あれやらこれやら30周年(その4)

昨日の続きです。
バブルシステム版「グラディウス」は立ち上がるまでに時間がかかる、という話をしていましたが、気温が高いとさほど時間はかからないのですが気温が低いとかなり時間がかかる、と言われていました。
しかし具体的にどれくらい時間がかかるものなのか、以前からちょっと気になりましたので、実は昨年の9月からチンタラチンタラと計測してました。
その昔「週刊文春」にて連載されていた堀井憲一郎氏による「ホリイのずんずん調査」みたいな「どうでもいいようなこと、役に立たないようなことも、あえて大真面目に調べると意外といろいろな事実がわかる」ものか、と・・・。
電源を入れると「Presented by Konami」「Getting Ready ○○」という音声によるカウントダウンが流れ始めるのでそこから計測開始、無事デモ画面が出始めたら計測終了。
その結果が下記の通りです。

・・・興味のない人にとっては「だから何?」な内容ですが(苦笑)、マニアの皆さんには参考になることもあるんじゃないでしょうか?
単に計測していただけで私は電気系統の複雑な話は全く理解していませんし細かい理系的な話は全然できませんが、いくつか気づいたことがありますので箇条書きします。
・十分に暖まっていると音声によるカウントダウンなしでいきなり「モーニングミュージック」が流れますが、この起動最短時間は約1分40秒。
 またその気温(室温)は大体27℃以上ですが、27℃を超えていても一発起動しないこともあります。
・途中自宅に置いてあるテーブル筐体で計測していた時期がありましたが、冬場というのもあるのですがそれでも事務所2階で計測するより明らかに起動時間が遅くなりました。
 その原因としては電源の供給方法に違いがあった(簡単に言うと自宅テーブル筐体の方が貧弱)のでは、と推測しているのですが、そこらの具体的検討(貧弱な電源を事務所2階に持ち込んでみる等)はしていません。
・湿度も計測していたのですが、湿度は高い方が起動時間が早くなる・・・ような気もするのですがあまり確証が持てないです(∵自宅の湿度がはるかに高いのに起動時間が遅い→3/3~3/28の期間参照)。
・2月頃は業務多忙で計測できませんでした・・・。ただこの冬一番寒かったのは年末年始頃だったのでは、と思うので、2月に測定していても冬場にしては起動時間は早かったのでは、と思います。
という訳で、実は今日はアーケード版「グラディウス」が発売されてちょうど30周年という記念すべき日なんですよね。
この調査結果は私からのお祝い企画、ということです。
これからも「グラディウス」が多くの方に愛され続けていくことに期待して多分ブログ開設以来初めて熱心に延々と書き続けた投稿を終わりとさせていただきたいと思います。
もっと税務会計絡みのことをこれくらい熱心に書けよって?まあそれはまたの機会に・・・(苦笑)
っつうかこれまでのダラダラ超長文はこれの枕やったんかい、と言われそうですなw

あれやらこれやら30周年(その3)

アーケード版「グラディウス」には2つのバージョンがある、という話の続きです。
(かなりマニアックな話なので聞きたくない人は引き返して下さい(苦笑))

↑:「グラディウス」の基板(バブルシステム版)

↑:「グラディウス」の基板(ROM版)
アーケードゲームにはそれを動かすための「基板」(家庭用ゲーム機で言えば本体とゲームソフトが一緒になったようなもの→ゲームを入れ替えるにはこの基板ごと入れ替える必要がある)が必要なのですが、その基板にオリジナル版と改良版が存在するということです。
革命的内容だった「グラディウス」ですが、あれだけの表現を実現するためには当時としては破格の大容量データが必要でした。
お金をかければいくらでもハイスペックに出来るのですが、「商品」としては儲けてなんぼ、大赤字を出していては意味がありません。
そこで安価に大容量のデータを扱えるようにするため、「グラディウス」には「バブルシステム」と呼ばれる機能が採用されました。
ところがこの「バブルシステム」、確かに安価に大容量データを扱えるのですが、あまりにも壊れやすいことでも有名でした(私の事務所の顧問先の方で昔から電機関係の仕事をされている方がゲーム以外の分野で昭和60年頃に一瞬「バブルシステム」と同類のシステムが流行っていた、とおっしゃってました・・・がやはり脆弱性が問題になりすぐ廃れたとのことです→バブルシステムは「磁気バブルメモリ」を使用していましたが、日本では富士通が製造していましたので他分野でも使用されていたそうです)。
ところが「グラディウス」は特大ヒットになってしまい、メーカーのコナミにも故障で修理持ち込みが増加したため&数年後には技術の進歩で「バブルシステム」でなくても安価で大容量データが扱えるようになったので、2段重ねになっている基板の上半分を一般的なシステムに変更して壊れにくくなった改良版が出回るようになりました。
今日では便宜上バブルシステムを使った基板を「バブル版」、改良版を「ROM版」と呼んでいます。
バブル版の特徴は、電源を入れてからゲームが遊べるようになるまでに時間がかかる、ということです。信じられないかもしれませんが、本当に「暖機」、つまりプログラムを基板本体に転送するに当たってカセット内の「磁気バブルメモリ」を温めて一定の温度になると転送が始まって起動する、という仕組みになっているんですよ・・・。若い人にはそもそも「暖機」って何それ?でしょうね。
具体的な起動までの流れは、電源を入れると「Presented by KONAMI」「Getting Ready ○○」という音声が流れます。「○○」の部分は50から始まるカウントダウンで、冬場等気温が低い時はカウントが0まで行くと再び「Presented by KONAMI」「Getting Ready 50」という具合にカウントダウンが続きます。ようやく温まると、下記の画面が出てきます。

この画面が表示されている間にプログラムが転送されます。この時に流れるバロック調のBGMは「コナミ モーニングミュージック」(以下「モーニングミュージック」)と呼ばれています。
この画面を表示する際急遽BGMが必要になり没曲を引っ張り出してきたとのことですが、没曲にしては、というのも憚られる名曲だと思います。
実際「グラディウス」がゲームセンターで稼働していた頃この曲は開店直後でないと聞けなかった(だから「モーニングミュージック」なんですよ)ので、熱心なファンは開店と同時に「グラディウス」の筐体にラジカセ(←:これも若い世代の方にはわからないかも。ラジオとカセットデッキ(当時の録音/再生はカセットテープが主流でした)が一緒になった電気機器)片手に突撃してスピーカーから流れる「モーニングミュージック」を録音していたものでした。
ちなみにROM版でも「モーニングミュージック」は流れるのですが、読み込み速度が速いのであっという間に終わってしまいます。
じっくり聞きたいファンはバブル版が欲しいと思うのですが、正に文字通り泡のように壊れやすいんですよねえ・・・。
あとバブル版の特徴として、アーケードゲームではあまり使うことのない-12V電源が必要、ということも挙げられます。
普通アーケードゲームでは+5Vと+12V、たまに-5V電源が必要になるのですが、「グラディウス」はこれら3つに加えて-12Vが必要になるというわがままというか贅沢な仕様になっています。とにかく起動させるのも一苦労という訳です。
勿論ROM版では-12V電源は不要です。
時は流れて今も尚熱狂的ファンが多い「グラディウス」、やはりこだわるファンは本物の「グラディウス」の基板が欲しい、と思っているみたいで、最近ではネットオークション等で激しい争奪戦が繰り広げられるようになりました。
実はアーケード版「グラディウス」は家庭用ゲーム機向けにかなり再現度の高い移植版が発売はされている(初代プレイステーション/セガサターン/ウィンドウズ95/プレイステーション4→これはほぼ問題ないくらいの移植度だと思います)のですが、残念ながら細部に相違点があってマニアにはそれが認められないあるいは許せないんですよねえ。その気持ちはよくわかるのですが、いくら何でもその値段はないだろう・・・という落札価格が付いています。
特に壊れにくいけど出回っている数が少ないROM版は最近では軽トラックが買えてしまう値段になっていたりします・・・(facebookの記事ですが参考までに→https://www.facebook.com/cocktailcabinet/posts/647275572043995)。
更に最近では手に入れても壊れる可能性が高いバブル版の値段も6桁台に突入したりしています・・・おお、つい先程157,300円(←:「コナミ」の語呂合わせ)で落札されたよ・・・。
・・・ネタ話は明日になりますね。ここまで説明をしておかないとわからない内容かもしれませんし。
という訳でもう少し続きます。
続きを明日語れるというのは実はちょうどいいことなのかもしれませんね(って最初からそのつもりだったんだろ、とマニアからは突っ込まれそうだけど(苦笑)→何を言おうとしているかは明日わかります!)。

あれやらこれやら30周年(その2)

京都に引っ越して&今私が経営している事務所も早いもので30周年の節目を迎えた今年2015年、実はゲームの世界に置いても節目になる年なんじゃないか、と勝手に考えております。(ね、強引な話題転換でしょ?(苦笑))
というのも今年30周年を迎えるゲームが非常に多いんです。それも今でも熱狂的ファンの多い作品ばかり。
まず誰もが知っているであろう「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)は絶対に外せないと思います。任天堂のホームページ(http://www.nintendo.co.jp/mario30th/)でもこれからいろいろな企画が予定されているみたいです。
この他にも筐体ごと動くという力技で多くのゲーマーをねじ伏せた”体感ゲーム”「ハングオン」「スペースハリアー」(共にセガ)、カプコンが大化けするきっかけとなった「魔界村」(カプコンは「戦場の狼」も1985年でしたね)、当時は別格で絶頂期を迎えつつあったナムコからも「ドラゴンバスター」(個人的には「メトロクロス」「バラデューク」「スカイキッド」といったナムコの’85年作品もやり込みました→一般的な知名度は低いですが、どれも名作ですね)、家庭用機では「ボンバーマン」(ハドソン)が発売されたのもこの年でした。ああそうそう、元祖”クソゲー”「いっき」(サン電子:アーケード版→世間で「クソゲー」と認知され有名になったファミコン版は翌年発売)もこの年でしたね・・・。

しかし私にとって1985年はアーケード版「グラディウス」(コナミ)の年でした。このゲームは私の人生に大きな影響を与えた、いや私の人生を変えたと言っても過言ではないです。
何もかもあまりにも衝撃的でした。私の主観かもしれません(が多分当時を知る人はほぼ皆同じことを言うでしょう)が、それまでのゲームを全て過去のものにしてしまったゲームシステム、グラフィック、サウンド(あまり指摘されることがないのですが、個人的にはこのゲームで使われていた(以降のシリーズでも用いられる)点数や文字のフォントにも斬新さを感じました)に圧倒されてしまいました。
語り始めると本当にきりがないので割愛します(ネットを調べればこのゲームの凄さに関してはいくらでも出てきます)が、発売から30年経った今でも”神格化”と言っても過言ではないくらい熱狂的な支持を集めている理由として、恐ろしい程に奥が深い、ということが挙げられると思います。
「グラディウス」は全面クリアするとまた1面からスタートするのですが、その2周目以降は難易度が激的に上昇するという特徴があります。このゲームの大きな特徴として自機がパワーアップして強くなるということが挙げられるのですが、ミスをするとパワーアップは全て失われて丸裸になってしまうのに、2周目以降は敵の攻撃が容赦ないのであっという間にゲームオーバーになってしまうため、当初ハイスコアを狙うゲーマーは極力ノーミスで進めるようにしていました・・・がミスするともう手も足も出なくなるためそこで”捨てゲー”していました。
ところが九州出身の凄腕ゲーマーがどんな場所でミスしても復活できる凄いパターンを編み出して人気が再燃、次々と「1000万点プレイヤー」が誕生する程多くのゲーマーに愛されることとなったのです。私もかつて何度か1000万点に到達するまでやり込みました。
(↓:一応証拠写真です)

更には1周でどれだけ点数を稼ぐことができるか、というスコアアタックに関しても研究が重ねられました。普通にプレイすれば1周40~45万点で終わるのですが、上手い人なら今では1周57万点は叩き出すそうです。
復活パターンにしろスコアアタックにしろ「芸術的」としか言い様がない美しいパターンの魅力に憑り付かれたゲーマーは沢山いるのではないか、と思います(勿論私も)。
ちなみにこの九州出身のゲーマー氏、仲間数人と1億点を目指すという途方もない計画を実行、3日間かけて見事1億点を達成したのだそうです。
実はその昔私もこの方と親交があったのですが、十数年前突然亡くなられました・・・。
亡くなられる数か月前に飲み会でお会いしていまして、その時はテーブルが離れていたのですが、まあまたいつでもお話しできるだろうし、と挨拶するくらいで済ませていたのですが、まさかあれが今生の別れになろうとは・・・本当にショックでした。
そんな「グラディウス」、今年30周年を迎えるということに合わせたのか、今年の1月に最新鋭のゲーム機「プレイステーション4」の「アーケードアーカイブス」で配信という形で蘇りました
海外仕様等4つのバージョンが収録されているというこだわり様でオリジナルの再現度も非常に高いです。非常に細かい相違点がありますが、ほぼオリジナルと同じと言ってもいいでしょう。
この「4つのバージョン」ですが、日本版×2、D版(ヨーロッパ版)、E版(アメリカ版→ヨーロッパ版共々タイトルが「NEMESIS」と変えられている)でそれぞれ異なる部分が多いのですが、日本版が2つあるという点、実はこれも「グラディウス」が今なお”神格化”されている大きな理由に繋がっているのではないか、と思います・・・
・・・また長くなってしまいましたね。今回はこの辺で。
次回はこの「2つのバージョン」にまつわるお話とそれに関してチンタラチンタラ煮詰めてきたネタを公開します。
もう少しだけお付き合いくださいませ・・・。

あれやらこれやら30周年(その1)


(↑:1985年の私)

(事務所応接室に置いてあるイヤープレート。私にとって節目になる年のものを揃えています。1970年は私の生まれた年で、これは両親から貰いました)
今年2015年は私にとっては大きな節目の年の一つになりました。
というのは、私達が滋賀から京都に引っ越して、そして私の父がこの京田辺市(当時は「綴喜郡田辺町」でした)で会計事務所を開業してちょうど30年になるのです。
もうそんなになるのか、と思う一方まあそれだけ年月は経ってるんだよな、とも思います。1985年(昭和60年)4月に京都に引っ越したのですが、その当時私はまだ14歳だったんですから。
2つ年下の妹はちょうど中学1年生になるタイミングでいい塩梅で心機一転、という感じだったと思うのですが、私は中学3年生という非常に微妙な時期に転校ということになり、しかも滋賀県と京都府ではあまりにも学校のカリキュラムも雰囲気も違い過ぎた(まず生徒数が全然違う→滋賀県時代の中学校は1学年2クラスで約25人/クラスだったのに、転校先は1学年6クラスで35~40人/クラスに激増)ため、何が何だかわからない内に次から次へといろいろなことが押し寄せたように感じました。
とにかく高校受験に備えないといけないのですが、正直当時は滋賀県と京都府の公立学校のカリキュラムの格差があまりにもひどくて愕然とすることばかりでした。
何でみんなこんなに必死になって塾に通うんだ?という疑問はすぐに氷解しました。今でいう所の「学級崩壊」状態。あまりの授業のレベルの低さに呆れて結局私も授業まともに聞いてなかったです。
その一方体育祭や文化祭というイベントがあるとクラス全体が一枚板になって団結するという不思議な環境。
そんな中私は気が付けば自然とクラスメイトの輪の中に溶け込んでいたような気がしました。転校するなりいきなり修学旅行があってそこで多くの仲間と親しくなれたというのも大きかったのではないでしょうか。
そんな訳で地元で目立つ看板掲げて仕事しているということもあるのかもしれませんが、今でも付き合いが続いている、あるいは当時は知らなかったけど繋がりのある(たった1年でそんなにいろいろ知り合いは増えないですよ・・・)同級生が結構いたりします。中には顧問先の社長になっている&そこで働いている同級生もいます。
今から十数年前に一度京都の中学校での同窓会を開催したことがあるのですが、たった1年しか在籍していなかった私が何故か幹事に選ばれました・・・。
当日は100人を超える同窓生が集まり大賑わいになりました(私は精算等に追われて二次会に参加できなかった・・・)が、そんな意味でも上手く溶け込めていたんだな、と改めて思いました。
あと京都に出てきていろいろと驚いたことはあるのですが、一つだけ取り上げると夏の猛暑ですね・・・。
私が京都に引っ越した年は近年並みに猛烈な暑さでした。私の記憶では確か最高38.6℃まで上がったはずです。
それまで滋賀の山の中に住んでいた頃はどれだけ暑くても32℃くらいしか気温は上昇しなかった(さすがに最近は35℃くらいまで上がることもあるのですが)だけに、これには参りました・・・。
エアコンがないと生活できないとは大変な所に来たものだ(滋賀では扇風機だけで十分だった)、と痛感したものです。
・・・という訳でここまでは実は前振りだったりするんですけど(苦笑)、今回も長くなりそうなので&あまりにも強引に話題が変わるので(苦笑)、一旦ここで切ります。
次回をお楽しみに!

コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界(後編)



ゴールデンウィークの4/29~5/6に京都・山科のショッピングセンター「ラクト山科」にて開催された「コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界」というイベント、私は初日、4/30、5/1、5/3、そして最終日の5/6と5回も行ってしまいました。
というのも前回も書いたように30年以上も前の古い筐体を連日朝10時から夜の8時までぶっ続けで稼働させているだけに故障しないかどうかが心配でしたので。
たまたま京都市内に出る用事が続いたのでそのついでになるべく顔を出すようにしたという訳です・・・が幸いなことに結局大きなトラブルは起きませんでした。よく持ってくれたものだ、と感心するとともにホッとしました。
たまたま私が行った際「ハイパーオリンピック」のボタンが利かなくなっていた(記録を出すにはひたすらボタンを高速連打する必要があるので、現役で稼働していた頃は鉄製の定規で弾いて連打するのが流行った・・・のですがその結果ボタンもコンパネもボロボロになった)のですが、端子が外れていただけであっけなく直りました。それと最終日の終了1時間前に「ゼビウス」のプレイヤー2側のブラスター(地上攻撃用爆弾)ボタンが利かなくなったのですが、間もなく撤収なのでプレイヤー1のみ使用できるようにして乗り切りました。


それにしても連日大盛況でしたね・・・。
親子連れ、カップル、近所の小中学生らしき子供連れ、制服の高校生・・・昔だったら補導されるんとちゃうか、と言いたくなるのですが、何せ無料ですから・・・。
親世代が懐かしんで遊び方を子供に教えて子供ものめり込んでいるというのが微笑ましい光景でした。更には私の知人も遊びに来てくれた(&皆上手い!)のも嬉しかったです。
私は初日と最終日に子供を連れていったのですが、うちの子供は今ニンテンドーDSとWii Uで発売されている「大乱闘スマッシュブラザーズ」にゲストキャラとしてパックマンが登場している&たまたま最近CS(通信衛星)テレビのフジテレビONEでオンエアされている人気番組「ゲームセンターCX」に「クレイジークライマー」が出てきた(ファミコン版ですが)のですが、それらの本物が置いてあったのを見て興奮していました(ここだけの話ですが、実はパックマンは正規版ではなかったんですけどね・・・)。



最終日は午後5時で終了、しかしそこからが最後の一仕事。
ヒジヤンさんの住んでおられる新潟に10台の筐体を運ぶため再度基板とコンパネをばらして梱包する撤収作業です。
セットアップに5時間かかったので不安に思っていたのですが、撤収作業には新たに3人助っ人が来ていただきまして結局閉店時間ぴったりくらいの3時間で終わらせることが出来ました。
作業終了後ヒジヤンさんが食べたことがない、とのことで天下一品総本店に手伝って下さった皆さんで行って軽く打ち上げしました。
手伝って下さった皆さん以外にも多くの皆さんと会場でお話することが出来た(初めてお会いする方ばかりでしたが)のですが、非常に熱心なアーケードゲームファンばかりでした。今も尚これだけ熱い人が沢山いるんだなあ、と感心する一方、あまりにも強烈過ぎるマニアックさ&底知れぬコレクター魂を見せつけられて私なんてまだまだ大したことないよな、と痛感しました。いや本当に私なんてにわかマニアに毛の生えた程度ですから・・・。
ヒジヤンさんは休む間もなく先日の土曜日(5/9)に新潟にて別のイベントを開催されていました。
何でも全てパチモンゲーム(その昔横行した権利関係無視のコピーゲーム→例:「ドンキーコング」「パックマン」「ギャラガ」・・・でなくて「クレイジーコング」「ザ・ハングリーマン」「ギャラッグ」(苦笑))というそれ大丈夫なの・・・?という企画で、ゲリラ的に土曜日だけ開催だったそうですが。
それはともかく、今レトロゲームが脚光を浴びているのは間違いないどころか時代の中心に来るんじゃないか、と思えるくらい盛り上がって来ていると思います。
東京ではレトロアーケードゲームメインの品揃え+斬新なイベント企画で注目を集めているゲームセンター「高田馬場ミカド」が世界中から集客して連日大盛況ですし、秋葉原にもレトロアーケードゲームを売りにしているゲームセンターがいくつもあります。
残念ながらこういった動きは今の所首都圏メインになってしまっているのですが、今回のイベントは京都で大成功を収めました。
これを機に全国にこのムーブメントが拡散していくことを期待したいと思いますし、私も微力ながら更に努力していきたいと考えています。

コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界(前編)

皆さん今年のゴールデンウィークは如何過ごされたでしょうか?
私の事務所は基本的に暦通りで5/2~5/6は5連休でした。
さすがにこれは長過ぎると思ったので少しだけ仕事もしていました(平日だとやりにくいことをしていました)が、十分に休日を楽しめたのでは、と思います。
年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休みとちょうど約4か月毎に一息つけるのは実はちょうどいいんじゃないか、と思います・・・が今年は9月にも5連休(いわゆる「シルバーウィーク」ですね)があったりするのですが。ちょっとバランス崩れそうですね。
そんな訳で今回のゴールデンウィークは泊りがけでは出かけずに日帰りでちょこちょこと近場に出歩いてばかりでしたが、その中でもメインイベント的だったのが、京都・山科のショッピングセンター「ラクト山科」にて開催されたイベント「コレクターズ玩具&アーケードゲームの世界」への参加だったのでは、と思います。
このイベントに私は単に遊びに行くだけでなく実はボランティアのスタッフ的役割でも参加しました。
タイトルでわかるように、このイベントは昔懐かしのおもちゃ等の展示即売会及びレトロアーケードゲームを無料で楽しんでもらう、という企画です。
間違いなく目玉となるのはレトロアーケードゲームだったと思うのですが、これに関しては今回のイベント企画会社から私も所属している「全日本テーブル筐体愛好会」なる団体にオファーがあったことから始まっています。
この団体、新潟在住の”ヒジヤン”さんという方が主宰されていて、文字通り昔ゲームセンターに置いてあったテーブル筐体や駄菓子屋等に置いてあったアップライト型筐体を今の時代に甦らせて楽しもう&当時を知らない若い世代の人にその面白さを伝えていこう、という趣旨で活動を行っています。
この趣旨に賛同されて入会された会員は約30名。文字通り全国都度浦々におられます。
これまでに新潟では何度もレトロアーケードゲーム筐体の無料開放イベントを開催されてその都度多くの来客を集めてこられたのですが、今回遂に新潟を飛び出して京都で、しかも8日間という長期間にわたって開催されることになったのです。
私は以前からヒジヤンさんのブログ(「テーブル筐体な日々」(http://bz504178zb.blog.fc2.com/))を見ていて、前回ここで取り上げた「応接室ゲーセン」の構築に当たっても大いに参考にさせていただいていたのですが、「全日本テーブル筐体愛好会」のFacebookページが出来たのがきっかけで知り合うことになりました。
今回のイベント、ただでさえ扱うのが30年以上も前のアーケードゲームだというのにイベント開催期間中8日間朝から晩までぶっ続けで稼働させるので、故障する可能性が非常に高いのですが、新潟在住のヒジヤンさんはイベント開催期間中山科に張り付いている訳にはいきません・・・そこでそれなりにこれらのメンテナンスが出来る私が緊急時対応係として手を挙げた、という次第です。ある意味ヒジヤンさんに恩返しが出来たら、という気持ちもありました。
そんな訳でイベント前に一度直接お会いしておきたい&打合せもしておきたい、と考えて確定申告業務終了後の臨時休業期間中に新潟まで行ってきました。
その時の模様はこちらに細かく書かれています。実はこの時点ではイベント会社からはイベントの開催予定日以外ほとんど何も連絡はなくて打合せしようにも何もできなかったのですが、現地の会員とも知り合えて大いに交流を深めることが出来ました。

いよいよイベントの前日になって遠路はるばるヒジヤンさん所有の筐体×10台が会場に運ばれてきました。ちなみにヒジヤンさんはこんなゲームの筐体を約70台も所有されているのだとか・・・!


ヒジヤンさん及びイベント会社のスタッフと合流してセットアップ作業を開始しました。運送中の衝撃による故障を防ぐため筐体と中に入れるゲーム基板、及びコンパネ(コントロールパネル→ゲームを操作するレバーやボタンの部分)がバラバラに梱包されているので、これらをちゃんと動かせるように組み立てると共に、ゲーム内容を紹介したり注意書きを記載したポップ類のセットアップ、各ゲームのレイアウトをどうするか、電気の配線をどうするか(コードに躓いて抜けたりしないように)etc…次々としないといけない準備作業が出てきて結局5時間かかってしまいました・・・が全10台無事動作確認完了、翌日からのイベントに向けて準備万全となりました。
ちなみに今回セットアップしたゲームは「スペースインベーダー」(1978:タイトー)「クレイジークライマー」(1980:日本物産)「ドンキーコング」(1981:任天堂)「パックマン」(1981:ナムコ)「ゼビウス」(1983:ナムコ)「ハイパーオリンピック」(1983:コナミ)「アルカノイド」(1986:タイトー)「ファイナルファイト」(1989:カプコン)「スーパーストリートファイター2」(1993:カプコン)「バーチャファイター2」(1994:セガ)。正直寸分の隙もないラインナップだと思いました。

作業終了後ヒジヤンさんにはわざわざ京田辺のうちの事務所の2階に来ていただいて近所で翌日以降のイベントの成功を誓って飲みに行きました。
この日の模様もこちらにとても細かく書いていただきました。
今回は結構長くなりそうなので(いつもそうだって?(苦笑))、一旦ここで切ります。
後編をお楽しみに!