今年を振り返って

早いもので今年もあと数時間で終わろうとしています。
この1年を振り返ってみますと・・・まずここの更新は例年より多かったのではないか、と思いました(苦笑)
あれこれイベントがあったというのもありますが、それも含め今年は公私共に非常に充実していた1年だったのではないか、と思います。
今までやったことがないこともあれこれ経験しましたが、何とか上手くやり遂げられたのではないか、と思っています。
幸いケガや病気になることもなく(台湾でバスから転げ落ちたくらいですね・・・(苦笑))順調に過ごせたこともありがたかったですね。
そんな1年を振り返るにはどうすればいいのか、と思ったのですが、現在私はスマートフォンで撮影した写真が自動的にネット上のサーバーにアップされる「iCloud」というサービスを利用しまして、これを振り返るだけでも色々なことを思い出しました。先日ここで触れた台湾旅行を始めとして例年と比べてあちこちに行く機会が多かったと思います。

という訳で今年で一番印象的だったことは何か、と言いますと、意外かもしれませんが実は10月初旬に実家の町にて開催された「とりいもと宿場まつり」にてレトロアーケードゲームのイベントを開催して大成功した・・・ことも確かに印象深かったのですが、その際京田辺から彦根までアーケードゲーム筐体を運ぶのに生まれて初めて2tトラックを運転したことかなあ、と。
これだって先述の「今までやったことがないこと」ですからねえ。
カーナビが付いていなかったのでレンタカー屋さんを出発していきなり道幅の狭い住宅街で迷子になった際はどうなることか、と思いましたもんマジで。
何じゃそのオチは!?と思われた方も多いかもしれませんが、まあもうすぐ今年も終わりということでこの辺りでお開きにさせていただきたいと思います。
今年1年間皆様には本当にお世話になりました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
では良いお年を。

Childhood’s End(Part 3)

私の幼少時代を振り返る内容、今年中に完結したかったのですが、もう少し書きたいことがあるので完結は来年廻しになりました。
私の子供が9歳になって色々なことをするようになってきました。
しかし今時の小学生はちょっと忙し過ぎるのではないか、と言いたくなるくらいですね。
うちの子供は近所の公立の小学校に通っていますが、ちょっと前までのいわゆる「ゆとり教育」の反動か、かなり授業のスケジュールがタイトになっているのに加え宿題だけでなく自主学習(やるやらないは生徒の自由ですがかなりプレッシャーかけられる)もしないといけません。
放課後も週二回のそろばん教室、ピアノとバイオリンのレッスン、塾とまではいかないのですが週1回学習教室に通って土曜日は近所の軟式野球チームで練習(これは自分からやりたいと希望した)しています。あとスポットでテニス教室や水泳教室にも行ってます。
夜になるとバタンキューですぐ寝てしまうのも納得です。
・・・私が9歳の頃とは全然違いますね。
上記の中で私がしていたのはそろばん教室とスポットの水泳教室(いつまで経っても泳げないのにシビレを切らした親が無理矢理通わせた→近所の公営プールで開催されている水泳マラソン(1回上限1000メートルで2年以内に42.195km泳げば完泳になって表彰してもらえる制度)を2回完泳している今となっては信じられないことですが)だけでした。他には特に課外活動はしていなかったと記憶しています。
前からここでお話しているように当時住んでいた場所は本当に田舎だったのですが、その気になれば同じくらいのことは出来たかもしれません。実際妹はピアノ習ってましたし(私も習っておけば、と今非常に後悔しているのですが→今からスタートしても大丈夫?)。
当時はまだ家庭用ビデオゲームもありませんでしたし、ではその有り余った時間に私は何をしていたのか?実は本ばかり読んでいました。
あとプラモデルを作ったりもしていたかもしれませんが、小学3年生ですしまだ可愛らしいものしか作ってなかったのでは、と思います。
とにかく本を読むのが大好きだった。自身も読書が好きだった父親(税理士試験大詰めの時期であまり構ってもらえなかったのですが→私が小学4年生の時に5科目合格(正確には6科目受かってしまった→その結果法律の定めで合格証書を貰えなかったという事件があったのですが))は特に読書を勧めてくれていたと記憶しています。確か「(おもちゃはダメでも)本ならなんぼでも買ってやる」と言ってましたっけ。
で、それ以外のことにはほとんど興味がなかったんですよ実は。
話にならないくらい運動神経がなくて外で遊ぶのもあまり好きでなかったし他に何かやりたいことがなかったんです。
これも今となっては信じられないことですが、私はパッと見おとなしいいい子の様に見えるのですが、実際は何をどうすればいいのかわからない、ビジョンも何もない、だから何もしたくない、ただそれだけだったんですよね。
小学校の卒業文集に将来何になりたいかを書く欄があって既にその時税理士になりたい、と記載したことを覚えているのですが、それも単に父親が合格して間もない時期でそれが何なのか全く理解もせず単純に親の跡を継げたらな、と漠然と思っていただけだったりします。
今思えばそれで大正解だったと確信を持って言えるのですが。
そんな訳であまり我が家には私が読みたくなるような本が置いてなかったので必然的に学校や市立図書館に通ってあれこれ本を読み漁ることになりました。図書館に通うのはとても楽しかったですね。
それだけじゃ飽き足らず友達の家や親戚の家にうちに置いていない本があれば(正直厚かましいのですが)それを本棚から引っ張り出して読んだりもしていました。
母方の親元に遊びに行った際外に遊びに行こうともせず置いてあった百科事典ばかりむさぼるように読んでいたら叔父にひどく怒られたことがありました。しかし何でそんなことで怒られないといけないのだ、と不快に思ったりもしたものです。
今だったら逆にそんな言い方はないだろう、と言い返してたと思いますが、この頃は超弱気で何も言い返せませんでした。
叔父としては子供は外で遊ぶもの、という固定観念があったのかもしれません。あの時代なら猶更そうでしょう。
でも私はそういう考え方は納得がいかなかったです。何をしようが勝手じゃないか、指図なんかしないでくれ・・・しかし誰もそれを理解してくれる人がいなくて寂しい思いをしていました。
あと小学生時代はかなり病弱、というかすぐ風邪をひいていたように記憶しています。
これも今思えば考えられないことです(ここ数年風邪ひいていないような気がする&風邪ひいても休んでいられないので基本気合で1日で治すように心がけています)が、やはり「病は気から」と言うようにとにかく何事に関してもやる気がない、外に出て何かしたいと思わないという性格からそうなってしまっていたのでは、と思います。
その点私の子供は度々皆勤賞を取ってくるのは偉いな、と思います。
基本的に多忙な日々ですがそれらを楽しんでいるみたいなので。ここらは当時の私とは全然違うような気がします。
そんな訳で今のうちの子供と同じ年の頃の私は日々悶々としていました。
この頃に数年後に登場する初代ファミコンのような家庭用ゲーム(既に存在していたかもしれませんが、田舎で所得もさほどない家庭ではそんなものは高嶺の花でした)なんぞが存在していたらどうなっていたことか、と思いますが、それも含め私の周りの環境が劇的に変わっていく(というか変わりすぎてしまう)のはその数年後のことになります・・・。
続きはまた来年。

台湾に行ってきました




去る11月3日から11月5日まで台湾に旅行に行ってきました。
毎年恒例、近畿税理士会宇治支部の懇親旅行ですが、今回初めての試みとして海外旅行になりました。
平日を含む3日間、果たしてどれだけの人数が参加するのかが気になりましたが、蓋を開けてみれば予想以上の28名の参加、しかも女性会員も3名来られるという盛況ぶりでした。
私はこれまであまり海外には行ったことがありません。
大学時代が初めてでしたが、いきなりオランダ(滞在中にベルギーにも足を運びました)に6週間のショートステイでした(当時父が入っていたライオンズクラブの交換留学制度→その年の年末にうちもマレーシアからやってきた高校生と3週間一緒に過ごしました)。
ソビエト連邦崩壊の正に直前の時期でして、今はロシアの上を飛んでいけば案外ヨーロッパは近いのですが、当時はそんな航路は使えず香港から東南アジア~インド~イラン~トルコ上空からドイツのフランクフルトに着いてそこで乗り換えてようやくオランダに到着、延々15時間のフライトでしかも飛行機も生まれて初めてでエンジンの音がうるさくて15時間ほとんど寝られなかったことを記憶しています(今は速攻寝られますが)。
6週間のオランダでの生活は非常に楽しかったです・・・がホストファミリーの皆さんの歓迎ぶりがあまりにも凄くてくたびれてしまったことを覚えています。
オランダ/ベルギー以外では今回を除いて5回海外に行ってますが、その内4回が韓国だったりするんですよねえ。しかもソウルばかり。
初めて韓国に行った際は地元の人に案内してもらって非常に食事の美味い店に連れて行ってもらったのですが、悲しいことに行く度に食事が美味くなくなっていったような・・・。
2回目に韓国に行った際帰路の飛行機の隣席に座っていたのが実は私の妻だったりするのですが、当時は全く縁もなく普通に話する程度の間柄だったのですが・・・何がどうなるかわからないものですね(確か結婚する2年前だったかな?)。
3回目は顧問先の社員旅行に付いて行ってカジノで大勝ちした・・・のはいいのですが、帰国後すぐに名神高速で46km/hオーバーで覆面パトに捕まってしまい儲かったお金はほとんど罰金と講習代で消えてしまいました。泡銭は身に付かないんですよね。
韓国以外の残りの1回はオーストラリアへの新婚旅行でした。
私とは違い妻は独身時代海外旅行に行き倒してまして、私のリクエストはイタリアだったのですが「行ったことあるし」とのことであっさり却下、しかしあれだけ海外に行きまくってるというのに妻はこれまで南半球に行ったことがない、とのことで&私の子供の頃からの夢だった「南十字星」を見たい、という願いをかなえるためオーストラリアのケアンズに行き先が決定しました。これは非常に素晴らしかったです。南十字星もばっちり見れました。

そんな訳でオーストラリアの後5年前4回目の韓国に行って以来の海外が台湾でした。
色々と楽しかったのですが、観光地としては素晴らしいとはあまり思えなかったような気がします。
というのも実は非常に日本人にとっては居心地がいい、というか日本にある店が普通にあったりするんですよね。ファミリーマートとセブンイレブンは普通に至る所にありますし、くら寿司、ロイヤルホスト、ラーメンの一風堂、更には日本の普通の和食定食等が食べられる○○食堂(「○○」にはその場所の名前が入る→フジオフードシステムが展開する「まいどおおきに食堂」)までありました。
日本語は全然普通に通じますし、何というか海外に来てるという感覚があまりしなかったです。韓国の方がむしろ癖があるような気がします。
妻の初めての海外旅行は台湾だったそうですが、確かに日本人が初めて海外に行くなら台湾がベストじゃないかな、と思いました。


一通り台北の観光地には行ってきましたが、個人的にはあまりピンと来なかったです。
それと2日目に移動のバスから降りる際寝ぼけていてバスの中の階段からズッこけてしまい腰を強打するというトホホなことをやらかしてしまいました・・・。
今はもう大丈夫ですが、帰国後1週間程腰が痛くて痛くて堪らなかったです。
ただ観光地で「九フン(機種依存文字なので出ません→ニンベンに「分」)」は素晴らしかったと思います。あいにくの大雨でしたが、それがまた雰囲気があって良かったですね。滞在時間が短かったのが残念でした。
何でも雰囲気が似ているとのことで宮崎駿氏の日本映画最大のヒット作「千と千尋の神隠し」の元ネタでは、と言われたそうですが、宮崎氏本人が明確に否定したそうです。
確かに似てるといえば似てるような気はしましたが・・・どうなんでしょうか?

さて旅行の楽しみと言えばグルメです。
妻から台湾の食事は美味しい、と聞いていたのですが・・・場所が悪かっただけかもしれませんが、実は食事はイマイチだったような気がします。
というかそりゃねーだろ、と言いたくなるようなのもちらほらと。
というのも、屋台街に行ったのですが、そこで物凄くでかいソーセージを売っていてこれは美味そうと思って買ってみたらでかいのを1本そのままかと思ってたらその場で一部カットして更に細かくスライスして袋に入れて渡されました・・・拍子抜けしたのですが、それだけでなく、何故かほのかに甘い・・・。
普通この手の物はコショウがピリッと効いてる物ですが、甘いって何それ・・・?
気を取り直して別の店を見ると今度はまた超でかいフライドチキンを売っていました。美味そうなので即ゲットして噛り付くと・・・何でやねん、また甘い!!!
更にホテルの近くにマクドナルドがあったのでそこで日本でいうところの「バリューセット」を頼んで早速食べると・・・ハンバーガーのバンズが甘い!!!
妻は甘い物が好きなので台湾の料理は美味い、と言ってたとでも解釈しないと理解できなかったですね。

あと非常に参ったのがトイレですね。
ウォシュレットみたいな便利なものがある訳もないのは当然ですが、何が困ったって台湾では使用したトイレットペーパーを便器に捨てるのでなく隣に置いてあるゴミ箱に捨てるんですよ。
何でも下水管が細くてトイレットペーパーを流したりしたらすぐ詰まるのだとか。
「郷に入らば郷に従え」とは言いますが、これは何とかして欲しいものですね。
そんな訳でかなり目まぐるしい台湾行脚でしたが、あっという間に楽しい時間は過ぎていきました。
今回これだけ大盛況だっただけに来年以降企画する方はさぞかし大変かと思いますが、更に楽しい企画を考えて欲しいですね。
期待しております。