「凋落 木村剛と大島健伸」(高橋篤史著:東洋経済新聞社)読了しました。
共に倒産した日本振興銀行とSFCG(旧商工ファンド)。これら企業の倒産劇に関してはご存知の方も多いかもしれません。
小泉・竹中路線の真の”黒幕”だった木村剛氏が中心となり「ミドルリスク・ミドルリターン」を謳い設立した日本振興銀行。
しかしいくら木村氏の頭が切れる(間違いなく秀才だとは思います)とはいえそんなものは何の役にも立たない、むしろそれが仇にすらなる金融業界。木村氏の暴走の果て(かつて自分が金融庁で血祭りにした”問題企業群”(例:りそな銀行→一時国有化、カネボウ、ダイエー、ミサワホーム→産業再生機構に送られた)がやっていたことよりもっとひどいことをした挙句)最悪の形で日本振興銀行は破綻、木村氏自身も逮捕されました。そして史上初の「ペイオフ」が発令されたこともご存じの方も多いでしょう。
片やロプロ(旧日栄)と並び「商工ローン」の旗手であったSFCGを率いていた大島健伸氏。
「腎臓売れ」で有名になった日栄とは違い真綿で締め上げるようなアプローチでのし上がった商工ファンド(大島氏はかつて商工ローンのノウハウを学ぶため日栄に就職していた)。しかし「グレーゾーン金利」を巡る最高裁判決により完全に息の根を止められ商工ファンドから社名を変更したSFCGは民事再生法申請の後破産、大島氏個人もSFCGに対し過払い請求により債権を有することになった中小事業者に破産宣告を受け、最終的に民事再生法違反(詐欺再生)により逮捕されました。
この二者が短い期間ですが接点があったためこの本では両者が取り上げられているという訳です。
「グレーゾーン金利」の最高裁判決で困っていたSFCGに対し日本振興銀行が手を貸した・・・のですが結果として日本振興銀行はSFCGの「計画倒産」に手を貸すこととなってしまったという訳です。
木村氏に関してはズバ抜けて頭脳明晰ということもあって逮捕されたことに関しては驚きの声も聞きました(講演会を聞きに行ったことがあるという方から)。しかし私は竹中平蔵氏のブレーンとして活躍していた頃に発刊された木村氏の著書(当時の柳沢金融担当大臣の膨大な量の国会発言を全て読み込んで二分冊にわたり一言一句のレベルで徹底的に批判するという内容)のあまりにも粘着質かつ執拗さに読んでいて気持ち悪くなって二冊目の途中で読むのを止めた経験があります(本を読んでいて「気持ち悪くなる」なんてあまりないことだと思います)。
この人頭はいいのかもしれないが人間的に非常に問題がある、というのが私の率直な感想でした。私の感覚は正しかったのではないでしょうか。
そんな訳で非常に興味深い内容の本でしたが、あとがきがあまりにも核心を突いていたのでそのまま引用して掲載したいと思います。
皆さんも納得されるのではないでしょうか。(SFCGやロプロ、そして武富士等サラ金業者が苦しんだ「過払い訴訟」の件も考慮して読み進めて下さい)
「数々の上場企業を輩出し、一方で会員企業が相次ぎ不祥事を起こすという波乱万丈の十年史を刻んだ「日本ベンチャー協議会」を主宰した天井次夫によれば、今の日本で成功するのは「他人犠牲の経営者」ばかりなのだという。誰もが成功のパイに与ることができた右肩上がりの時代はとうに過ぎ去り、勝ち組・負け組で表されるような限られたパイを奪い合う時代が定着してしまった。そうした世界では、相手を貶め、出し抜き、ひどい場合には騙し、傷つけられるような人間ほど成功を収めがちだという。企業家の裏も表も見てきた天井だけに「他人犠牲の経営者」という造語は妙な説得力がある。
戦後の日本社会はずいぶんと個人主義が幅を利かせるようになった。昔々の家父長的な血縁主義は悪の権化としてこてんぱんに破壊され、急激な都市化・郊外化で共同体的なものも崩壊し、かといって大半が無宗教、そんな日本では欧米にない独自の個人主義が発展を遂げたように感じられる。大から小まで人々の関心の対象はいかに個人に利益がもたらされるかだ。右肩上がりの時代には社会と個人がそれぞれ得る利益はそれなりに調和がとれていたように思える。しかし、今日、人々は何ら疑問を感じることなくひたすら個人益を求め、それゆえ半径五十センチの世界にしかもっぱらの関心は向けられない。
在日コリアンから日本に帰化したという一族の血を引きながら、恵まれた家族に育った大島健伸には、底辺から這い上がろうとする切実な同朋意識に支えられた特有の上昇願望を感じ取ることができない。肌合いが異なるのだ。その行動原理はどこまでも個人主義的だった。根無し草的な出自は唐の大丞相の末裔という一種の選民意識に昇華され、曲がり角をすぎた日本社会の変容のなかで、その個人益を追求する姿勢はより純化されていったようにも映る。借り手を慮ることなく、社員を絞り上げ、自らの蓄財にとらわれた姿は「他人犠牲」の典型例として日本人以上に日本人的だった。」
カテゴリー: 日々の雑記
東日本大震災以後
今回の東日本大震災、確定申告業務大詰めの時期に起きたため私自身は仕事に追われていて当初はつぶさに被害の状況を確認することが出来ませんでした。
あれから二週間以上になるというのに未だ被害の全容が判明しない上に福島の原子力発電所の被害はどこまで拡大するのかわからないという状況です。
関西に住んでいるとあまり実感できないのですがあの日から日本は確実に変わってしまったのではないか、と思います。
地震に関して関西ではあまり実感がないと書いたのですが、スーパーやホームセンターでは電池やミネラルウォーターの在庫がないという状態が続いています。
東日本に住んでいる家族へ送るためとか関西でも買占めが起きているとか理由はいろいろ言われていますが、いずれにせよ関西でも影響がじわじわ出ているのは間違いありません。
顧問先ではそこで販売している商品を何とも間の悪いことに最近では東北地方でのみ一括して扱うようになっていたためいきなりパニック状態になっている、という話を聞いたりしています。別の顧問先ではそこで生産している商品が全国のスーパーで取り扱われていてやはり東北のスーパーで売られる分が目減りする、とおっしゃっていました。
確定申告が一段落してこれからあちこちの顧問先を巡回することになると思いますが、更にいろいろと深刻な話が出てくるのでは、と心配しています。
そんな中先日の三連休に私の東京の知人が急遽関西方面に旅行に出かける、と連絡があったため初日に京都案内を引き受けました。
彼は京都は初めてとのことで基本中の基本とも言える清水寺・金閣寺・銀閣寺を訪れました。
私は清水寺と金閣寺には行ったことがありますが銀閣寺は実は初めてでした。質素ながら趣があって実に素晴らしかったです。
この後にこれまた知人のリクエストで全国展開している「天下一品」の総本店に行きました。彼は東京で結構頻繁に「天下一品」にてラーメンを食べているとのことですが、果たして本家の味は如何だったでしょうか。
ここのラーメンは京都の隣の府県に行くだけで劇的に味が変わるだけに首都圏ではどのような味なのか、と私も常々思っていたのですが、いざ首都圏に行ってみると「何で東京くんだりまで来て天一食わなあかんねん」と感じてしまい結局関西エリア以外では一度も「天下一品」は食べたことがないです。
彼は「確かに味が違う」と話していたのですが、私が首都圏で食べたことがないため果たしてどうなのか、わからないですね。。。
この後折角ここまで来たんだから、ということで隣の滋賀県に足を伸ばして私の実家の隣町である豊郷町の旧豊郷小学校に行ってきました。
ここは明治時代にウィリアム・メレル・ヴォーリズが建設した建物(この人の他の建造物としては同志社大学、関西学院大学その他非常にたくさん存在します。また近江兄弟社を創設して日本にメンソレータムを普及させたことでも有名)で、実家の隣町という私的な関係からは数年前の取り壊し騒動でよく知っていた・・・のですが今や一般的にはアニメ「けいおん!」の主人公が通う高校のモデルになったことであまりにも有名になってしまった建物です。
実は私は「けいおん!」に関する予備知識はあまりなかったりするのですが、我々が「聖地巡礼」(しかしこんな実家と目と鼻の先に「聖地」が存在するとは。正に「灯台もと暗し」です)した時は土曜日と言うこともあって多くの「巡礼者」が訪れていました。物凄い熱気を感じました。
これだけ多くのファンがやってきて楽しんでいるというのは予備知識がなくても無視は出来ないことではないでしょうか。正直私も「けいおん!」に興味が湧いてきましたし。
京都に戻って一旦車を置いてきて再び知人と合流して夜の部。ありふれた居酒屋でしたがしっかり京風料理に京都の地酒を堪能しました。
今回彼が京都に来たのは東京では余震が繰り返し繰り返し起きていてもうそれだけで気持ちが悪くなったので逃げたくなったから、とのことです。
正直それほどに余震というものは醜いものなのかと思ったのですが、私はそんなこと経験したことがないのでわからないだけだと思います。
今も余震のニュースが流れているため本当に辛い思いをされていると思うのですが、三日間だけでも忘れられた(&逃げられた)とすれば、そして初日の京都&豊郷の観光を楽しんでいただけれたとしたら幸いだと思います。
確定申告業務が終わったのも束の間、次々と仕事や各種団体の事業の予定が続いて体力的に弱っていたため、先日風邪をひいてしまいました。
子供が40℃超発熱して夜中に緊急病棟へ走る羽目になってしまい寝不足になった辺りからケチがついたのでしょうか、結局その風邪をもらってしまったのだと思います。
近所のお医者さんに診察してもらったところ「とにかく休みなさい」と言われてしまい、その日以降の予定を全てキャンセルしてとにかくひたすら寝ることにしました。
おかげで随分と体調は回復してきたように思えます。さすがに腰は痛いのですが。
それにしても食事と風呂の時間以外はほとんど寝ているというのに夜もぐっすり眠れてしまうというのはよほど疲労が溜まっていたということでしょうか。
いろいろと写真を掲載できればよかったのですが、携帯で撮影しているためパソコンに落とし込む作業がまだ出来ておりません。
後日掲載できれば掲載したいと思います。
お見舞いのお知らせ
この度の「東日本巨大地震」で被害にあわれた皆様には謹んでお見舞いを申し上げるとともに、不幸にして亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
どうかしばらくの辛抱と気をしっかりと持たれ、健康に留意をされ、一日も早い復興をされますようお祈りをいたしております。
今年の目標
皆様あけましておめでとうございます。
昨年を振り返ると全般的にあまり余裕がなかったような気がします。
とにかく次々と課題をこなすことに追われてとりあえずは課題を達成してはいても本当の意味で自分が満足のいく結果が出せていたのか、というと正直不満が残ることが多かったような気がします。何というか、ゴムが伸びきっているような感じですね。
そんな訳で今年は昨年までのやり方を見直して何事もじっくり取り組めるように余裕を持って取り組んでいければ、と思います。伸びきったゴムを縮められるように努力していきたい、そして再び攻めの姿勢に転じられるようにしたいものです。何でも今年私は「本厄」だそうで、慎重に物事に取り組むべき年だとのことですし。
その結果ここの更新頻度も上げられたらなあ、と思うのですが。(苦笑)
という訳で簡潔に本年の目標を述べてみました。(以前私の友人がここを見て「相変わらず長い文章やのう」とコメントしていたもので(笑))
本年もどうぞよろしくお願い致します。
幻の最高気温
皆様本当にご無沙汰しております。
いろいろな方に「ブログ見ました」という声をいただいているのですが、全然更新出来てません・・・。ネタは結構あるのですが。普段はツイッターにていろいろとつぶやいています(http://twitter.com/manchanbuhibuhi)のでこちらも見ていただけたら幸いです。最初はそんなに凄いものなのか、と半信半疑でしたがとにかく手っ取り早いというのはとてもありがたいんですよね。
ブログではブログでないと語れないような内容を取り上げていきたいと考えていますので出来る限りがんばりたいと思います。
という訳で少し古い話題になるのですが、今年の夏思わぬことで私の住んでいる京田辺市が全国的に有名になってしまいました。そうです、9月の観測史上最高気温を更新した・・・と思いきや・・・の一件です。
おさらいしておくと去る9月5日に京田辺市にて最高気温39度9分を記録、これは9月としては日本において観測史上最高だった、ということでこの日のNHKの夜7時のニュースに国道307号線と府道八幡木津線の交差点(市役所の近く)付近の映像まで登場する、という事態にまでなりました。
しかし私の感覚では最初から「???」でした。正直そんなに暑かったのか、と。
というのも実は今から3年前、岐阜県の多治見市と埼玉県の熊谷市にて日本での最高気温40度9分を記録した日に京田辺市でも39度0分を記録しています。この日の暑さは本当に半端じゃなかったのを記憶しているのですが、それと比べると全然暑くなかったのですよ。どう考えてもあれは36度くらいだな、と個人的には感じました。それにその日の晩は30度を切るくらい涼しくなりました。昼間40度近くもあればいくら夜とはいえそこまで気温が下がるものか、と思ったのですが。
という訳で昨日ようやく39度9分という最高気温が今更のような気もするのですが正式に取り消されました。皆さんご存じの通り観測機器に草が絡みついていて正確に計測出来ていなかったのでは、というのが取消の理由です。ちなみにこの計測器が置いてある場所ですが、水道の施設のある場所だそうで実は日当たりは非常に良い場所だったりします。私の記憶している限り今年の夏京田辺市ではこの日を含めて5日全国での最高気温を観測したのですが、これらの記録もひょっとしたら怪しいのかもしれません。ただ今となっては幻となった39度9分の日にしても暑かったのは間違いないです。
確かテレビの天気予報を聞いていた時に気象予報士が話していたことと思うのですが、夏にヒートアイランドと化す大都会の熱気が南からの風に乗って流れ込む、その場所が関東なら熊谷市辺り、名古屋なら多治見市辺り、そして大阪では枚方市、更にその隣の京田辺市である、とのことです。確かに理屈としては合っていると思います。
私が滋賀県から引っ越してきた今から25年前の昭和60年(阪神が日本一になった年です)の夏も非常に暑くて私の記憶が正しければ最高38度6分を記録したはずです。それまで滋賀県では非常に暑いと感じても34度くらいまでしか体験したことがなかったため「これはえらい場所に来たものだ」と当時は感じたものです。しかし今やそれを超える気温を記録するとは・・・って幻に終わっちゃったのですけど。
熱中症
6月・7月は一度も書けませんでした。2カ月ぶりになってしまいました。
というのも6月は諸団体の総会やら何やらが続いたのと京都税理士協同組合(以下「京税協」http://www.kyozei.or.jp/)の決算作業が大変だったからです。
京税協の監査も無事終了し一段落ついたと思います・・・が監査においてあれこれと指摘事項もありまして8月上旬に開催される総会終了後に早速動かないといけません。
7月は税理士会支部(以降「支部」)の厚生事業の準備その他が目白押しになる時期で支部の厚生委員長も担当している私はまた忙しくなりました。税務署幹部職員の皆さんと支部との対抗ソフトボール大会、支部対抗ソフトボール大会、支部旅行(先日行き先が北海道に決まりました→旅行会社3社にプレゼンしてもらいその中でベストの案を役員会で選出しました・・・がここまでの段取りもなかなか大変でした)
そんな中、先週末は熱中症でダウンしてしまいました。
というのも毎年恒例のお墓の草刈り&家の周りや畑の草刈り作業のため土日に滋賀の実家に帰っていたのだが、正直熱中症をなめていました・・・。
滋賀の実家は京都よりは幾分暑さがましなのですがやはり安全&防虫対策のため長袖の作業着(ジャージだけど→作業が2日間にまたがるため汗まみれになってもすぐ洗って乾かせるということも重要なので)を着ないといけないため必然的に汗だくになります。当然水分補給は必要なのですが、それだけではだめなんですよねえ。
こんなこと知っている方には説明不要だと思うのですが熱中症対策には水分だけでなく塩分も重要なんですよね。汗と一緒に塩分その他も体外に出ていく訳で。で今回はどういう訳かポカリスエット等の類の飲料を準備しないでお茶だけしか持って行かなかった挙句熱中症の症状(熱が出て身体の節々が痛くなってちょっと痙攣気味になった)を発してしまったという訳です。今回は畑に植えていた木が倒れていたのでそれを処理すべくチェーンソーも使ったりした(当然初体験→これは結構慎重に扱わないといけないような気がしました。どこかできちんとした取り扱いの研修を受けた方がいいと思いました)のですが、それも疲労に拍車をかけたような気がします。
そんな訳で先週1週間は仕事にもあまり身が入りませんでした。予定が詰まっていたため病院に行けたのはようやく金曜日になってからでした。
点滴を打ってもらい抗生物質や栄養補給の薬等をもらいようやく今日になって楽になってきたような気がします。
実家での草刈り作業は毎年行っているのですが、ポカリスエット等は何も考えずいつも準備していたのに今回はどういう訳か準備していませんでした。これからは気を付けたいと思います。
まだまだ暑い夏は続きます。皆さんもくれぐれも熱中症には気をつけましょう。
これは余談ですが、ちょっと前まで熱中症は「日射病」と呼ばれていました。しかし炎天下のみならず締め切った部屋の中等でも日射病と同じ症状が発生することがあるため医師会がこれらをまとめて「熱中症」と呼ぶようになったのだそうです。たまたま今週の「読売新聞」に記載されていた話です。
宇治川さくら祭り
今日は「宇治川さくら祭り」の開催されている宇治橋周辺に出かけてきました。
何かしら計ったかのように桜が満開、しかも天気も非常に良いという絶好の花見日和。
宇治橋周辺には時々行く(昨年の夏には「宇治川花火大会」を初めて見ました→しかも屋形船の上から)のですが、この時期に行くのは初めてでした。
さすがに大勢の人でごった返していました。出店もたくさん出ていましたが、昼食をちょっと多めに食べてしまったのであまり欲しいとも思わず・・・。
たまたま宇治川名物の「鵜飼い」のデモンストレーションをやっていました。
本来鵜飼いは夜に行われるものだったと思うのですが、真昼間に見るとどのように鵜飼いがなされるのかよくわかりました。
写真の通り本当に目の前で行われていましたし。
という訳で確定申告も終わりしばらくは週末ものんびり出来る日々が続きそうです。
尤もゴールデンウイーク前後から3月決算の会社の申告が控えています(うちの事務所でも件数は多いです)ので、「嵐の前の休息」みたいなものだと思うのですが。
そんな訳でこちらの更新もマメに行えるように努力したいですね。(まだ一度も専門分野の話をしていないような。。。)
AC/DCを見に行ってきました。
確定申告業務期間中土曜出勤にする(2回だけですが→今年は2/27と3/6)関係上私の事務所では毎年確定申告期間が終了してから臨時休業を取ることにしています。春分の日絡みで三連休になるのでそこにこの休みを引っつけることで五連休になります。いいでしょ?
私は年が明けてから土日もあまりまともに休んだ記憶がない(土日にもいろいろと行事があったりするというのもあるのですが)ので皆さんより早めに休みを取らせてもらうことにしました。という訳で3/16に京セラドーム大阪へAC/DCというロックバンドのコンサートへ行ってきました。
このAC/DCというバンド、オーストラリア出身で結成から間もなく40年にはなろうかという超ベテランバンドです。世界での人気は物凄くて全てのアルバムセールスは2億枚以上、代表作である「Back In Black」(1981年)は史上最も売れたアルバムであるマイケル・ジャクソンの「Thriller」の次に売れたアルバムと言われています・・・が日本での人気は世界のそれと比していまいちと言わざるを得ません。日本でもとても人気があるクイーンやエアロスミスやボン・ジョヴィといったバンドに比べてパッと見の派手さがない、ということが理由と言われています。
しかしこのバンド、正に「質実剛健」としか言いようがないシンプルだが力強く非常にノリがいい&随所で一緒に歌えてしまうキャッチーな曲(その代りメンバーの格好はただのおっさん→但しリード・ギタリストのアンガス・ヤングは「スクールボーイ」(中学生の制服)という奇抜な格好・・・だが今やそれが完全に定着してバンドの売りの一つにもなっている)がメインで、しかも約40年間のキャリアでこの音楽性に全くブレがないため熱狂的なファンは世界中に物凄く存在します。世間的にはハードロック/ヘヴィメタルに分類されているのですが、どう考えても正に「ロックンロール」の王道だと思うのですが。
あとあまり指摘されることがないような気がするのですが、このバンドのライブは非常に演出が派手なことも特徴です。今回もステージセットがあまりにも大き過ぎて前回の来日(2001年→私は三次試験にまだ合格していませんでしたがこの来日は19年ぶりとのことで見逃すと次はないかも、と思い見に行きました。何とアリーナ前から2列目というこれまでで最高の場所でした)の会場だった大阪城ホールでは収納できないため京セラドーム大阪が選ばれたのだとのこと。日本での人気を考えると正直京セラドーム大阪では満杯にならないのでは(海外では数万人が収納できるスタジアムが瞬時ソールドアウトになる程人気があるのですが)、と心配していたのですが、今回のステージセットでは(ドームの真ん中にステージを設置してステージ正面だけに観客席を縛り込んでいました→スタンド全体を解放してもこれじゃあセットが見えなくて面白さも半減以下だと思います)確かにここでしないと無理だよなあ、と思わされる程半端じゃないでかさでした。実際蓋を開けてみると観客席として用意された部分はほぼ満員になっていたように感じられました。
16日は昼から出かけたのですが、大阪の顧問先に用事があったのでちょっとだけ寄ってそれから会場に向かいました。・・・5時頃に到着したのですが読みが甘かった。
というのもTシャツ等のグッズ売り場が長蛇の列・・・。そう、このバンドはキャラクターグッズの人気が非常に高い(何せバンドのロゴマークだけでもブランドと化していますから→適当に探せば出てきますがこのロゴのフォントがあるくらい)のです。グッズ売り場はかなり大きかったのですが、それでもここまで並ばされるというのは私もあまり経験したことがなかったです。そして並んでいる間に次々とお目当てのグッズは目の前で売り切れに・・・。
一緒に見に行った友人は当然仕事終了後会社から直接会場入りで座席にて落ち合いました。今回もアリーナの前から14列目という非常に見易い席でした。
開演前から頭につけるピカピカ光る角のアイテムが会場のあちこちで光っていました。(彼らの代表作であるアルバム「Highway To Hell」のジャケット参照)
ほぼ定刻に照明が落ちると共に物凄い歓声があがってライブがスタート。オープニングはステージを覆っている幕にアニメが映し出されるのですが、これがまた非常によく出来てるんですよ。そのアニメの最後で蒸気機関車が突っ込んでドカーン、となってステージを覆っている幕が開いてそこにアニメそのまんまに蒸気機関車のでかいセットが飛び出してくる、という展開。そこから2時間強、あっという間でした。最初から最後まで圧倒されっぱなしでした。
蒸気機関車のでかいセットはあちこちから火を噴きまくるし、「Hells Bells」では天井から文字通りでかい「鐘」が降りてきてそれにヴォーカルのブライアン・ジョンソン(何と今年62歳!それであれだけバリバリ歌って走り回っていてとてもそんな齢には見えなかった)が飛びついて音を鳴らす(音はテープですが・・・)、「The Jack」ではアンガス・ヤングがストリップをする(苦笑→前回は日の丸の柄のパンツを見せていました。その昔はおしり丸出しでしたが、さすがに今はそんなことはしません。それにしても男のストリップを見て喜ぶ観客(私も含む)って・・・そういうのが正に「ロック」(「単なる馬鹿」ともいう)なのですが)、「Whole Lotta Rosie」では歌詞の中に出てくる巨漢の女性の風船人形が出てくる(今回は蒸気機関車にまたがるような形で登場、しかも曲に合わせて足踏みするという非常に凝った仕掛けでした)、「Let There Be Rock」では過去のアルバムジャケットが次々とスクリーンに映し出され昔からのファンは喜んでしまうし最後の「For Those About To Rock We Salute You」では6門の大砲がステージ後方に並んでドッカンドッカンと炸裂する・・・言葉だけで説明しても雰囲気が伝わるのかどうかわからないのですが、もうとにかく凄い凄いとしか言い様がなかったです。
コンサート終了後一緒に見ていた友人たちと京セラドーム大阪の近所のホルモン屋で余韻に浸りながら飲んで帰宅しました。京セラドーム大阪には昨年から阪神電車の駅が出来ましてそれが近鉄電車と相互乗り入れしているので帰宅が凄く楽になりました・・・がこの日は奈良まで戻ってきて電車を乗り過ごす羽目になってしまいました。確定申告でくたびれていたところにお酒が入ったからでしょうか。我ながら最後が締まらないですね。トホホ。
今回のAC/DCの来日は実に9年ぶりとなったのですが、前回の来日と今回の来日の間にかなり時間が空いてしまったのは彼らがレコード会社の移籍等様々なことを見直していたからだそうです。そのために有能な弁護士を雇ったのだそうですが、結果的にはこれが大成功となりました。2年前に発売された最新作「Black Ice/悪魔の氷」は全世界で1000万枚売れたそうです。このCDが売れない時代に凄いことだと思います。レコード会社はソニー傘下のエピック(マイケル・ジャクソンと一緒→結果として史上最も売れたアルバムと史上第二位の売り上げのアルバムが同じレコード会社から発売されることになった→これらのアルバムは今でもよく売れています。原価の回収はほとんど終わっているため売れただけ丸々利益になる、という訳です)になったのですが、この「Black Ice/悪魔の氷」がソニーの利益に貢献したことはソニーの四半期報告書(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/library/8ido18000000iv30-att/h20_q3.pdfの6ページ(pdfファイルでは10ページ)にもきちんと記載されています。
メンバーの平均年齢が60歳近いため今回で来日は最後、という話も出ていたのですが、今回のライブを見ている限りまだまだバリバリ現役でいけるんじゃないの?と思わざるを得ません。というかどこが60代なのだ、と言わざるを得ないです・・・。近い将来もう一度日本にやってくることを祈願したいです。(子供にも是非とも見せたいのですが、こういうのに興味示すかなあ・・・?)
雪の週末
今日は先日の日記で触れた滋賀県の実家にいます。明日この村の年次総会があるのですが(家だけでなく先祖代々から引き継いでいる山林等が残っています→所有する不動産の面積割で村の会費を払わないといけない)、時間が朝早いため前日から泊まることにしたという訳です。それと今回は後で出てくる写真をご覧になればわかるように昨日から雪が降っていまして当日京都から向かうと遅刻する危険性がある、ということもあります。(あと実家の近所にある顧問先の訪問の予定も入れました)実家に泊るのは昨年の8月にお盆の準備に来た時以来で約半年振りということになります。
見ての通り今日は一日雪でした。積雪量は10cm程度です。正直この程度だと雪が降ったとは言えないですね。今年の冬は村の方に聞いたところ最高60cm積もったとのことですが、その昔私がここに住んでいた頃は約1m積もったこともしばしばありましたから。その時は道が雪で埋まってしまって学校に行けませんでした。しかし学校は休校になっていなくて後で怒られました。正直何でやねん、と思ったものですが。
やはり最近は暖冬なのでしょうか、私がここに住んでいた頃のように物凄く雪が積もるということはあまりないような気がします。この冬60cm積もったというのは久々のことだと思います。5年ほど前に久々に約1m積もったとのことですが、この年の村の年次総会の時には雪が溶けて50cm程度になっていました。それでも非常に驚いたものです。今では京都でほんの5cm積もるだけで(それですら京都ではめったにないことなのですが)まともに動けなくなってしまうというのはかつてこんな場所に住んでいたのにある意味情けないなあ、と感じることもしばしばです。
実家は冬に雪が降ることの他の特徴としては日当たりが悪い(何せ「中山」ですから)こと、それも関係するのですが湿気がきつい、その一方夏の暑さが京都に比して非常にましである、ということが挙げられます。あと言うまでもありませんが空気がきれいなので夜空の星が美しいです。地蔵盆(8/23頃)には天の川を肉眼で見ることができます。そんな環境だったもので私が子供の頃は天体観測に非常に興味を持っていました。私は新婚旅行でオーストラリア(ケアンズ)に行ったのですが、実は「南十字星」を見たい、という子供の頃からの夢をかなえたかった、という理由もあったのです。もちろんバッチリ見てきましたよ。
ああそうそう、実家の村はご多分に洩れず最近は過疎化が進んでいるためか、動物がやたら出現します。その代表がサルです。
こいつらはしぐさは可愛い(普通結構凶暴なのですがこの村に出没するサルはあまり凶暴ではないような気がする)のですが畑に植えてあるものを取ったりするする厄介者なんです。
今日も写真のように民家の屋根の上によじ登って畑から強奪した白菜を食っていました。困ったものです。
次回は私の子供時代の話をしたいと思います。
私とお付き合いのある方にとっては意外に思われるお話もあるかもしれませんね。
1月は忙しい&一休善哉の日
いやはや本当に週末しか更新が出来ませんねえ。
税理士の仕事は実は1月も結構忙しいのです。というのも1月末(今年は1月31日が日曜日なので2月1日)は税務署に提出する「法定調書合計表」、及び各市町村に提出する「償却資産申告書」、「給与所得者の支払報告書」の提出期限となっていてこれら書類の作成という業務に追われていました。尤も電子申告の活用で以前のことを思えばかなり楽になっているはず・・・なのですが、あまりそういう実感がないですね。三連休に胃腸炎でダウンしたことも響いているのかもしれません。これらに加えて昨年から私の事務所で見ることになった顧問先で11月決算、1月申告期限という法人(法人税の申告期限は決算期の翌日から2ヶ月以内)がありましてその決算整理業務に追われていたということも忙しさに拍車をかけていたと思います。何とか完成したのですが、以前は決算整理だけ税理士に依頼していた上に前任の経理担当者が何と経理データの入っていたパソコンを持ってどこかに行ってしまった、というとんでもない状況で引き継いだため、本当に苦労しました・・・。
という訳で今週はちょっと余裕もありまして少しだけですがリラックスさせてもらいました。
話は変わりますが、先週末の日曜日、私の住んでいる京田辺市にある一休寺(あの「一休さん」が晩年住んでいた寺)にて「一休善哉の日」というイベントが開催されました。
諸説があるのですが、一説によると「善哉(ぜんざい)」の名付け親が一休さん(今更ですが「一休さん」というとテレビアニメのイメージが強いのですが、実在の人物ですので)とのことで、「今年1年の誓い」を絵馬にしたためてその後で善哉をいただく、というイベントです。今年で6回目とのことで私は最初からお手伝いしています。
今回は天候が悪く残念なことに来客数は500人を切ってしまいました。(昨年は650人以上)ただ受付の方によると常連の方はしっかり来ていただいてましたし新しい方もちらほらと来られていたとのこと。こういうイベントは正に「継続は力なり」だと思います。
今日はこのイベントの「反省会」がありました。一休寺にて精進料理を食してきました。(お酒も飲んでましたが・・・)結構あれこれと意見が出てさすがに6年目ともなるとノウハウもかなり蓄積されてきましたがまだまだ改善の余地もあるよなあ、と感じました。(→しっかり「反省会」もしてますので)
このイベント、毎年1月の最終日曜日に開催されます(気の早い話ですが来年は1月30日です)ので、興味のある方は是非お越し下さいませ。