ライオンズクラブ退会

京青税卒業とほぼ同時期になるのですが、6月末をもって約7年間在籍していた綴喜ライオンズクラブを退会することとなりました。
ご存知の方も多いと思いますが、ライオンズクラブはロータリークラブと並ぶ国際的な奉仕団体です。
綴喜ライオンズクラブは文字通り綴喜郡のエリア(但し京田辺市、井手町のみ→何故か宇治田原町はエリア外、八幡市は八幡ライオンズクラブが分離してそちらのサービスエリアとなった)をサービスエリアとしています。
父が存命中長い間この綴喜ライオンズクラブに所属していまして(顧問先をゲットしたい、という意図もあったと思うのですが、在籍中顧問先になったのは1件だけでした・・・)、その縁で私も大学生時代に当時のクラブの大きな事業だったYE(Youth Exchange:交換留学生制度→世界中のライオンズクラブで相互に学生の交換留学を行うという事業)に参加させてもらいまして、6週間オランダに行ってきました。現地では大歓迎を受けて毎日とても楽しい日々を過ごしました。歓迎され過ぎて正直くたびれてしまったくらいでした。
またこのYE事業は自分が海外に行くだけではなく他の国からの留学生を受け入れる義務がありまして、私の家族ではマレーシアからやってきた高校生(当時マレーシアからやって来れるだけあって上流階級のご子息でしたが、物凄く聡明な男の子でした)を受け入れて3週間という短い期間でしたが楽しい国際交流活動を行ったりもしていました。
オランダに行った時もマレーシアからの留学生を受け入れた時も基本的に英語で会話していました。私は実はまともに英語を勉強していない(きちんと体系的には全然勉強できてません)のですが、当たって砕けろでやれば何とかなるものだな、と痛感した次第です。
父の病死後しばらくはライオンズクラブとは縁がありませんでした・・・が父の親交のあった皆さんがしきりに私にも入会を勧めていまして、私は結婚したら入会する、と言って勧誘をかわしていたのですが、平成17年に結婚することが決まり、そこで覚悟を決めて入会することとしました。
当初は楽しく参加していた(うちの事務所の顧問先の方もおられましたし)のですが、転機は計画委員長(年に何度かある「特別例会」の企画運営)を担当した時に訪れました。
私としては三役(会長、幹事、会計→クラブでは最も重要な役目)の指示に従ってイベントの段取りを進めていただけなのですが、これまでとは違う路線に古参の会員から猛反発を食らい、その批判の矢面に立たされたのでした。
酒の席とはいえ滅多に怒らない私が古参の会員相手に激怒してしまったくらいです(今でもあの会員だけは許せないです)。
この事業年度は例会に皆出席を果たしたのですが、この辺りからどうも居心地の悪さを感じるようになりました。
そして一昨年の事業年度に三役の一つである会計を担当することになった(まあ一応専門ですし)のですが、この時にある事件が勃発しました。
詳細はあまり言いたくないのですが、とにかくこの事件(会計に関することではないのですが)で私は責任を取ってクラブを退会せざるを得ない状態になりました。
昨年6月に一旦退会届を出したのですが、次の年度の会長が実は私のスポンサー(クラブに入会するにはスポンサー=推薦者が必要)でして、1年待ってくれないか、と言われたためとりあえず1年待ちました。
そしてこの6月で会長も任期が終わったためここで正式に退会した、という訳です。
いろいろな事件やいざこざは確かに退会の直接の理由かもしれないのですが、実は顧問先の社長や仲間の税理士で他のライオンズクラブに所属されている方から聞いている活動内容(あとロータリークラブの会員の方)とは雲泥の差だな、と痛感していたのも事実です。
今頃言っても仕方がないことかもしれませんが、不満に思っていたことはいろいろとありました。
とりあえず思いつくまま箇条書きしてみますが、まあ多分あの理事会ではこんなこと主張してみても「糠に釘」だったんじゃないかな、と思うのですが。
・何故例会をいつも夜に行うのか→今や他のほとんどのクラブは普段の例会は平日の昼間等に簡潔に行って年数回開催される「特別例会」を派手に盛り上げる、という形式になっていると聞いていますが、お金もないのに何で旧態依然、というかバブル時代的なやり方を続けているのか。(ついでに言うといくつかの行事が常に京青税の重要なイベントと見事に重なっていたりしました→何度か京青税に迷惑をかけたこともありました)
・「ライオネスクラブ」の存在→ライオンズクラブ会員及び物故会員の配偶者の会が綴喜ライオンズクラブには存在しています(規約上は現時点でも設置するのは構わないのだそうですが)。
これのおかげで実質的に男性しか入会できない。時代錯誤もいいところです。
私が会計を担当していた時のエリアの三役会議においても「いつまでライオネスクラブを存続させるのか」と指摘されていたのですが、当時の会長/幹事は無視していました。
ちなみに私の妻は自動的にライオネスクラブの会員になっていたのですが、会合には一度も行ってませんし夫婦同伴の例会にも一度も参加したことがありませんでした。
子供が出来て世話が大変ということもあったのですが、むしろ私が連れて行きたくなかったということが理由です。
・他の会員との年齢差→これは仕方がないことなのかもしれませんが、やはり居心地が悪かったのは否定できません。
仕事の話は出来ても時代感覚や趣味が合わないというのは決定的にマイナスです。まあこれは他の会合でも同じなのですが、他の会合ではあまり気にならないのはなぜでしょうか。
先述の通り古参会員とのいざこざもありましたが、こんなことも他の会合では今まで経験したことなかったのですが。
・例会のコンテンツのショボさ→特にクリスマス家族例会(子供や孫も参加可能)がそうだったのですが、今時あんな内容で子供や孫の世代が喜ぶのでしょうか?むしろやらない方がましではないか、と言いたくなるくらいでした。
先述の例会の開催形式にも関係してくるのですが、「特別例会」にアイデアを集中させて普段は質素にする、という具合にメリハリを付けるべきだと思います。
今までの慣例に乗っ取ってダラダラと毎年同じ内容を繰り返す、というのでは参加意欲も失せてくると思うのですが。
前回のブログでも書きましたが「頼まれたら断れない」性格の私だけに(苦笑)この手の会合も自分から辞めるということは滅多にないことだと思います。
そんな私が辞める決意をしたということはよっぽどなことのように見えるかもしれないのですが、あまりそんな気持ちでもなくて何かしら自分の中で何かが消え失せていったような感じがします。
まあよく考えてみたら昨年既に辞意を表明しているのでその時点でクラブに対する関心や情熱は醒めてしまっていた訳ですから。
いずれにせよ京青税も卒業したことですし、あれこれ考える時間ができたような気がします。
とりあえず対外的なことに時間を取られて自分がやりたいことを後回しにしていたので、今後しばらくはそれを消化することに専念したいと思います。

京青税卒業

私は平成14年に近畿青年税理士連盟京都支部(以下「京青税」:http://www.aozei.org/)という税理士の任意団体に入会しました。
この会は(京青税ホームページより→上部組織の「近畿青年税理士連盟」について)「近畿一円より集まった1,000名超の若手税理士の団体で、『納税者の権利を護り、租税制度の改善と税理士制度の発展』を願い、若き情熱を持って活動しています。豊かな人間性を育みながら会員同士の連帯を深め、スペシャリストとして、より納税者の信頼を得られる税理士になれるよう、『親睦と研鑚、税理士制度の研究』に努めています。」という団体(の京都支部)であります。
会員の種別として「正会員」「特別会員」があるのですが、正会員は原則として40歳を超えたら卒業することとなっていまして、この度6月に開催された定期総会をもって私も晴れて卒業(=特別会員に移行)することとなりました。
この京青税には亡き父も所属していて仲間の税理士の皆さんと和気藹々楽しく活動していました。
実はこの青税(全国組織:近畿青年税理士連盟には更に上部の組織として「全国青年税理士連盟」が存在します)は基本的には5科目の税理士試験に合格した人を対象としている組織なのですが、皆さんご存知のように公認会計士の資格で税理士登録をしているような私でも先輩諸氏は優しく受け入れて下さいました。
この懐の深さが京青税の最大の魅力ではないか、と思いました。その思いは活動を続けていく内に益々強くなっていきました。
これは余談ですが、実は私の父は税理士試験(必須科目、選択科目合計5科目合格する必要がある)は5科目合格すればいいところ最終年度で2科目合格して合計6科目合格していたりします。ところがどういう訳か6科目合格してしまうと合格証書がもらえないという決まりになっているそうで、私の父は税理士の合格証書を持っていませんでした(のですが当然税理士になる資格は付与される)。確かに私も父の合格証書は見たことがありませんし。
約10年間の京青税所属期間中私は様々な部会に所属していましたが、最初に所属したのが制度部でした。
制度部とは文字通り税理士制度に関する研究を行う部門で、青税の根幹をなす部と言っても過言ではありません。
税理士は税法や会計に関する法律等に関する勉強は仕事を遂行する上で当然必要になるので皆さん必死になって勉強する(努力義務規定ではありますが税理士には研修受講制度もあります→http://www.nichizeiren.or.jp/taxaccount/training.html参照)のですが、税理士という制度自体を規定する税理士法や国税に関する一般法である国税通則法といった法律は非常に重要なのに勉強する機会は意外なことにあまりないような気がします。
制度部ではこれら税理士制度に関する法規定や諸問題を勉強するのですが、青税に入っていなければ私は税理士制度に対して関心を持ったり問題意識を持ったりすることは決してなかったでしょう。
先述の通り青税は基本的に税理士試験合格者を対象としているため、私のように公認会計士の資格で税理士を登録するというのは青税的には「?」となってしまうのですが、公認会計士に限らず様々な「入口」が存在する税理士資格取得制度に関する問題点を意識するということは非常に勉強になったと思います。この問題に関しては様々な意見が存在すると思いますが、現時点で既に様々な道をたどって税理士の資格を取得している人がいる訳ですし、それぞれの立場で前向きに建設的な意見を出し合ってよりよい税理士制度の構築に邁進していくべきではないのでしょうか。
制度部でよく行われた勉強の形式に「公開勉強会」がありました。これは制度部員だけでなく京青税会員に限らず税理士なら誰もが参加可能(私も一度ですが京青税会員でない税理士が参加している時に参加したことがあります)で制度部員の研究発表の後ディスカッションを行う、というものです。
入会間もない頃は研究発表のレベルの高さやディスカッションでの白熱した議論に正直「何これ・・・」と戸惑い、怖ささえ感じていたものですが、時が経ち私も公開勉強会の講師を担当したり制度部例会では皆さんの前でマイクを持って話すようになりましたし、冊子の原稿も執筆するまでになりました。
この仕事をしていますと必然的に人前で話をしたり原稿を執筆したりする機会が多くなるのですが、その基礎的なノウハウを叩き込まれたように感じています。
10年間で制度部の他にも様々な部会に所属していましたが、トータルでは広報部のウエイトが一番大きかったのではないか、と思います。
過去の広報誌を見返してみますと結構ちょくちょくと原稿を執筆していたりしますし、何より正会員最終年度に最初で最後の部長を担当したのも広報部でした。
私は京青税以外の諸団体であれこれと役職を歴任しているのですが(単に頼まれたら断れないだけのような気もするのですが(苦笑))、単年度事業とはいえこの京青税の部長という職は最も大変なのでは、と想像していました・・・がやはり予想通りこの1年間は本当に大変でした。
部長就任後早速広報誌の編集に取り掛かったのですが、(昨年ここでも触れましたように)子供から「手足口病」を伝染されてしまいいきなり出鼻をくじかれたりもしました。しかし部員の皆さんやその他多くの皆さんのご協力により(多くの方々に原稿を依頼するのですが、断られたりしたらどうしよう、と不安になったりもしたのですがほとんど皆さん快く引き受けていただきました)何とか1年間走りきることが出来ました。
実はこの京青税では会員同士で結婚するという凄い縁もありました。
妻はほぼ私と同時期に京青税に入会したのですが、その頃は会えば普通に会話する、という程度の仲だったのですが・・・人生何があるかわかったもんじゃありません。
今では妻から子供と一緒に「ぶたおやじ!」と呼び捨てられる有様ですが・・・。
それも含めて京青税には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
京青税での多くの出会い、多くの経験、多くの体験が基本的にヘタレだった(今もそうですけど)私に自信を与えてくれて、私を大きく変えてくれたと確信しています。本当にありがとうございました。
これからは特別会員として一歩退いた場所から正会員のサポート役に回っていければ、と考えています。
何せここで妻と出会っているのですから、足を向けて寝られませんものね!