気が付けば今年も12月になりました。早いものです。
今年の1月1日から開始したブログですが、終わってみれば本当にほとんど更新出来ませんでした・・・。
Twitter(http://twitter.com/manchanbuhibuhi→「まんちゃん」というのは妻が私を呼ぶ呼称、「ぶひぶひ」というのは私の体重のことです(苦笑))には結構頻繁に書いていたのですが、ブログに記事を書くとなるとあれこれ文章を考えないといけないのでつい億劫になってしまうんですよね。
という訳で今回はまたしても実家絡みの話(仕事関係でもありますが)です。
去る11月に実家の近所の顧問先で税務調査がありました。約5年振りでした。
私の事務所とは先代の頃からの長い付き合いで元々は私の家がその顧問先の得意先でした。まだ結論は出ていないのですが、変な所ばかり集中的に調べられたので正直参りました・・・。
調査が終了して社長と一緒に飲みに行ってきました。場所は彦根の繁華街である「袋町」という場所です。
・・・金曜の晩だというのに何この閑散とした有様は・・・。
祇園や北新地のようにいわゆる「レジャービル」が立ち並んでいるのですが、ビル全体まるごと明りがついていなくて(つまりテナントが入っていない)まるでゴーストタウンのような状態でした。
社長が馴染みにしているお店に入って(ここはにぎやかだった)あれこれと話をしていたのですが、その昔(少なくとも私が実家に住んでいた頃)は平日でも歩いていると歩行者と肩が当たるくらい物凄く賑わっていたのだとか。それが今やこの有様・・・。
考えてみたら当たり前かもしれません。
というのは、その昔彦根には錚々たる企業の工場がひしめきあっていました。住友セメント(現住友大阪セメント)、オーミケンシ、カネボウ・・・。
実は私の両親は住友セメントで勤務していてそこで知り合ったのですが、彦根工場は全国でもトップクラスの規模を誇っていました(’70年代TBS系でゴールデンタイムに放送されていた「野生の王国」という番組は住友グループがスポンサーでしたが、住友セメントのCMの最後ではこの彦根工場が大写しになっていました)・・・が高度経済成長期には花形産業だったセメント業界も衰退の道を歩み出しとうとう彦根工場も閉鎖されてしまいました。今はその跡地ではユニクロとヤマダ電機が店を構えています。この場所を見ているだけで絵に描いたような企業の栄枯盛衰の歴史がわかります。
オーミケンシも琵琶湖岸に巨大な工場を構えていました(太平洋戦争中はB-29の爆撃も受けている)が、繊維業界の衰退と共にここも閉鎖され、今は群馬県に本社があるベイシアグループの巨大ショッピングモールになっています。カネボウに関してはもう説明不要だと思います(巨額粉飾決算で解体されてしまいついでに監査を担当していた監査法人も消滅してしまいました)。
今もキリンビールやブリヂストンや大日本スクリーン(最近になってフジテックがやってきましたが)といった大企業の工場は健在ですが、先に挙げた企業に比べると小粒であることは否めないと思います。
とにかくこれが地方都市の惨状なのか、と愕然としました。少なくとも前回税務調査があった時今回と同じように袋町に飲みに連れて行ってもらった時と比べてもここまでひどくはなかったような。
更に歴史を遡れば江戸時代といえば彦根藩は徳川御三家の次、譜代大名筆頭という非常にステイタスの高い地位にあった(これは彦根が当時の交通の要所だったということも関係している)というのに、正にその頃から比べれば地獄の底に落ちるが如き成り下がり振りです。
まあ飲んでいる時はとりあえず調査も終了したという安堵感もあって楽しかったのですが、改めて思い出してみると本当にショックでした。何とかならないのか、と。
今の日本の閉塞感は正に地方の疲弊に象徴されると思います。
三大都市圏に住んでいる人たち(私も一応そうなのですが)には理解できないことなのかもしれません。
しかしこの閉塞感を打ち破るためには地方の復権が不可欠なのではないでしょうか。どうすればいいものか途方に暮れるばかりですが。