ですし)のですが、この時にある事件が勃発しました。
詳細はあまり言いたくないのですが、とにかくこの事件(会計に関することではないのですが)で私は責任を取ってクラブを退会せざるを得ない状態になりました。
昨年6月に一旦退会届を出したのですが、次の年度の会長が実は私のスポンサー(クラブに入会するにはスポンサー=推薦者が必要)でして、1年待ってくれないか、と言われたためとりあえず1年待ちました。
そしてこの6月で会長も任期が終わったためここで正式に退会した、という訳です。
いろいろな事件やいざこざは確かに退会の直接の理由かもしれないのですが、実は顧問先の社長や仲間の税理士で他のライオンズクラブに所属されている方から聞いている活動内容(あとロータリークラブの会員の方)とは雲泥の差だな、と痛感していたのも事実です。
今頃言っても仕方がないことかもしれませんが、不満に思っていたことはいろいろとありました。
とりあえず思いつくまま箇条書きしてみますが、まあ多分あの理事会ではこんなこと主張してみても「糠に釘」だったんじゃないかな、と思うのですが。
・何故例会をいつも夜に行うのか→今や他のほとんどのクラブは普段の例会は平日の昼間等に簡潔に行って年数回開催される「特別例会」を派手に盛り上げる、という形式になっていると聞いていますが、お金もないのに何で旧態依然、というかバブル時代的なやり方を続けているのか。(ついでに言うといくつかの行事が常に京青税の重要なイベントと見事に重なっていたりしました→何度か京青税に迷惑をかけたこともありました)
・「ライオネスクラブ」の存在→ライオンズクラブ会員及び物故会員の配偶者の会が綴喜ライオンズクラブには存在しています(規約上は現時点でも設置するのは構わないのだそうですが)。
これのおかげで実質的に男性しか入会できない。時代錯誤もいいところです。
私が会計を担当していた時のエリアの三役会議においても「いつまでライオネスクラブを存続させるのか」と指摘されていたのですが、当時の会長/幹事は無視していました。
ちなみに私の妻は自動的にライオネスクラブの会員になっていたのですが、会合には一度も行ってませんし夫婦同伴の例会にも一度も参加したことがありませんでした。
子供が出来て世話が大変ということもあったのですが、むしろ私が連れて行きたくなかったということが理由です。
・他の会員との年齢差→これは仕方がないことなのかもしれませんが、やはり居心地が悪かったのは否定できません。
仕事の話は出来ても時代感覚や趣味が合わないというのは決定的にマイナスです。まあこれは他の会合でも同じなのですが、他の会合ではあまり気にならないのはなぜでしょうか。
先述の通り古参会員とのいざこざもありましたが、こんなことも他の会合では今まで経験したことなかったのですが。
・例会のコンテンツのショボさ→特にクリスマス家族例会(子供や孫も参加可能)がそうだったのですが、今時あんな内容で子供や孫の世代が喜ぶのでしょうか?むしろやらない方がましではないか、と言いたくなるくらいでした。
先述の例会の開催形式にも関係してくるのですが、「特別例会」にアイデアを集中させて普段は質素にする、という具合にメリハリを付けるべきだと思います。
今までの慣例に乗っ取ってダラダラと毎年同じ内容を繰り返す、というのでは参加意欲も失せてくると思うのですが。
前回のブログでも書きましたが「頼まれたら断れない」性格の私だけに(苦笑)この手の会合も自分から辞めるということは滅多にないことだと思います。
そんな私が辞める決意をしたということはよっぽどなことのように見えるかもしれないのですが、あまりそんな気持ちでもなくて何かしら自分の中で何かが消え失せていったような感じがします。
まあよく考えてみたら昨年既に辞意を表明しているのでその時点でクラブに対する関心や情熱は醒めてしまっていた訳ですから。
いずれにせよ京青税も卒業したことですし、あれこれ考える時間ができたような気がします。
とりあえず対外的なことに時間を取られて自分がやりたいことを後回しにしていたので、今後しばらくはそれを消化することに専念したいと思います。
今年を振り返る
本当に久々の更新になりました。
後述するようにfacebook(http://www.facebook.com/mitsuhiro.koyama)は頻繁に更新するようになりましたが、こちらはご無沙汰していました。
こちらを見ておられる方もおられます(更新サボってばかりでごめんなさい)ので&今年もいよいよ残り少なくなってきましたので、今年を振り返ってみたいと思います。
今更言うまでもないのですが、本当に今年は大変な年になりました。
3月11日の東日本大震災、そして福島原発の事故です。
正直関西においては実感が湧かなかったのは否定できません。
私としては夏の節電要請を意識して網戸の張り替えに挑戦した、というくらいしか直接的な影響はなかったような気がします。何とも呑気なものですが。
しかし地震直後に「少しでも余震から逃れたい」と京都に来られた東京の知人から色々と生々しい話を聞いて衝撃を受けたのも事実です。
余裕があったからこそ出来たことなのかもしれませんが、震災以降私は過去の日本の歴史において同じような災難があった時我々の先祖がどのようにそれに立ち向かいそしてどのようにしてそれを克服していったのか、ということを調べました。
確かに今回の震災は非常に大変な事態でしたが、昔は今のように文明が発達していませんでしたし復興には物凄い時間がかかっていました。
平安末期~鎌倉時代初期には日本のあちこちで立て続けに約30年間地震/津波、火山噴火、台風、天候不順が連続して起きて本当に国家破綻寸前になったのだそうです。
江戸時代初期に元禄文化が栄えた、ということはご存知の方も多いと思いますが、原動力となったのはこの時代に海沿いの低地を干拓して米の生産量が飛躍的に増加した(この時代の日本は米が「マネー」だった)からでした。各地の大名もそれを理解していて干拓に惜しみなく投資したのだそうです。
しかしそれは一瞬にして崩壊しました。原因は地震と大津波です。瀬戸内海にすら6メートルの津波が押し寄せたとのことで、干拓した田が一瞬にして全滅したのです。これ以降江戸時代は大政奉還まで一度も景気が良くなりませんでした(故に何度も「○○の改革」が実施された…のだが低空飛行のまま江戸時代は終わった)。
皆さんも歴史を振り返って欲しいです。間違いなくそこにこれから我々がどうやって生きていくべきなのかのヒントが存在すると思いますので。
今年私は「本厄」でした。
そんなことは迷信みたいなものだろ、と思っていたのでしたが、やはりそれは嘘ではないな、と思わされることが続きました。
私自身に関しては、7月に「手足口病」にかかり、10月には足を痛めてしまったという災難がありました。
手足口病とは文字通り手、足、口に湿疹が出来て高熱が出るという病気です。基本的に子供がかかる病気なのですが、今年は大人の間でも大流行しました。正直どこが子供の病気やねん、と言いたくなるくらい私の周りの大人でも発病した人が多かったです。
言うまでもなく私は自分の子供から伝染したのだと思います(子供は大したことはなかったのですが)。手や足の湿疹に高熱も辛いのですが何が一番辛いといえば「口」です。私の場合口内炎が喉にいくつも出来ました。その結果物は食べられない、水すら飲めない、しゃべることも出来ないという状態になりました。仕事があまり忙しくない時期だった(とはいえその頃取り掛かっていた税務調査の調整日がキャンセルになってその直後税務署の担当者が異動になり最終決着が大幅に遅れるというアクシデントもありましたが)のが幸いでしたが、本当に辛かったです。
10月の足のアクシデントは、慢性的な運動不足を解消しようと一念発起して9月中頃から朝早く起きて走り出したのですが、何せこのようなことをしたのは10数年振りだし、その10数年前に比して体重は20kg以上増加しています(苦笑)ので、走り始めて3週間くらい経った時点で足を痛めてしまった、という訳です。
皆さんにこの話をしたら「いきなり無理するからだよ」「歩いた方がいいよ」と言われたものです。まだ足の痛みを抱えていた中税理士会支部の旅行で沖縄に行ってそこで足を引きずりながら観光地を歩き回っていたのですが、それが功を奏したのか、帰ってから今までの痛みが嘘のように急速に回復しました。やはり歩くことから始めるべきなのでは、と今では思っています。
本厄だったとはいえ本業は案外順調だったと思います。
勿論今年もいろいろと大変なことがありましたが、皆さんのご協力もありまして何とか解決することができました。
やはり大切なことは一つ一つ粘り強く取り組むこと、決して諦めないことだと思いました。
来年も皆様の力になれるよう一生懸命がんばっていきたいと思います。
そしていろいろなことがあった今年非常に楽しませてもらったのは「Facebook」でした。
これまでもmixi、twitterといったSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)は利用していましたが、はっきり言ってFacebookは段違いに素晴らしい&怖ろしい程に凄い、ということを痛感した1年でした(あまり批判はしたくないのですが、mixiは「情報の非対称化」を最大限に利用したSNSだったんだな、と思いました。今年の度重なる迷走も含め今やFacebookの劣化コピーにしか見えないのですが)。
ご存知の方も多いかと思いますが、Facebookの最大の特徴は「実名」で登録しないといけない(偽名等で登録していることがわかればアカウント削除されます)ということです。
日本のネット文化の下ではこれがネックになってFacebookなんて普及しないだろ、という意見もありましたが、そんな意見が間違っていたことは今や説明するまでもないでしょう。ただ正直私も驚いているのですが。
Facebookの魅力を語り出すときりがありませんが、一つだけ取り上げると長い間疎遠だった方と再会出来た、ということが挙げられると思います。
とにかくやってみればその魅力はわかると思います。来年以降Facebookは更に盛り上がるとは思いますが、利用者が増えれば予期せぬ問題点も出てくるかもしれません。その辺りは冷静に見極めて行きたいと思います。
今年もいろいろとお世話になりました。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
皆様良いお年を。
史上最大の下剋上
ゴールデンウイークも間もなく終わろうとしています。
私の事務所は暦通りの休みでした。
以前は3月決算の業務等で休日も仕事していたものですが結婚して子供ができると普段子供の相手は妻に任せっ切りなだけに仕事一辺倒という訳にもいかなくなりまして無理をしてでも休日は休むようになりました。
という訳で十分に休息は取れたと思いますが、明日以降どれだけ効率的に仕事を進められるかが非常に気になる所です・・・。
という訳で以前からまとめる時間がなくて放置していたネタをようやく掲載することができるようになりました。プロ野球に関する話題です。
(しかしこの講演会が開催された時にはまさかあんな大地震が起きてその影響がプロ野球にも広がるとは(まあ当たり前ですが)想像もしていませんでした)
去る1月に日本公認会計士協会京滋会(以下「京滋会」)主催の講演会が京都市内でありました。
講師は千葉ロッテマリーンズ代表取締役の瀬戸山隆三氏。昨年パシフィック・リーグ3位からクライマックスシリーズを制し日本シリーズまで制して「史上最大の下剋上」で日本一になったロッテ球団の社長です。
京滋会の会員でかつてダイエーに勤務されていた方がおられてその方の縁で今回の講演が実現したとのことです。
というのも瀬戸山氏はロッテの前はダイエーホークス(当時→2004年にロッテに移られた)に在籍しておられたのだそうです。ダイエーは1999年と2003年に日本一になっているため昨年も含め4度日本一を経験しているという凄い人だったりします。
ちなみに2003年も2005年も日本シリーズの相手は阪神タイガースだったりします。特に2005年ロッテは阪神を4勝0敗のストレートで下しています。私にとっては2005年の滅法強いロッテの印象が非常に強く、それ以降別にファンでもないのですがロッテの動向は非常に気になるようになりました。
とはいうもののやはり関西といえば阪神ファンが圧倒的に多く(今回の講演は一般市民にも開放されていたのですが、そんな市民も何かにつけて「阪神がどーのこーの」と質問していました)、ロッテというといくら昨年日本一になっていると言ってもどうしてもインパクトが弱くならざるを得ません。そのためか参加者の数はいささか少なかったように感じました。ただ私は前述の理由もあって非常に期待していました。
公演の内容は期待通りの非常に興味深い内容でした。箇条書きで要点をまとめてみました。
・瀬戸山氏が経験した4回の日本一の内3回は(2010年も含めて)寅年。2005年は寅年ではないが「虎」に勝った、とのこと。
・2010年日本一を成し遂げた西村監督の前任であるバレンタイン監督には非常に苦い思い出ばかりだが”策士”であることは認めざるを得ない。(あれこれと愚痴話が続いた)
・ダイエー当時は球場と球団の売り上げは250億あった。しかし福岡ドームの土地と建物だけで2000億かかった。ちなみにマリンスタジアムのそれは約150億。
・ロッテに来た2003年当時で売り上げは20億、赤字は40億。
・こりゃいかん、という訳で当時の千葉市の市長(鶴岡啓一氏:2009年収賄の容疑で逮捕・辞職)を訪問した時のやり取り:
鶴岡「ほう、ロッテが来るとは珍しいねえ」(地元ですらこんな有様)
続けて鶴岡「でも周りはみんな巨人ファンばかりだよ」
瀬戸山「セ・リーグは巨人でもパ・リーグはロッテですよ」
鶴岡「いやあサッカーなら好きなんだけどねえ」
という訳でロッテの話題を千葉の地元に浸透させることから始めないと、と瀬戸山氏の改革作業はそこから始まった。
・日本で展開するロッテグループの中で最悪の業績なのが千葉ロッテマリーンズ。2010年度は売り上げこそ2003年の4倍の80億円になったが相変わらず赤字20億。
・(これは講演では出てこなかった話だが私がメモしていた)日本の球団が何故赤字垂れ流しで経営が成り立っているのか。実は国税庁から「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という法人税関係個別通達が出ている(http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kobetsu/hojin/540810/01.htm)。見ればわかるように球団に対する親会社からの貸付金ですら損金(=税法上の経費)に落とせるのである。正に何でもあり。しかもこの昭和29年に出た通達(←これは「法律」ではないのだが)は今も生きている。
・ちなみに今日本のプロ野球チームで単体で黒字なのは巨人、阪神、そして広島。広島が黒字というのは意外かもしれないが理由は後述。ソフトバンクは観客動員数を見ている限り黒字のように思えるが実は今福岡ドームを所有しているシンガポールのファンドに使用料を年50億支払っていて全然儲かっていない。売上は大きいのかもしれないが。
・皆さんご存じのようにロッテは日本と韓国で事業を展開している(が日本からスタートしている)のだが、日本と韓国での規模は雲泥の差がある。日本ではグループの合計売上は約3000億円だが韓国では第5位の財閥で売り上げは約50兆ウォン(約4兆円)。
・韓国にもロッテは球団を持っている。その名も「ロッテジャイアンツ」(笑)ちなみに約9億円の赤字だとか。
・とにかく2003年のロッテは目を覆いたくなるような惨状。例えばダイエーの寮においては一人当たり4500~5000kcal/日の食事が出たのにロッテの寮においては1600kcal/日・・・。
・かつて横浜は巨人戦の放映権として1億円もらえた。だが今はその1/10の1000万円。しかし千葉テレビでのロッテ戦の放映権は何とたったの10万円・・・!あまりにもひどいので千葉テレビに抗議したのだがその反論:「お前歴史を勉強してから来い!昔はタダだったんだぞ」
・そんなロッテが変わり始めるきっかけとなったのが2004年の球界再編事件。これで千葉県知事も千葉市長も危機感を抱いた。行政側の規制でがんじがらめだった球場及び周辺施設の利用制限を解除して「ボールパーク化」を推し進めていった。これが功を奏する。
・2004年球界再編の黒幕は読売新聞主筆「ナベツネ」こと渡邉恒雄氏、オリックスの宮内義彦氏、西武の堤義明氏、そして竹中平蔵氏と当時のロッテ球団社長の濱本英輔氏(元国税庁長官)(→この最後の二人が加わっているということはあまり知られていないと思う)。Wikipediaにも掲載されているがこの時西武とロッテを合併するという話も出た(堤氏からの提案)のだがロッテの重光オーナーは「西武、いや堤とはやりたくない」と一蹴したというのが真相。
・瀬戸山氏曰く「ロッテは広島みたいにやりたい。広島同様選手は育ったら(他球団に)出す(→これが広島黒字の秘訣)。」選手会の力が強くなり年俸がべらぼうに高くなったし親会社からの援助も少なくなっている。それを考えると球団が自力で独立採算できる方向に動いていかないといけない。
ちなみに正にこの講演会が始まる直前にロッテの本社からFA権を取得していた小林宏之投手の阪神への移籍が正式に内定した、と瀬戸山氏の携帯に連絡が入りました。講演の直前におもむろに電話を取っておられたので何事か、と思ったのですが。まあ移籍後あまりパッとしませんが(苦笑)
・ロッテとしては選手が「2億以上くれ」というなら「出て行ってくれ」というスタンス→年俸の適正化を望む。そして最低年俸の引き上げを労組(=選手会)としては考えるべきでは?
・読売が日本のプロ野球を作ったようなもの(ちなみに朝日は高校野球、毎日が社会人野球)→今後は巨人べったりではだめ
・Jリーグでは赤字が3期続いたらJ2に降格になる。プロ野球でもそれくらいすべきでは?
・球界再編は今後再び勃発する可能性が高い→横浜がもうどうしようもない状況
・日本のプロ野球がジリ貧になれば将来韓国・台湾・中国でのアジアリーグもありかも知れない。
以上、ダラダラと書いてまとまりがなかったかもしれませんが、雰囲気は伝わったでしょうか。
会計士協会の地域会主催ということで数字に関する話が多くなったような気もしますが、これらの話を踏まえて今年のプロ野球を見てみるとまた面白いかもしれませんね。