15年

今日で「阪神大震災」から丸15年。もうそんなになるんですね。
この阪神大震災があった平成7年は私にとっても非常に印象深い年でした。正に「ターニングポイント」と言うべき年でした。
阪神大震災の時私は会計士試験の浪人中でした。その日も「早朝答練」(私は会計士の受験のため専門学校に通っていたのですが、そこでは毎日朝の7時半から計算問題のテストがありました。頭の冴えている内に計算問題を解きましょう、という趣旨です)のため6時ちょうど発の電車に乗るべく慌ただしく朝食を取ってさあ出かけるぞ、という時にこれまで経験したことのない猛烈な揺れがやってきたのです。(私の住んでいる所は京都の南部で地震の被害は大したことはありませんでしたが、震度は4~5程度だったと記憶しています)駅に行ってみたのですが全て電車はストップしていて混乱していました。仕方がないので家に戻ってテレビをつけてみると神戸だけ震度が出ていなくてしかも神戸に近づく程震度は上昇していました。それが何を意味するのかは数時間後にわかったのですが。
専門学校は3日間お休み(噂話ですが、私の通っていた専門学校の近くに別のライバル校があったのですが、当時そこの東京校の講師が「地震なんかで勉強休んでいてはいけませんよ」という趣旨の発言をしていたそうです。全くもって無神経な発言だと思いました。尤もその専門学校は今はなくなってしまったのですが)になり私は何とか通学も再開したのですが、一緒に勉強していた神戸方面の知人の中にはショックで通学出来なくなってしまった人もいました。(彼はこの年無事合格しましたが)
この年の3月には地下鉄サリン事件も起こり世間一般的にも非常に衝撃的な出来事が続いた一年だったと思いますが、私個人としては3回目の受験でようやく会計士二次試験に合格出来た年としても記憶される年でした。しかし税理士をしていた私の父が9月に食道ガンを患っていたことが発覚、10月初旬の合格発表の1週間後に手術をすることになった年でもありました。父は病床にて非常によろこんでいたのですが、私としては正直苦労して二次試験に合格したのに喜びは完全に打ち消されてしまいました。専門学校が主催する合格者祝賀会に参加したのですが、喜びを爆発させていた他の合格者の輪に入る気持ちになれず途中で早退したくらいです。おまけにこの年は前年に引き続き会計士試験合格者の就職難という問題が発生しまして(昨今は合格者数が私の頃とは比べ物にならない程増加しているため結構大きなニュースとして取り上げられるようになりましたが私の頃は全然話題になりませんでした)ただでさえ就職先がないというのに父の手術後に病院で母と12時間交代で付いていないといけなかったためほとんど就職活動に動けないという状況に追い込まれてしまいました。当然私は無職です。しかし遊んでいても仕方がないので11月から私の父の事務所を手伝うことにしたのです。当時としては苦渋の決断でしたが、今思えばこの4年半後に父が急死するとは露にも思っていませんでしたのでこれで良かったのかもしれません。
思いもよらず昔話を披露することになってしまいましたが、「プロフィール」を補足する上では案外有用な話かな、と思いました(何で事務所の開業が昭和60年なのかな?という疑問は解けたと思います)のでこの続きの話をまたの機会にさせてもらいたいと思います。

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