京青税卒業

私は平成14年に近畿青年税理士連盟京都支部(以下「京青税」:http://www.aozei.org/)という税理士の任意団体に入会しました。
この会は(京青税ホームページより→上部組織の「近畿青年税理士連盟」について)「近畿一円より集まった1,000名超の若手税理士の団体で、『納税者の権利を護り、租税制度の改善と税理士制度の発展』を願い、若き情熱を持って活動しています。豊かな人間性を育みながら会員同士の連帯を深め、スペシャリストとして、より納税者の信頼を得られる税理士になれるよう、『親睦と研鑚、税理士制度の研究』に努めています。」という団体(の京都支部)であります。
会員の種別として「正会員」「特別会員」があるのですが、正会員は原則として40歳を超えたら卒業することとなっていまして、この度6月に開催された定期総会をもって私も晴れて卒業(=特別会員に移行)することとなりました。
この京青税には亡き父も所属していて仲間の税理士の皆さんと和気藹々楽しく活動していました。
実はこの青税(全国組織:近畿青年税理士連盟には更に上部の組織として「全国青年税理士連盟」が存在します)は基本的には5科目の税理士試験に合格した人を対象としている組織なのですが、皆さんご存知のように公認会計士の資格で税理士登録をしているような私でも先輩諸氏は優しく受け入れて下さいました。
この懐の深さが京青税の最大の魅力ではないか、と思いました。その思いは活動を続けていく内に益々強くなっていきました。
これは余談ですが、実は私の父は税理士試験(必須科目、選択科目合計5科目合格する必要がある)は5科目合格すればいいところ最終年度で2科目合格して合計6科目合格していたりします。ところがどういう訳か6科目合格してしまうと合格証書がもらえないという決まりになっているそうで、私の父は税理士の合格証書を持っていませんでした(のですが当然税理士になる資格は付与される)。確かに私も父の合格証書は見たことがありませんし。
約10年間の京青税所属期間中私は様々な部会に所属していましたが、最初に所属したのが制度部でした。
制度部とは文字通り税理士制度に関する研究を行う部門で、青税の根幹をなす部と言っても過言ではありません。
税理士は税法や会計に関する法律等に関する勉強は仕事を遂行する上で当然必要になるので皆さん必死になって勉強する(努力義務規定ではありますが税理士には研修受講制度もあります→http://www.nichizeiren.or.jp/taxaccount/training.html参照)のですが、税理士という制度自体を規定する税理士法や国税に関する一般法である国税通則法といった法律は非常に重要なのに勉強する機会は意外なことにあまりないような気がします。
制度部ではこれら税理士制度に関する法規定や諸問題を勉強するのですが、青税に入っていなければ私は税理士制度に対して関心を持ったり問題意識を持ったりすることは決してなかったでしょう。
先述の通り青税は基本的に税理士試験合格者を対象としているため、私のように公認会計士の資格で税理士を登録するというのは青税的には「?」となってしまうのですが、公認会計士に限らず様々な「入口」が存在する税理士資格取得制度に関する問題点を意識するということは非常に勉強になったと思います。この問題に関しては様々な意見が存在すると思いますが、現時点で既に様々な道をたどって税理士の資格を取得している人がいる訳ですし、それぞれの立場で前向きに建設的な意見を出し合ってよりよい税理士制度の構築に邁進していくべきではないのでしょうか。
制度部でよく行われた勉強の形式に「公開勉強会」がありました。これは制度部員だけでなく京青税会員に限らず税理士なら誰もが参加可能(私も一度ですが京青税会員でない税理士が参加している時に参加したことがあります)で制度部員の研究発表の後ディスカッションを行う、というものです。
入会間もない頃は研究発表のレベルの高さやディスカッションでの白熱した議論に正直「何これ・・・」と戸惑い、怖ささえ感じていたものですが、時が経ち私も公開勉強会の講師を担当したり制度部例会では皆さんの前でマイクを持って話すようになりましたし、冊子の原稿も執筆するまでになりました。
この仕事をしていますと必然的に人前で話をしたり原稿を執筆したりする機会が多くなるのですが、その基礎的なノウハウを叩き込まれたように感じています。
10年間で制度部の他にも様々な部会に所属していましたが、トータルでは広報部のウエイトが一番大きかったのではないか、と思います。
過去の広報誌を見返してみますと結構ちょくちょくと原稿を執筆していたりしますし、何より正会員最終年度に最初で最後の部長を担当したのも広報部でした。
私は京青税以外の諸団体であれこれと役職を歴任しているのですが(単に頼まれたら断れないだけのような気もするのですが(苦笑))、単年度事業とはいえこの京青税の部長という職は最も大変なのでは、と想像していました・・・がやはり予想通りこの1年間は本当に大変でした。
部長就任後早速広報誌の編集に取り掛かったのですが、(昨年ここでも触れましたように)子供から「手足口病」を伝染されてしまいいきなり出鼻をくじかれたりもしました。しかし部員の皆さんやその他多くの皆さんのご協力により(多くの方々に原稿を依頼するのですが、断られたりしたらどうしよう、と不安になったりもしたのですがほとんど皆さん快く引き受けていただきました)何とか1年間走りきることが出来ました。
実はこの京青税では会員同士で結婚するという凄い縁もありました。
妻はほぼ私と同時期に京青税に入会したのですが、その頃は会えば普通に会話する、という程度の仲だったのですが・・・人生何があるかわかったもんじゃありません。
今では妻から子供と一緒に「ぶたおやじ!」と呼び捨てられる有様ですが・・・。
それも含めて京青税には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
京青税での多くの出会い、多くの経験、多くの体験が基本的にヘタレだった(今もそうですけど)私に自信を与えてくれて、私を大きく変えてくれたと確信しています。本当にありがとうございました。
これからは特別会員として一歩退いた場所から正会員のサポート役に回っていければ、と考えています。
何せここで妻と出会っているのですから、足を向けて寝られませんものね!

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